傾国狐のまつりごと-食われて始まる建国物語- 第2部 ヒクソス編
つね
第1話 序章-再び始まるまつりごと
「シェシ、本当によいのか?」
「はい。シェシが生贄になれば、きっとセト神は力をお貸し下さいます。必ず我らを助けて下さいます…」
思いつめた表情で頷く少女は、7歳か8歳くらい。まだまだ子供と言っていい年頃だった。黒い髪に紫色の瞳、髪の間からは猫のような耳が突き出し、腰の後ろには、短い毛並みのしなやかな尻尾が突き出している。
彼女は、何も模様のない袖無しのワンピースをまとい、小さな手には似合わない、大ぶりの短剣を握っていた。
「…すまん」
サリティスは、悔し気に奥歯を噛みしめた。
円形に置かれた篝火で照らされた祭壇には、ジャッカルの頭を持つ神像が置かれていた。神像の前に進んだシェシは両膝を突き、胸の前で両腕を交差させ、神像に頭を垂れる。
祭壇の前に数人の神官が並び、その中央に神官長たるサリティスが立つ。
神官たちの祈りの声が朗々と響き、祭壇を見つめる民たちは、心配そうな、辛そうな表情を浮かべていた。
祈りの詠唱に合わせ、祭壇全体が光を放ち始める。やがて、神像もぼんやりと光をまとっていった。
すぅっと空に消えるように、詠唱の声が消える。光を放つ祭壇は、静寂に包まれた。
じっと神像に頭を垂れていたシェシが、ゆっくりと立ち上がった。そして、大きく深呼吸すると、口を開く。
「神セトよ。我が血、我が命を御身に捧げます。今こそ我らの前に!」
少女の手が短剣を振り上げる。篝火に鈍く輝く刃は、そのまま少女の腹に突き刺された。
「ぐ…ふ…」
たちまちワンピースが血に染まり、ボタボタと血が祭壇の床を濡らす。
見つめる民たちの間から、呻くような悲鳴が漏れる。少女の姿を見ていられず目を逸らす者、その場に平伏して一心に祈る者、悔しそうに拳を握りしめる者。
「神よ…!…どうか、我らの…前…に…」
絞り出すように叫び、少女の身体からがくりと力が抜け、そのまま前のめりに倒れ伏した。少女を中心に、ゆっくりと血だまりが広がっていく。
流れる血が神像の足元に触れた…瞬間、神像が直視できぬほどの眩しい光を放った。サリティスも思わず手で目を覆う。
「…ここは…?」
声がした。光が薄らいだ祭壇の上には、先ほどまでは確かに無かった三人の人影が現れていた。そのうち二人は、頭の上に突き出した獣の耳と、腰の後ろに豊かな毛並みの尻尾を持つ獣人の姿であった。
獣人のふたりは10代半ばほどの見た目で、艶やかな金髪と赤みがかった栗色の髪をした少女。飾り気のないワンピースの上に薄手のケープ、編み上げのサンダルというお揃いの服装をしている。
そしてもう一人は、ふたりよりも少し年上、20歳くらいに見える灰色の髪の女性。獣の特徴はなく、人間のように見える。彼女もふたりの少女と同じような服装だったが、彼女だけはワンピースの腰から下の部分に孔雀の羽根のような紋様が入っていた。
三人は、驚いた表情で周りを見回していたが、その視線が、血を流して横たわるシェシに止まる。
「フィル様!子供が倒れています!」
「すごい血…!」
「メリシャ、その子を抱き起こして。そっとだよ。傷口が上になるように」
「わかった!」
灰色の髪の女性がシェシの身体を抱き起こし、仰向けにした。
金髪の少女がシェシの様子を確かめ、腹に刺さっていた短剣を引き抜いて無造作に投げ捨てる。そして傷口に両の手のひらをかざした。
瞬間、金色の光が溢れた。シェシの身体が金色の光に包まれ、祭壇に流れていた血までが光の粒になってシェシの体に吸い込まれていく。
その間、栗色の髪の少女が、二人を守るように周りの者たちに目を向けていた。
「大丈夫?…わたしのこと、わかる?」
呼びかける声に、シェシはゆっくりと目を開けた。自分を見下ろす紅い瞳。金色の髪の間からは三角形に尖った獣の耳が突き出していた。
ジャッカルの頭を持つ神セトに違いない、シェシは思った。
「か、神様…?」
よかった。召喚は成功した。これでいい、自分の死は無駄にならなかった…
「もう痛くないでしょう?しっかりしなさい!」
「…え?」
ぎゅっと手を握られる感触。間近から自分を見つめる少女にシェシは困惑した。
命と引き換えに神を召喚したのだ。召喚が成功したのなら、自分は死んだはず。
…なのに、どういうわけかまだ生きている。身体のどこにも痛みもなく、腹に手を当ててみると短剣を 深々と刺したはずの傷もない。しかし、着ているワンピースの腹の部分は確かに裂けたままだった。
「シェシは…生贄になって…」
「生贄…?」
シェシのつぶやきに、すっと紅い瞳が細められた。
「こんな子供を生贄にするなんて、何を考えている!」
立ち上がり、呆然としている神官たちを怒鳴り付ける金髪の少女。
その姿に、シェシは慌てて身を起こし、少女にすがりついた。
「お願いします、神様、怒りをお鎮め下さい。シェシは自分から生贄になったのです。神様、どうか我らヒクソスに力をお貸しください。そのためなら、シェシは喜んでこの身を捧げます!」
「…かみ、さま?」
驚いた表情で繰り返し、少女はシェシを見下ろす。
「フィル様、これはどういうことでしょう?」
周りを警戒していた栗色の髪の少女も、困惑したように言う。祭壇の周りでは、神官も民たちも一人の例外もなく、額を地面にこすりつけるようにその場に平伏していた。
「えーと…神様って、わたしたち?」
「はい。そのジャッカルの耳はを持つお姿は、シェシたちが信じる神セトに間違いありません」
自分を指さして言う金髪の少女に、シェシはこくりと頷く。
少女は困ったようにため息をつき、頭の上でピンと立つ金色の毛並みに覆われた耳を一撫でした。
「ジャッカルじゃなくて、狐なんだけどなぁ…」
「きつね…?」
「フィル、…ボク達、もしかしてこの世界に呼ばれちゃったんじゃないかな?」
灰色の髪の女性が、立ち上がってパンパンと服の裾をはたく。
「あー、なるほど、そういうことね…」
祭壇の様子を見回した金髪の少女は、軽くため息をついた。
「フィル様、何か事情がありそうです。まずは話を聞いてあげませんか?」
栗色の髪の少女が、穏やかに微笑む。
「そうだね。ここに呼ばれたのも何かの縁だし」
金髪の少女は、シェシの手を優しく引いて立ち上がらせる。
「あなたの名前は、シェシでいいの?」
「は、はい!」
金髪をした獣人の少女がフィル、栗色の髪をした獣人の少女がリネア、そして灰色の髪の女性がメリシャ、彼女たちはそう名乗った。
「シェシ、わたしたちを神様って呼ぶのはやめてくれる?フィルって呼んでいいから」
「は、はい…あの、ごめんなさい…フィル様」
「……シェシ、あなたの召喚儀式に呼ばれて、わたしたちはこの場所に来た、そうなのよね?」
「はい…セト神を召喚するための儀式をしました」
フィルの声は決して怒ってはいなかったが、シェシは返事をしながら俯いてしまう。
彼女たちはヒクソスを助けてはくれないのだろうか。それでは、ヒクソスはどうなってしまうのだろうかと不安がこみ上げてきたのだ。
「シェシ、神様に頼らなくちゃいけないほど、困っていることがあるんでしょう?…とりあえず話を聞かせてくれない?」
軽く苦笑を浮かべたフィルは、シェシを抱き寄せ、頭を優しく撫でる。
シェシの視界がぼんやりと滲み、大粒の涙がこぼれだした。
フィル、リネア、メリシャは人外の存在だ。
フィルは、かつて人間であった。
人間同士の争いで襲撃を受け、瀕死になったところを大妖狐九尾に食われ、その意識となって力を受け継いだ。
そして、人間と、人間が魔族と呼ぶ種族たちが、共に暮らせる場所を造り上げるため奔走した。
信頼できる家臣や仲間たちと共に、民を守り、豊かにし、自らが治めるサエイレムを発展させた。
そして遂にフィルの理想は、サエイレム王国という形で結実し、彼女が初代女王となった。
それは傾国と呼ばれた九尾による建国の奇跡。
彼女が興した王国は繁栄し、平和で豊かな時代をもたらした。
リネアは、かつて魔族と呼ばれた種族のひとつ、狐人族であった。
人間と魔族との戦争に巻き込まれて両親を失い、独りぼっちで森に暮らしていたところをフィルに出会い、それからずっとフィルとともに生きてきた。
自分に手を差し伸べてくれたフィルの側にいたい、その気持ちは誰よりも強く、自らの理想のために奔走するフィルの隣に立って、彼女を支え続けた。
そして、とある事件の折、神々の長すら倒したという巨竜ティフォンに自らその身を差し出し、フィルと同じように巨竜の力を受け継いだ。それは決して強大な力を欲したのではない。人間や狐人の寿命では及びもつかない永劫の時を生きるフィルと、ずっと共に在るために。
後に、フィルの伴侶となった彼女は女王妃と呼ばれ、女王と共に国民から慕われる存在となった。
メリシャは、百の目で未来を見通す能力を持ち、かつて神の一座を占めたというアルゴス族である。
長い年月のうちにその能力を失った一族の中で、メリシャは先祖の能力を持って生まれた。だが、その能力故に争いに巻き込まれ、まだ幼い身で母に連れられ祖国から逃げることになった。
そして、逃避の旅の途中で母を失い、独りぼっちになったメリシャは、フィルとリネアに出合い、ふたりの娘として育てられた。
やがて成長したメリシャはフィルの後を継いで王国の二代女王となり、国を更なる発展に導いた。
それから数百年、サエイレム王国の繁栄とその終焉を見届けた彼女たちは、世界を渡る旅に出た。傾国と呼ばれた狐が、再び国を興す地を探して。
フィルたちはこの世界の神ではないが、どうやらシェシを生贄にした召喚儀式によって、呼ばれてしまったらしい。
シェシたちが信仰する神セトはジャッカルの頭を持つとされる。ジャッカルと似た獣の耳をもつ狐人姿のフィルとリネアは、神セトに近しい存在だと思われてしまったようだ。
「お怒りを鎮めてくださり、ありがとうございます」
一人の男性が、祭壇に上がり、フィルたちの前に跪いた。他の者たちより少し立派な衣装を着ている。おそらく高位の身分なのだろう。だが、気になったのはその頭の上の猫のような耳、そして衣装の裾から覗くしなやかな細長い尻尾。見れば、シェシも、そして周りで平伏する他の神官や民たちも、同じように猫の特徴を持っている。
フィルたちがかつて暮らしたサエイレムにおいて、魔族と呼ばれた種族の中には、狐人や狼人のように獣の特徴を宿した種族がいた。目の前の彼らも、そうした種族なのだろうか。
「あなたたちは、魔族なの?」
フィルの問いに、男性は顔を伏せたまま答えた。
「いえ、魔族という種族は聞き覚えがございません。我らはヒクソス。それが我が種族の名であり、我が国の名でもあります」
ヒクソス…聞いたことがない。だが、サエイレムとは違う世界なのだから、知らないのも当然かとフィルは納得する。
「わかった。…あなたの名は?」
「はっ!私はサリティス。ヒクソスの神官長を務めております」
「サリティス、顔を上げなさい。まずは、わたし達をここに呼んだ理由を聞かせてもらえる?」
フィルの言葉に、さっと顔を上げたサリティスは、まっすぐにフィルを見上げて言った。
「御身は神セトに所縁の方々とお見受けいたします。ぜひとも我らの上に王として君臨し、お導きください。我らヒクソスの民は、メネス王国の搾取により疲弊し、もはや滅びを待つのみ。どうかそのお力を以て、我らをお救い下さい」
「わたしたちにヒクソスの王になってほしい、そういうこと?」
「御意にございます」
自分たちはセトという神とは関係ないし、事情もよくわからないが…フィルはふと口元を緩めた。
「ねぇ、メリシャ、ここで王様やってみない?」
「フィル…なに言いだすの?!」
「だって、今度はメリシャを王様にして国を建ててみようって、相談したじゃない。相手の方から王になってほしいって言うなら、願ったり叶ったりじゃない。ね?」
言ってる事の重大さとは裏腹に、ちょっとお使いでも頼むような軽い口調でフィルは言う。
「どうやら彼らは虐げられているようですから、手助けしても良いと思います。メリシャ、やってみてはどうですか?」
フィルとリネアに言われたのでは、メリシャに拒否権はない。
「わかった…ボクが王様になるよ。でも、フィルとリネアも一緒に手伝ってくれるよね?」
仕方なさそうな表情でメリシャは頷く。
「もちろん。任せておきなさい」
「はい。心配はいりませんよ」
ふふんと胸を張るフィルと、優しく微笑むリネア。いつものふたりの様子に、メリシャも自然と笑顔を浮かべた。
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