第10話 謁見

 王城は巨大な列柱が立ち並ぶ壮麗な造りだった。大きさ自体もヒクソス王城の数倍以上ありそうだ。

 城壁は淡い赤色の石材が多く使用されていたが、内部の建物には白い石材が多く使われていた。

 壁や列柱は精緻な壁画やレリーフで飾られ、床に敷き詰められた石のタイルには爪の先ほどの隙間もなく、まるで一枚の板のように滑らかに磨き上げられている。


 メネス王国に反感を持つセベクとセケムも、さすがにこの光景には度肝を抜かれていた。

 国力の差と言ってしまえばそれまでだが、やはり建築技術や文化的な面も含めメネス王国はヒクソスよりも数段上だと認めざるを得ない。


 船着き場がある王城の前庭から奥へと進むと、正面に3層構造の建物がそびえていた。

 各層には列柱で支えられた回廊がめぐらされ、緩やかな階段が前庭から2層目に向けて伸びている。

 玉座が置かれた広間は、その階段の先、広い廊下を進んだ奥にあった。


 広間の中は部屋を構成する白い石材と、巧みに外光を取り入れる窓の配置のおかげで意外なほど明るい。

 入口から王の座す玉座の前まで厚い朱色の敷物が敷かれ、王国の要人らしい数人の男たちが左側に並んでいる。そして、広間の入口と数段高い玉座の足下両側に、近衛兵と思われるきらびやかな装備の兵士が立っていた。

 

 一行が広間に入った時、玉座はまだ空っぽだった。

 案内を終えたアイヘブも左側の要人の列に加わり、ホルエムとメリシャたちは玉座の正面の敷物の上に立つ。

 しばらくすると、広間の左奥に垂らされていた薄いカーテンがサッと開き、入ってきた壮年の男性が玉座に腰を下ろした。彼がメネス王国のファラオ、ウナスであった。


 ウナスが姿を現した途端、ホルエムと左側の要人たちが跪いて頭を低くする。

 フィルたちもそれに倣うが、メリシャだけは立ったままだ。シェシが気付いてフィルに視線を送るが、フィルもリネアも素知らぬ顔で何も言わない。

 ウナスに付き添って入ってきた老人が、ファラオを前にしても跪かないメリシャの姿に目を剥く。だが、ウナス自身はやや怪訝な表情を浮かべただけであった。


「初めてお目に掛かります。ボクは、新たにヒクソスの王となったメリシャ。隣国であるメネス王国のファラオに即位の挨拶に参りました」

「余がウナスである。メリシャ王、良く参られた」

 立ったまま軽く一礼して言うメリシャに、ウナスは短く応ずる。


「メリシャ殿、と申されましたか。我が名はケレス、メネス王国で宰相に任じられている者です。…ファラオの御前である。まずは控えられよ」

 王の隣に立つ老人が苦い口調で言った。だが、それに対してメリシャは軽く首をかしげる。


「これは異な事を…ボクは王国の家臣ではない。宰相殿こそ、陪臣の身でありながら隣国の王に対して控えよとは、少しばかり無礼ではないのかな?」

「…なっ!」

 メネス王国に対して対等の立場だと言い放つメリシャにケレスは絶句し、広間の雰囲気が騒然となる。だがメリシャは平然と言葉を続けた。


「ウナス様、これまでのことはどうあれ、今後ヒクソスはメネス王国に対して、対等の隣国として接します。もちろん王国との関係を絶とうというつもりはありません。今後とも良き隣人として、お付き合いしたく思います」

「…う、うむ…」

 思いがけない発言に、ウナスは困惑した表情で隣のケレスを見やる。


「メリシャ殿、言葉を慎まれた方がよろしい。ヒクソスはメネス王国の庇護の下にある。その立場を忘れてもらっては困る」

「宰相殿は、ボクの言葉が聞こえなかったのかな?これまではどうあれ、今後は対等に接すると言ったんだよ。ヒクソスのことはヒクソス王であるボクが決める。ボクはそれを通告するために来たんだ。王国の許しを得に来たわけじゃない。」

 表情一つ変えず、メリシャはケレスに言い放つ。 


「近衛兵!これは王国に対する謀反だ!」

 ケレスが叫ぶと、前に控えていた近衛兵が素早く腰の剣を抜いてメリシャに斬りかかった。

 やや後ろで跪いていた護衛役のセベクとセケムは、あまりにも咄嗟のことで動けない。

 ただ、シャレク王もこうして殺られたのか、と察した。


 ズシャリと肉を絶つ湿った音がした。

 何人かが息を呑む音、そして短い悲鳴が交錯する。


 だが、メリシャの身には傷ひとつついていない。

 メリシャに斬りかかった近衛兵の方が袈裟掛けに大きく斬り裂かれ、激しい血しぶきを上げて玉座の足元に転がっていた。


 フィル…いや金色の瞳を輝かせた妲己が、メリシャの前に立って大刀を振り抜いていた。とどめとばかりに妲己は再び大刀を大きく振り被る。


「ありがとう、妲己。それくらいでいいよ」

 タイミングを計ったようにメリシャが声を上げ、振り下ろされようとしていた大刀の刃がピタリと止まった。


「あなたを殺そうとした相手よ?助けていいの?」

 半分振り返って尋ねる妲己に、メリシャはこくりと頷く。


「メリシャがそう言うなら、それでいいわ…」

 すうっと、空気に溶けるように妲己が手にしていた大刀が消える。そして妲己は足元に倒れている近衛兵の脇にしゃがんだ。


「感謝なさい。メリシャが殺すなって言うから、命だけは助けてあげる」

 小さくつぶやき、近衛兵の身体に手をかざす。パッと金色の光が溢れ、妲己に切り裂かれた近衛兵の傷が止血された。完全に治すところまではしないが、命は助かるだろう。


 妲己は、立ち上がって周囲を威圧するように一睨みすると、大人しく後ろに下がった。

 元通り跪いて顔を伏せた瞬間、スッと瞳の色が赤に戻る。半分振り返ったメリシャの視線に気付いて、フィルは一瞬だけ微笑みを浮かべた。


 ウナスを始め、その場にいたメネス王国の要人全員が呆然とした表情でその様子を眺めていた。


 一瞬で近衛兵を斬り捨てた武技も驚きだが、完全に致命傷だと思われた傷さえ治癒してみせたのだ。

 驚いたのはシェシやセベク、セケムも同じだった。シェシは召喚儀式の時に治癒されているが、その時は意識を失っており、九尾の力による治癒を見るのは初めてだった。


「ウナス様、これはどういうことでしょうか。隣国の王に問答無用で刃を向けるのが王国の礼儀なのですか?」

 メリシャは冷静な口調で、玉座の上で顔を強張らせているウナスに言う。


「いや、そういうわけではない……ケレス、これはどういうことなのだ?」

「…陛下、ヒクソスは我が国に従属する立場。その王が陛下と対等を主張するなど、王国への反逆と存じます故…」

 やや顔を青ざめさせながらも、ケレスはウナスに答える。


「うぅむ……だが、メリシャ王にはホルエムを丁重に送り届けてくれた恩義もある。いきなり斬りかかるなど、余の品位を疑われるのではないか?」

 流石に今の行為は乱暴に過ぎるとウナスも感じていた。ホルエムの言う通り、ウナスは基本的に穏健な男なのである。実を言えば、シャレクが殺された時も、ウナスはその場にいなかった。


「…はっ…面目次第もございません」

 やや口元を歪めながらもケレスは引き下がる。ウナスは玉座から立ち上がり、上段から降りるとメリシャの前に立った。その行為に、居並ぶ要人達が目を見開く。


「メリシャ王、先程の蛮行、済まなかった。それに、蛮行を働いた余の家臣を助けてもらったこと、そして、ホルエムを助けて下さったこと、心から礼を言う」

 さすがに頭こそ下げないが、ウナスはメリシャに謝罪と感謝の言葉をかけた。


 ウナスがメリシャと同じ立ち位置で言葉を交わしたことは、メリシャを対等の王と認めたに等しい。王国の要人たちも王の行動に驚きつつも認めざるを得なかった。


「ウナス様のお言葉、嬉しく思います」

 メリシャも微笑みを浮かべて応じた。


 続く会談の中でも、メリシャはホルエムが捕らえられる切っ掛けとなった王国軍の侵攻と敗走の件にはあえて触れなかった。

 メネス王国の中で、先の敗走のことがどのように伝わっているのかわからないが、ここまでのウナスの様子からすると、ウナスにはその事が知らされていないとメリシャはみている。


 先程、ウナスは『ホルエムを助けて下さった』と言った。おそらく事故か何かでホルエムが行方不明になってしまったかのように、ケレスあたりが報告を改ざんしているのだろう。

 有無を言わせずメリシャを殺そうとしたのも、王国軍が敗走しホルエムを捕虜にされたという大失態を口封じしたかったのかもしれない。

 それを考えれば、ホルエムも戻ってこない方が、ケレスにとっては都合が良かったのだろうが…。


 まぁ、王国としては公にしたくない敗戦であるのはわかるし、こちらもフィルの力に頼っての勝利をあまりひけらかしたくもない。

 とりあえずは属国扱いを解消するという目的は果たしたのだから、この場はこれで良しとしよう…メリシャは内心ホッと息をついていた。


 ウナスとメリシャの会談では、属国関係の解消に伴う今後の懸案についても話し合いがなされた。

 メネス側最大の関心事は、ヒクソスからの塩の輸入に関することだ。


 王国の領内では、南部地方で質の悪い岩塩が産出されるのみ。東方には海もあるが、砂漠を越えた先であり、大量の物資輸送は不可能。大河イテルの水運を利用して運ばれるヒクソスからの海塩は、王国にとっての生命線とも言えた。

 王国がヒクソスを属国化した最も重要な理由は、この海塩の安定的な確保であった。


 それはメリシャたちも承知している。塩の供給は、ヒクソスにとって王国に対する強力な切り札ではあるが、強力であるだけに簡単に使うわけにはいかない。

 塩は人間の生活に欠かせない。直接口にするのはもちろん、肉や魚を塩漬けにして保存するため、そして家畜の飼育にも塩は必要だ。まさに民の生活に直結している。

 それを止められるとなれば、犠牲覚悟でもう一度戦争を仕掛け、ヒクソスを属国化しようという動きが出てもおかしくない。


 メリシャは、まずこれまでどおり海塩の安定供給を約束した。

 ただし、これまでのような無償での上納ではなく、両国間で価格を取り決め、交易という形で適正な対価を支払うことを要求する。

 ケレスは顔をしかめていたが、今は止むを得ないと判断したようだ。強く反対を主張することなく、価格の設定に関して幾つかの条件を挙げるに留まった。


 ウナスとメリシャの間で、塩の交易に関する合意が結ばれ、最も懸念されていた案件が一応の解決をみたことで、場の雰囲気が少し緩んだ。 


「ところで、ホルエム殿から聞いたのですが、ウナス様は、建築に大変造詣が深いとか?」

 メリシャは、次の一手として話題を変えた。

「…あ、あぁ…その通りだ。対岸にあるオシリス神殿やこの王城の改築も余が手がけた。メリシャ王の目から見て、どう思われる?」

 急に話題を振られて一瞬困惑したものの、実際に建築が大好きなウナスは快くそれに応じる。


「オシリス神殿の方はまだ見ておりませんが、この王城は大変美しいですね。それに、意匠の美しさだけでなく、窓の配置と石材の色合いを利用して部屋の奥まで十分に光が入るようにしている工夫など、高い技術を感じます」

「おぉ、分かってもらえるか?」

 自分でも自信作と思っている工夫をメリシャに褒められ、ウナスは子供のように表情を明るくした。


「そこで、ボクからウナス王への贈り物として、このようなものを用意してみました。ご覧ください」

 メリシャは、後ろに控えるリネアに目配せした。一礼して立ち上がったリネアは、シェシを伴って進み出る。いつの間にかその手には丸められた羊皮紙があった。


 大人が腕を広げた程の大きさがある紙の反対側をシェシに持たせ、するするとウナス王の前に広げる。そこには、4段のアーチで飾られた建築物の図面が描かれていた。サエイレムにあった円形闘技場の図面である。

 フィルの治世に大規模な修築を行った時のものを、フィルに記憶から模写してもらった。パエラあたりが見たら、九尾の力の無駄遣いだと苦笑するだろうが、これはメリシャの作戦の重要アイテムだ。

 

「これは…!」

 帝国の建築技術の粋を集めたと言っても過言ではない、多段アーチ構造による巨大建築の姿に、ウナスは興味を抑えきれない。


「いかがでしょうか?ボクの故郷に、実際にあった円形闘技場の図面です。メネスではあまり馴染みのない建築様式だと伺いましたので、お喜びいただけるのではないかと」

「おぉ、おぉ…これを頂けるのか?」

 言いながらも、ウナスは興奮した様子を抑えきれず、視線は図面に釘付けだ。メリシャの目論み通りである。


「はい。お気に召して頂けましたか?」

「もちろんだ。このような斬新な建築、ぜひ研究してみたい!」

 リネアは羊皮紙を元通り丸めると、ウナスに差し出した。


「どうぞお納めください」

「うむ、感謝する」

 リネアから図面を受け取り、ウナスは満足そうに頷く。


「そうだ、今宵はメネスに滞在されるのであろう?ぜひ宴を催したい。受けてもらえるか?」

「ありがとう存じます。楽しみにしております」

「それは良かった。ではそれまでゆるりとされるが良かろう」


 図面を大切そうに手に握ったまま、上機嫌で退出するウナスに、慌ててケレスも続く。

 ファラオが宴に招いたゲストに不愉快な顔をするわけにもいかず、残された王国の要人たちの間には微妙な雰囲気が漂っていた。

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