悪霊X

「なるほど、よくわかりました」

 奈央が説明を終えると、霊能者の女は納得したようにうなずいて見せた。

 雑居ビルの一室。

 先ほどまでいたファミレスから、電車を乗り継いで四十分ほどの場所だった。

 お香の匂いが鼻につく、暗くて狭い部屋で、奈央は小さな机を挟んで霊能者と対峙していた。四方の壁には、東洋風の護符のようなものが一面に貼り付けられている。

 霊能者の女は五十歳くらいだろうか。厚化粧が目立ち、化粧の匂いがこちらにまで届いてくるほどだ。韓国の伝統衣装のような服をまとい、雰囲気だけで判断するなら、〝本物〟のように見えた。

 しかし、奈央は、早くもこの霊能者に失望していた。

 先ほどファミレスで会った男は、奈央の顔を見るなり、問題を指摘して見せたわけだが、今目の前にいる霊能者の女は、奈央の顔を見ても何かを感じ取った様子もなく平然としている。女の能力に疑問を抱き、金だけ取られて適当な鑑定結果になるのではと奈央は危惧した。

 疑念うずまく中、霊能者の女が聞いてきた。

「ちなみに、部屋の写真などはお持ちですか?」

「あ、はい」

 奈央は、部屋の写真を探し出してからスマホを女に手渡した。

 霊能者の女は、しばらく写真に見入っていたが、小さく首を横に振ると、スマホを返してきた。これも期待外れの反応だった。これならファミレスで会った男が紹介してくれた、〝岩国啓一郎〟なる人物のほうが、期待が持てそうな気がした。

 霊能者の女が説明をはじめた。

「拝見したところ、あなたに憑いているのは、ごくごく弱い霊だけのようですね。それもすべて生き霊です。その程度の生き霊は、珍しくもなんともありませんよ。ほとんどの人が、多かれ少なかれ、生き霊に取り憑かれてる時代ですから」

「そうなんですか……」

「ええ。そしてよくここを理解していただきたいのですが——。いいですか、その程度の生き霊が、あなたの部屋で起こっているような心霊現象を引き起こせるわけがないんです」

「でも現に、毎晩のように変なことが起こってるんですよ」

「そこが解せないんですよ」

 霊能者の女は眉間にしわを寄せて答えた。

「それじゃ、何が原因なんですか?」

 奈央は少し苛立ちながら聞く。

「申しわけありませんが、正直、私にも原因はわかりかねます」

 女の回答に、奈央は落胆した。見掛け倒しもいいところだと思った。

 霊能者の女は続けた。

「今あなたが住んでいる部屋に霊的な影はいっさい見当たりません。これは断言できます。霊的なものが何かしら居れば、写真を通してでも私にはわかりますから——。しかしながら、ぼんやりとではありますが、すごく遠くのほうから感じられます。あなたへの相当な強い恨みを。ただ残念ながら距離が遠すぎて、正確な場所を言い当てることができません……。失礼ですが、ご実家はどちらですか?」

「……島根です」

「他に長く住まれたところは?」

「いえ……」

「なら、おそらくそこでしょう。もしくは、あなたに強い恨みを持つ者が遠方に引っ越してから亡くなった。どちらかですね」

「亡くなったって……。死んだ人だってわかるんですか?」

 奈央は驚きながら聞く。

「ええ。これは生者の恨みなんかではありません。怨念の質でわかります。死者で間違いないでしょう。どなたか、思い当たる方はおりませんか?」

「いえ、とくには……」

「そうですか。まあ、当人に覚えがないということもありますから。逆恨みなんて場合もありますし。たとえば、あなたの交際相手を想う女性から恨まれたり、なんてこともありえますからね。とくに女性の嫉妬は恐ろしいものですから」

 女性の嫉妬——、覚えがあった。

「ですが、今あなたの部屋で起こっていることは、その遠方に埋葬されている死者の霊が原因だとは思えません。なぜなら、距離があり過ぎて、物理的な現象を引き起こせるはずがないからです。そういうわけで、私にも原因がわかりかねるというわけなんです」

「そうなんですね……」

 落胆していたところで女が言った。

「まあ、そういうことですから、今回お代は結構ですよ」

「え……」

 タダでいいという提案に奈央は驚く。

「問題を解決できないのに、お代だけいただくわけにはいきませんからね。ですが、せっかくここまでお越しいただいたわけですから、ついでにと言ってはなんですが、あなたに憑いてる生き霊だけでも祓っておいてあげましょうか」

「あ、ありがとうございます……」

「しかしですね、これだけはくれぐれもご注意いただきたいのですが、生き霊を祓ったところで、問題の解決には至りませんよ。ですから、おそらく今後も、部屋で起こっている奇妙な現象は続く可能性があります」

「そうですか……」

 この場での解決を望んでいただけに、奈央は深く失望した。

「では、さっそく、祓ってしまいましょうか」

 霊能者の女はそう言って身を乗り出してくると、奈央の肩あたりを、さっさっさっと、触れるか触れないかといったくらいの軽い感じで払っていった。

「はい。以上です。これで気分は、いくらかよくなったんじゃないですか」

 え? これで終わり? というくらい、あっけなく除霊は終わった。

 ところが、女の言う通り、肩回りがだいぶ軽くなったのを実感した。もうこれで問題が解決したようにさえ思えるほどだった。霊能者の女は、生き霊を祓っただけでは根本的な解決には至らないと言っていたが、これなら何だか期待が持てそうな気がした。それほどまでに、一瞬で気分が晴れ晴れとなった。

 だが、奈央のそんな気分を覆すかのように、霊能者の女は不安げな表情を見せて言った。

「ただ一つだけ、心配なことがあります」

「心配なこと?」

「ええ。先ほども申し上げましたように、今祓った生き霊たちが悪さをしていたとはとうてい考えられません。しかしながら、もし、あなたの身の回りで起きている現象が霊的なものだとしたなら、想像している以上に厄介な事態だと考えられます」

「厄介な事態?」

「ええ。なぜなら、私たち霊能者から身を隠すことができる悪霊というものは、得てして強大な力を持っているからです。もし、そんな悪霊があなたに悪さをしているとしたなら、正直、今後ますます事態は悪化していく可能性も考えられます」

 霊能者の説明に、気分は一気に沈んでいく。

 奈央は、すがるような気持ちで女に聞く。

「どうにかならないんですか」

「残念ながら、もし、そのような強力な悪霊が相手であれば、私にも手に負えません……」

「そんな……」

 奈央は絶望的な気持ちになった。

 女はここで、一転して笑みを浮かべると奈央に言った。

「しかしですね、私はそんな強力な悪霊を、見たこともありませんし、噂程度にしか耳にしたことがありません。めったに存在するものではないからです。ですから、問題の原因が、そういったものである可能性はきわめて低いかと思われます。まあ、着信履歴が残っていることから、夢ではないことは確かでしょうが、あなたの部屋で起こっている奇妙な現象は、おそらくきっと、科学的なことで証明できるたぐいのもので間違いないと思いますよ——」



       *  *  *



「奈央、大丈夫!?」

 こちらの顔を見るなり、真由美が声を上げた。

 よほど青白い顔をしていたのだろう。最後に霊能者の女から言われた言葉が、だいぶこたえていたのだ。

「うん、大丈夫……」

 奈央は無理に笑みを浮かべて答えた。

 真由美には鑑定中、近くのカフェで待ってもらっていた。

「で、どうだった?」

「わかんない。けど、タダにしてくれた」

「え、何で!?」

 奈央は霊能者とのやり取りを話して聞かせた。

「ふーん。そういうことかぁ。でもタダにしてくれるなんて、ずいぶんと良心的な人だね」

「うん、確かに」

「でもさ、さっきファミレスで会った人と、言ってること違うよね」

「そうなんだよ。でも今の人が言うには、部屋に悪いものはないって断言してるんだよ」

「でも、おかしなことは、起こってるわけだよね?」

「そうなの。そう言ったら、霊能者の人も不思議がってたよ」

 最後に聞かされた話は真由美には言わずにおいた。このまま現実から目を背けていたかったからだ。

 真由美が困ったような顔で言う。

「いったい、何なんだろうね」

「ほんと、何なんだろう……」

 そこで会話が途切れ、互いにむずかしい顔をしながら黙っていた。

 しばしの沈黙後、奈央はため息交じりに言った。

「でもほんと、最近ついてないんだよなぁ……」

「他にも何かあるの?」

「実はさ、彼氏とうまくいってないんだよね」

「そうなんだ……」

「忙しいとか言われて、なかなか会ってくれないんだ……」

「そっかぁ、それは辛いね……。彼って、確か、地元の高校の同級生だったよね?」

「そう。わたしのほうからアタックして、二度目の告白でオーケーをもらったんだ」

「一度フラれた相手にもう一度告れるなんてすごいよね」

「だって、それだけ好きだったんだもん」

「そっかぁ。あたしもそんな熱い恋をしてみたいなぁ」

 真由美は遠くを見るような目をして言った。

 時間を確認すると、四時を過ぎていた。

「でもさ、奈央は彼氏がいるだけマシだよ。だって、あたしには、そんな悩みを抱える彼氏すらいないんだよ。だから奈央がうらやましいよ。ああ、あたしもそんな贅沢な悩み、抱えてみたいわぁ」

 奈央はそう言う友人を見て、真由美はお気楽でいいな、と思う。

 ここで真由美が、表情をぱっと明るくして言った。

「ならさ、もう一つの問題だけでも解決しちゃおうよ」

「もう一つって?」

「決まってるじゃん。心霊現象のことだよ。今からダメ元で、ファミレスで会った人が教えてくれた人に連絡取ってみようよ」

「うーん……」

 奈央は悩んでしまう。ファミレスの男は誠実そうに見えたが、百パーセントは信用できなかった。それに今日は疲れてもいた。

「ねえ、どうする?」

「うーん、やっぱり今日はやめとく。時間も遅いし、それに何だか疲れちゃったし」

「まあ、そうだよね。いろいろあったしね」

「ごめんね。せっかく気にかけてくれてるのに」

「ううん、別に気にしないで。もし会う気になったら、あたしもいっしょに付き合うからさ。そのときは遠慮なく言って」

「わかった。なら、もしもってときはお願いね」



       *  *  *



 スマホの着信音で目が覚めた。

 壁掛け時計で時間を確認する。午前二時。

「まただ……」

 後悔が募る。寝る前にスマホの電源を切り忘れていたのだ。

 着信音は鳴り続けている。恐る恐るスマホを手に取ってみる。いつものごとく、「非通知設定」の文字。電源ボタンを長押ししてスマホの電源をオフにした。

 そこで壁掛け時計がカタカタと揺れ始めた。

「もう、やめて!」

 次にカーテンが揺れ、続いて、ベッドが置かれているほうとは反対側の壁から、ドンドンドンという音が響いてくる。そして最後はいつものように、くぐもった女の声が浴室から聞こえてきた。

「ゆるさない、ゆるさない、ゆるさない……」

 いつも通りの恨みのこもった声だ。気が狂いそうになる。

 奈央は耳を塞いで声高に叫ぶ。

「もういい加減にして! そもそもあんたが悪いんでしょ。逆恨みもたいがいにしてよ!」


 翌朝目覚めると、奈央はベッドの上で大きなため息を吐いた。

 それから意を決してスマホに手を伸ばした。

「もしもし、真由美? おはよ。朝早くからごめんね——。あのさ、やっぱりファミレスで紹介してもらった人に会ってみようと思うの。いっしょに会ってもらえるかな?」

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