第1話『アリクス』※改稿予定です! 申し訳ございません!

「う……ん……」


 ──何が起こったのか、一瞬分からなかった。


 頭を押さえて、あたりを見回す。

 知らない天井に、知らないベッド。私の部屋ではなく、もっと質素な部屋──。

 とりあえず、ベッドから体を起こす。頭が痛いというより、ふわふわしている。

 頭を押さえた手を下ろすと、手首には最後に見たピンクの石のついたゴールドブレスレットがあり、朝日を反射してキラキラと輝いている。


 ──どうして、こうなったんだろう? 心美まなみの帰りが遅くて、心配して探しに行こうとしていたはずだったのに──。心美は、無事なの……?


 しかし、そのことばかりを考えてはいられなかった。私自身、どこにいるのかも分からない。この状況を把握するのが先だった。何も分からない状態では、妹を助けに行くことさえできない。

 頭を軽く振り、自分の体を見る。

「えっ? な……んで?」

 私の体は──幼稚園に通っていてもおかしくないほど、小さくなっていた。

 それに……。

「男の子用の服?」


 見たこともない白の寝巻きだった。体も少年みたいに──


「うっ!」

 頭がくらっとして、手で額を押さえる。

 今までの記憶が走馬灯のように襲ってくる。


 ──そうだった。


 私は、あれから「アリクス」という名前の少年になっていた。今日は、四歳になったアリクスが、初めて見習い執事として働く日だった。

 そのことを思い出すけど、どうすればいいのか分からない。少年になってしまって、何をすればいいのか、先のことが全く見えないけど──。


 ──私は、今できることをやるだけ。


 少年の姿で、力強く頷く。


 ──心美は、どうしているのか分からない。でも、この世界のどこかにいるかもしれない。


 あせっても仕方ない。


 ──私は、私にできることをしよう。そう決めた。


 ふと、ベッドわきの置き時計を見ると、もう朝食の時間だった。

 慌てて見習い執事服を着て、支度を整え、食堂に向かう。




「おはようございます、バーナードさん」

「おはよう、アリクスくん」

 食堂では、コックのバーナードさんが朝食を用意してくれていた。まだ見習いコックで、もう少し修行を積んでから、お屋敷の厨房を任されることになっている。

 バーナードさんはクマのように大きな体をしているけど、話してみると真面目で優しい人だった。

「今日の朝食は、目玉焼きとハム、パンにサラダ、あとコンソメスープです」

「ありがとうございます、バーナードさん」

「ごゆっくりどうぞ」

 微笑む彼に、入り口付近にいた少女から声がかかる。

「バーナードさん! ごちそうさまでした!」

「いえ、こちらこそ、お粗末様でした」

 にこりと笑い合うと、淡い茶色の髪をさらりと揺らし、少女──アデルはこちらを向く。

 綺麗な淡い茶色の瞳が真っ直ぐこちらを見つめている。

「アリクスくん、一緒に頑張ろうね!」

「うん、一緒に頑張ろう、アデル」

 彼女はくすくすと笑って、私とバーナードさんに手を振る。

「また後でね! バーナードさんも、また後でお会いしましょう?」

 手を振りながら、彼女は食堂を出ていった。

 私たちは彼女に手を振った後、バーナードさんは厨房の奥に入っていき、私は洗面室に行き、丁寧に手を洗う。その後は食堂に戻り、自分の席について手を合わせる。

「いただきます」

「おはよ、アリクス。早いな」

 茶色の髪をした少年──ランディーがこちらを見ていた。

「おはよう、ランディー。あれ? サンディーは?」

「なかなか用意しないから、置いてきた」

「待ってよ! ランディー!」

「ちょうど来たみたいだ」

 廊下から足音と声が聞こえてきて、食堂前に金の髪をさらさらと揺らしながら、一人の少年が姿を現す。

「おはよう、サンディー」

「おはよう! アリクス!」

「おはよ、サンディー」

「ランディー! 今日から一緒に執事として働くのに、先に行くなんて!」

「『今日から執事になるから』だろう? サンディーがしっかりしてくれないと、みんなが困る」

「う、うん……」

 シュン……となるサンディーが可哀想になり、そっと声をかける。

「サンディー、これから一緒に頑張ろう?」

「──うん! ありがとう、アリクス!」

 太陽のように明るく笑うサンディーの頭を優しくなでる。横にいたランディーは、「また甘やかしてる」と不満そうにしながらも、「仕方ない」と溜息をつく。

 ランディーとサンディーは双子の兄弟。でも、ほとんど似ていない。

 二人は二卵性双生児で、兄のランディーは父親似で茶色の髪と瞳。弟のサンディーは母親似で金髪にオレンジの瞳をしている。

「それより、二人とも早く食べないと、時間に遅れるよ?」

「あっ! 本当だ!」

「じゃあ、手を洗いに行ってくる」

「先に食べてるね?」

「ああ」

 二人は手を洗いに行き、食堂に戻り、私の隣の席に着く。

「「いただきます!」」

 二人で手を合わせて、素早く綺麗に食べていく。


 ──私も早くしないと、新聞のアイロンがけに間に合わない。


 目の前の朝食を素早く食べ、洗面室で歯を磨き、お屋敷へ急ぐ。


 ここの御主人様方──レイモンド家の方々が暮らすお屋敷へ。




 ✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤




 レイモンド家で働く男性の使用人は全員「執事」と呼ばれている。また、特別な存在として「お付きの執事」もいて、御主人様方の身の回りのお世話をしている。

 この家の執事たちは、「執事にも教養や戦闘能力が必要」という考え方をもっている。ここの見習い執事たちもマナーと教養、戦闘は完璧でなければいけない。

 午前中は、マナーの勉強。御主人様方やお客様への対応、外に出ても恥ずかしくない所作を身に着けていく。執事とメイドは別の部屋で学ぶことになっている。

「サンディー・スチュアート! もっと姿勢よくしなさい」

「すみません!」

「そこは『申し訳ございません』と、言うところです」

 サンディーは先生に注意されても上手くできず、少し涙目になることもあった。また、兄のランディーは何でもそつなくこなすが、穏やかな笑顔を作るのが苦手だった。

「ランディー・スチュアート! もっと笑顔で、愛想良く」

「はい!」

 二人とも四歳で、できないのは当たり前のこと。私は前の世界での記憶があるから、ついていくことができる。でも、レイモンド家の執事たちの方針により、執事の子どもは四歳から英才教育を受けることになっていた。

「アリクスも前は注意されてたのに──。もう、できるようになったの?」

「まだ、私も食事を運ぶのが少し苦手かな?」

「そんなの。アリクスだったら、すぐにできるようになるよ!」

「ありがとう、サンディー」

 励ましてくれるサンディーに、笑顔でお礼を言った。

「サンディーは、アリクスよりも自分のことを気にした方がいい」

「ランディーだって! 笑顔の練習をしないと、また注意されるよ?」

 その言葉に、ランディーは溜息をつく。

「今日も──、夕食後の自由時間に練習だな」

「ええっ!?」

 二人のやりとりが可愛くて笑ってしまう。

「ちょっと、アリクス?」

「アリクスも。一緒に付き合ってもらう」

「うん、わかった。いいよ」

 二人の言葉で慌てて笑いを引っ込め、なるべく穏やかな顔で頷いた。




 ✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤




 使用人全員で、お昼を食べた後。

 午後からは、教養の授業が待っている。

 お付きの執事になるための授業。貴族の付き人は年が近く、教養のある者が求められる。私たちも二年間、教養を身に着けた後、お付きの執事になるため、適性試験を受けることになっている。


「全然、分からない」


 サンディーが、そう言った。

 この前も、お風呂の後、サンディーは私の部屋に来た。




「アリクス! 勉強を教えて!」

「いいけど、ランディーは?」

「ランディーは教えてくれるんだけど、よく分からなくて」

 サンディーの話を聞いていると、ランディーは勉強ができるけど、人に教えるのは苦手なのかもしれない。

「どうぞ」

「ありがとう!」

 サンディーが部屋に入ろうとすると、後ろから声がかかる。

「アリクス、サンディー」

「あ、ランディー!」

「俺にも勉強を教えてくれ。分からないところがある」

「いいけど──、どうぞ」

「ありがとう」

「失礼します!」

 部屋に入っていくランディーを見ていると、サンディーの様子を気にしているようで、ちらちらと見ている。不思議に思っていると、勉強を教えている時に、ようやく気づく。

 私がサンディーに説明しているところを聞いて、教え方を勉強していることに。


 ──弟に教えられなかったことを気にしていたのかな?


 それからは、私がサンディーに勉強を教え、ランディーが前の席で説明を聞いているのが、いつもの光景になった。




「アリクス、今日も勉強を教えて!」

「いいよ」

「ありがとう、アリクス!」

 サンディーが勉強用のノートを持って嬉しそうに笑う。近くにいたランディーも、いつも通りに声をかけてくる。

「俺にも教えてくれ」

「うん、分かった」

「ねえ、三人で勉強するの?」

 気の強そうな少女──ブリジットが金の眉を吊り上げ、パーマのかかったブロンドの髪を手で整えながら、話しかけてきた。

「私も混ぜてくれないかしら?」

「ブリジット!」

 彼女の隣にいたアデルが焦って、声をかけた。

「私たちは淑女になるために、男性の部屋には立ち入りを禁止されているわ。ブリジットも知っているでしょう?」

「でも、だからと言って、『一緒に勉強してはいけない』決まりはありませんわ」

「だが、夜の時間以外は、みんな仕事があるから、勉強はできない」

「そうだよ、一緒に勉強するのは無理だよ!」

 不満そうに反論するサンディーを見て、ブリジットは「ふんっ!」と鼻を鳴らし、そっぽを向く。さすがに嫌な空気になり、重い口を開く。

「一緒に勉強するのは無理だけど、お茶の時間で一緒にいる時なら、少しは相談に乗れるから」

「そうしてもらえると助かるわ」

 ホッとした顔のブリジットを見て、彼女が不安だったことに気づく。「言って良かった」と思った。

 ブリジットは元気な声で、「じゃあね!」と言って去っていく。アデルも彼女の後をついていこうとして、こちらを振り向く。

「──ごめんね?」

「アデルが謝ることじゃないよ」

「そうだよ!」

「ううん、ブリジットは私の友達だから! ──ありがとう!」

 手を振ってブリジットの後を追うアデルに、手を振り返す。

 ブリジットたちを見て、色々な友達の形があることを私は思い出していた。




 ✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤




 勉強の後は、戦闘訓練が待っている。

 見習い執事とは違い、見習いメイドは午後の紅茶の給仕を手伝うことになっている。

 執事の仕事の後は、夕食係の仕事がない限り、戦闘訓練に参加しなければいけない。

 訓練内容は、基本的に魔法、剣術、体術が中心になる。

 今日は、レナルド様が見学に来ていた。

 国軍の参謀を数多く輩出する一族──レイモンド家。

 そして、そのレイモンド家の次期当主──レナルド・レイモンド様。

 私は以前、レナルド様が訓練を見学された時、「綺麗な型だ。それに魔力も強く、戦闘センスもある」と直接お褒めの言葉を頂いた。

 レナルド様は私と同い年、物腰がやわらかく大人びている。光沢のある黒曜石のような髪と黒い瞳。首の後ろで結ばれた髪を前に流す姿は、御主人様──マンフリード様に似て、とても美しかった。私も見惚れてしまうくらいに。

 戦闘訓練を指導するのは、レナルド様の家庭教師であり、現役の軍人──クラーク・クリーガーさん。サファイアの色に似た綺麗な青い髪と瞳を持つ彼は、とても綺麗な人だった。

「アリクス・アルーシャ!」

「はい!」

 クラークさんに名前を呼ばれ、大声で返事をする。点呼の時間だ。人数が少ないため、点呼もすぐに終わる。

 クラークさんはレナルド様の方に振り向き、彼に近づいていく。

「レナルド様、今日は如何いたしますか?」

「クラーク、今日は体術の訓練が見たい。体術はあまり得意ではないから、『何かヒントが見つかればいい』と思っている」

「承知いたしました。この後の訓練も、体術の訓練にさせていただきます」

「ああ、頼む」

 その後も、二人は穏やかに話をしている。

 クラークさんはレナルド様が軍に入った時に、彼の補佐につくことが決まっていた。

「それでは、体術の戦闘訓練を開始する!」

「はいっ!」

 みんなが気合を入れ、真っ直ぐに背筋を伸ばす。

「まずは突き!」

「エイッ!」

 突きをする度に、ブレスレットが軽く揺れた。微かに光っているような気もする。

 私が戦う時、ブレスレットが淡く光る。魔法を強化する力があるらしく、それらを使う時に不思議な魔力を感じる時があった。このブレスレットは、お風呂に入る時も腕から外れない。何度試しても無理だった。ただ、水にもぬれず、汚れないようになっていた。

「次は蹴り!」

 とにかく、訓練に集中しなければ。レナルド様も見ている。

 正面に見えるレナルド様の表情はとても真剣で、真っ直ぐな瞳で私たちを見ていた。




 ✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤




 また、別の日。

 この日は夕食当番だった。

 夕食当番の日は、戦闘訓練をしない決まりになっている。「何かあった時に自炊できるようにするのも訓練の内だ」という軍関係者ならではの発想みたい。

 子どもだけでは何かあるといけないから、コックのバーナードさんが見てくれている。

「三人とも、私はブリジットとアデルを見てきますから、何かあったら言ってくださいね?」

「わかりました」

 そう言うと、彼は去っていった。

 私たちはスープとサイドの料理、ブリジットたちはメインの料理を担当し、毎回担当を交代して作っている。

 とにかく、スープとサラダを作るため、ランディーとサンディーと一緒に野菜を切り、ボウルに入れていく。

「アリクスって、料理も上手いよね?」

「ありがとう。サンディーも料理上手だよね?」

「うん! 料理は得意なんだ!」

「俺は得意じゃない」

 隣でサラッと言うランディーに、二人でくすくす笑ってしまう。

 私の場合、料理が得意なのは、前の世界でお母さんの手伝いをしていたから。サンディーの場合は、お母さんが料理好きで、色々教えてもらったみたい。

「三人とも、上手くできていますか?」

 料理を覗き込むバーナードさんは、感心した声をあげる。

「これは、すごいですね! プロ並みじゃないですか!」

「ありがとう! バーナードさん!」

「ありがとうございます」

「ありがとう」

「これなら、大丈夫そうですね。私はあちらを見てきますね?」

「「「はい!」」」

 三人で元気よく返事をした。にこりと笑ったバーナードさんは、ブリジットたちの方に振り向き、独り言を呟く。

「本当に賢い子たちだな……」

 聞こえてきた声に少し笑ってしまう。


 ──私は、四歳ではないですから。


 気を取り直して、作った料理を味見してみる。いいと思うけど、自信が持てず、ランディーに声をかける。

「これ、味見してくれない? ランディー」

「俺が? わかった。──うん、おいしい」

「ありがとう」

「──ランディーって、『うまい』って言わず、『おいしい』って言うよな?」

「母さんに『皆様に感謝して、おいしいって言いなさい』って、言われてるからな」

「でも、えらいね?」

「ああ、ありがとう」

 ランディーは、ふっと笑ってお礼を言いながら、手際よく料理を盛り付けていく。

「サンディー、これをテーブルに運んで」

「分かった!」

 サンディーは喜んで料理をテーブルに運んでくれる。


 ──私もサラダを並べようかな?


「私もサラダを並べてくるね?」

「ああ、分かった」

 ランディーの返事を聞いて、サラダを持って食堂に向かう。

 すると、そこにはサンディーと話すアデルの姿があった。

「サンディー、お疲れ様です」

「アデルも、お疲れ様」

 にこっと笑う二人。

「おいしそうなスープ! サンディーは本当に料理が上手ね」

「そうかな? ありがとう! アデルも料理上手だよね?」

「本当? ありがとう! 嬉しい!」

「またアデルと話してるの?」

 ブリジットが二人の横から話しかけた。わたわたしているサンディーと、くすくす笑うアデルを遠くで眺める。


 みんなと食事をするのは楽しい。どこの世界でも。

 両親もいて、友達もいて。それでも、少しだけ寂しさを感じてしまう。


 ──何故かは分からないけど……。




 見習い執事としての忙しい日々。

 その中で、「少年の体で、他の人とどう接すればいいのかな?」ということを考える暇もなく、たくさんの仕事をこなし、疲れ切った体でお風呂に入り、そのうち少年の体にも慣れていった。


 ──これから、一体どうなるんだろう?




 ✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤




 ある日、私のお母様が妊娠していると聞き、寝る前に両親の部屋を訪れた。

「母上」

「アリクス」

 こちらの世界での母親──アリーお母様は穏やかな笑顔を浮かべていた。

「気になって見に来たの?」

「はい、私の妹か弟になる子ですから。でも、『母上の顔を久しぶりに見たい』と思ったのも事実です」

 お母様に向かって微笑む。

「そんなに他人行儀にならなくてもいいのよ? 貴方は私の息子なのだから」

「はい! ですが、私は──マンフリード様付きの執事とメイド長の息子ですから」

「そうね。──貴方が敬語なのは寂しいけれど。同時に、大人になっていく貴方の成長をとても嬉しく思うわ」

「母上──、ありがとうございます」

 二人で安心したように微笑む。


 ──まだ、心の中で本当の母親とは思えない。まだ、心がついていかない。


 でも、仲良くしたいと思う。


 ──妹のことも、本当の妹と思えるのかな?


 その時に、ふと前の世界で一緒だった妹のことを思い出す。


 ──心美まなみ……。


 胸にしまい込んだ切ない気持ちが呼び起こされる。


 ──あの日、帰って来なかった、妹の心美。


 探しに行こうとした、あの時。ブレスレットが急に光って……。


 ──心美も、この世界にいるの?




 ✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤




 そして、八か月後。

 私が五歳になった年に、妹──アリーゼは無事に産まれた。

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