アリクス

鈴木美本

第一章

プロローグ

「きよ姉ちゃん!」

「うん? なーに? 心美まなみ?」

 赤く染まる夕日の中、ランドセルを背負ったまま、妹が振り向く。

「今日もおうちに帰ったら、遊ぼうね!」

「うん、もちろん!」

「わーい! きよ姉ちゃん、大好き!」

 一歳年下の妹が勢いよく抱きつき、可愛らしく笑った──。




 ✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤




 小学生の頃を思い出して、ふっと笑みがこぼれる。

 懐かしい思い出。

「ありがとう、心愛きよえ

「お母さんには、いつもお世話になってるから、このくらいはさせて?」

「本当にいい子ね、心愛は」

 食器を拭きながら、母と二人で微笑み合う。

「そういえば、心美まなみは大丈夫かしら?」

「さっき髪の毛を整えてたから、もう少しで用意ができるみたい」

 私はショートカットだから、すぐに終わるけど、妹は肩までのショートボブ。ロングヘアなら結べば気にならない。でも、結ぶのも難しいショートボブは、一番セットに時間がかかる。

 すると、廊下からドタバタする音が近づいてくる。

「ごめん、きよ姉ちゃん! 待った?」

「ううん。今、食器を拭き終わったところだから、大丈夫よ」

 慌ててリビングにきた妹に思わず微笑む。

 ふと妹のワンピースを見ると、えりが不自然に折れていた。

 妹の襟をサッとなおし、肩、袖、スカートの部分を順番に優しくなでて整えていく。

「はい、できた!」

「ありがとう、きよ姉ちゃん!」

「どういたしまして」

 二人で昔のように笑い合う。キッチンを振り返ると、母が私たちを見て微笑んでいた。

「心愛、心美。気をつけて、いってらっしゃい」

「はい、いってきます!」

「お母さん、いってきます!」

 近くに置いていたカバンを手に取り、母に手を振ってリビングを出て、妹と一緒に玄関まで行く。

「今日はどこに行く?」

「うーん、──今日は、雑貨屋さんに行きたいな」

「じゃあ、駅近くに行こっか?」

「うん!」

 靴を履き終わった妹の手を掴み、引き上げる。

「ありがとう!」

「どういたしまして」

 玄関のドアを開け、妹と外に出る。

 外は明るくて、一度目をつぶってしまう。

 目を開くと、澄んだ青い空に白い雲が浮かび、玄関先にはラナンキュラスとピンクの姫ライラック、綺麗に敷き詰められた煉瓦の小道に白い石が光っていた。


 ──今日は、絶好の買い物日和。


 妹の様子が気になり、振り返る。

 玄関には、この前私と妹が作ったミモザのリースが二つ飾られている。

 この家には私と妹、あと両親が一緒に住んでいる。

「かず兄さんも帰って来れればよかったのにね」

「本当に。ゴールデンウィークだから、帰ってくると思ってたけど──。仕事が忙しいみたい」

「そっか……」

 「かず兄さん」──「大咲おおさき 心和きよかず」は私と六歳離れている兄で、私たちとは別の県に住んでいる。大学時代から一人暮らしで、まだ結婚していない社会人。社内でトラブルがあり、休日出勤になったと連絡があったばかり。この頃の兄さんは本当に大変そうだった。

 兄さんは昔から優しくて、私も妹も大好きだった。今は家にいない兄さんの部屋が空いたから、妹と使っていた部屋を出て、その部屋を私が使わせてもらっている。

 でも、別の部屋に移った後も、妹の部屋でテレビを見たり、二人で一緒に乙女ゲームをしたり、この前はホラーを見て眠れなくなった妹と一緒の部屋で寝たこともあったのを思い出す。

 そう考えている間にも、煉瓦の小道を歩き、玄関の門をスライドさせて開いていく。

「明日、何か作って兄さんに送ろう? きっと喜んでくれると思うから」

「うん! ──かず兄さんの好きな『ラングドシャクッキー』にしようかな?」

「うん、そうしよっか。 明日、作って送ろう? あと、卵黄があまるから、アイスボックスクッキーも作って、みんなで食べよっか?」

「うん! とっても楽しみ!」

 瞳を輝かせる妹につられ、自然と顔がほころぶ。しかし、その後、妹は急に困った顔になる。

「あ、でも……明日は友達に本を返さなきゃいけないから、昼からでもいい? 友だちも午後からバイトだから、昼までには帰れるよ?」

「うん、いいよ。私は明日、予定がないから、家で待ってるね?」

「うん! ありがとう! なるべく早く帰ってくるね!」

「慌てなくていいからね?」

「うん!」

 なごやかに笑い合う。

 私は今年、高校三年生で受験生。今年に入ってからは、みんなと同じように毎日勉強する日々。今日は息抜きで、妹と買い物に行く日だった。明日のクッキーづくりも、ちょっとした息抜きになる。

 お菓子づくりは好きだから、昔は母と妹と一緒に作って楽しかった。今でもイベントがあれば、妹と一緒にお菓子を作って楽しんでいるけど──。


「じゃあ、行こっか? 駅前の雑貨屋さんに」

「うん! 可愛いものが見つかるといいな~」

 くったくのない笑顔で私を見て、そう言った──。




 ✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤




 あれから、約二十分で、駅前に着いた。

 隠れ家のような雑貨屋さん。

 一年前に見つけてから、いつも寄っている。目立たないけど、白い壁と白っぽい緑の屋根、あたたかい光がもれる小さくて可愛い窓、丸っこいドアに金色のベルが付いているのが、また可愛い。

 妹を連れてきたら、すぐに好きになって、今では私よりお店に通っている。「ここでバイトしたかった」と残念がっていたけど、今の飲食店でのバイトも気に入っていたから、それほど落胆はしていなかった。今年の三月まで、私も同じカフェで働いていたけど、制服が可愛いお店だった。また同じところで働きたいと思うくらい、お店の人たちには良くしてもらっていた。でも……。


 ──大学受験が終わったら、この雑貨屋さんでバイトさせてもらうのも楽しそう。受験が終わったら、一度聞いてみようかな?


 そんなことを考えながら、目の前の雑貨屋さんのドアを開く。綺麗なベルの音が室内に響き、あたたかな光に包まれる。

「いらっしゃいませ!」

「「こんにちは!」」

 二人の声がそろう。今日は店長さんが店番をしているみたいで、他には誰もいなかった。

「ゆっくりしていってください」

「「ありがとうございます!」」

 いつも通り中央の机に置かれた商品から見ていく。二人でゆっくり店内を見て歩いていると、綺麗なブレスレットが目に留まる。

 キラキラ輝いている二連のゴールドブレスレット。ピンクのビーズがたくさん付いて

 、留め具にはピンクの花の宝石が付いている。

「……綺麗」

 花の宝石が綺麗で見惚れていると、妹が隣で口を開く。

「店長さん、これは何の花ですか?」

「──うーん。見えるかわからないけど、ピンクの姫ライラックだよ。仕入れ先の人がそう話していたんだ。何でも、姫ライラックに相当な思い入れがあるそうでね──」

「──本当に、綺麗」

 思わず声に出してしまい、慌てて口をつぐむ。

「良ければ、同じものが店の奥にもう一つあるよ? 持ってこようか?」

「本当ですか?」

「よろしくお願いします!」

 店長さんが店の奥に入っていく。

「本当にすごく綺麗だね? きよ姉ちゃん」

「うん」

 そう話していると、店長さんがさっきと同じブレスレットを持って現れる。

「これでいいかな?」

「はい! ありがとうございます!」

「ありがとうございます!」

「どうする? 今すぐ買うかい?」

「「はい! お願いします!」」

 声がそろって顔を見合わせて笑う。店長さんは笑った後、奥にあるレジに立つ。

「じゃあ、それぞれ2000円になります」

「──え? 安い、ですね……?」

「僕もそう思ったんだけどね。先方が『いい』って言っていたんだ。『姫ライラックの花を気に入ってくれたみたいだから』って、嬉しそうに笑っていたよ」

「そうなんですか?」

「ああ、見たところ特に悪いところもないみたいだから、安心して」

「はい」

「いい人もいるんだね」

 いい人と言うより、変わった人な気がするけど……。

 その後、私と妹はそのブレスレットを購入した。

「ありがとうございました!」

「「ありがとうございました!」」

 笑顔で店の外に出る。店に来た時と同じように、綺麗なベルの音が響く。

「ねえ、きよ姉ちゃん! 今からつけていこうよ!」

「うん、そうしよっか?」


 ──たしか、裁縫セットにハサミがあったはず……あった!


 その間に、妹が袋を開けて中身を出してくれていた。

「ありがとう」

 ブレスレットを受け取って値札を切る。

「はい、心美《まなみ》の分」

「ありがとう!」

「どういたしまして」

 妹は笑顔で受け取ってつけようとする。その間に、紙袋の中に値札を入れ、ハサミと一緒にしまう。

 隣にいる妹の様子を見ると、ブレスレットをつけようとして、上手くできずに「うーん」と唸っている。落ちそうになった妹のブレスレットをサッと取り、右手首にカチッとつける。

「ありがとう!」

「どういたしまして」

 話しながらも、自分のブレスレットを右手首につけた。

 おそろいのブレスレット。

 嬉しくて二人で笑い合う。

「もうお昼だけど、これからどこで食べよっか?」

「うーん。──あっ! この前できたカレー専門店に行ってみようよ!」

「そうだね? そうしよっか?」

「うん!」


 その後、ふたりで少し早いお昼ご飯を食べに行き、カレーのおいしさに感動した後、無事に家へ帰った私は受験勉強に戻り、妹は昼からバイトへ行った。


 そして、何事もなく、みんなで夕ご飯を食べて、お風呂に入って、いつものように寝て。


 ──いつもの日常を過ごした。




 ✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤




 ブレスレットを買った次の日。

「あ! もう、こんな時間?」

 壁にかかった時計を確認すると、もうお昼を過ぎていた。


 ──でも、おかしい。朝から出かけていった心美まなみが、お昼を過ぎても帰って来ない。たしか、友だちに本を返して、お昼に帰ってくる予定だったはずなのに──。


 慌ててスマホを掴み、電話をかけてみる──。


 心美は、全く出なかった。


「どうしよう?」


 ──事故に遭っていたらどうしよう?


 少し泣きそうになりながら外に出て、門の前で周りをキョロキョロする。

 ふと、ブレスレットについたピンクの花が視界の端に移る。

 5枚の花びらが日の光に照らされて、いつもより綺麗に見える。


 ──さっき、少しだけ光ったような……。


 次の瞬間。急にブレスレットが光り出し、私の周りが真っ白に染まった──。

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