命の扱い

宵町いつか

第1話

 血生臭さと、明確な死の匂いがあった。

 厳密には今から殺される命が、かごの中に押し込められていた。この一年間と少しの間よく見ていた白い鶏が、かごの中に十羽ほどぎゅうぎゅうと、おしくらまんじゅうをしていた。

「いやーね、私もこの授業の前は嫌でね。いい気はしないもんですよ」

 先生が私達の前でにこやかに笑う。続けて、口を開く。

「今から、屠殺をします」

 あまりにも先生がサラリと言うのだから、ざわざわと私と同じ服を着た九人の生徒たちが騒ぎ出した。いや、そんな軽々しく言うもんじゃないだろうと。

 屠殺。この場合は肉にするために殺すこと。

「まじかー」

ポツリと呟いた自分の声はやけに空っぽで、現実味を帯びていなかった。そりゃそうだ。だって人生で虫以外を殺めることなんて滅多にない。

 幸せな青い卵を産むはずの白い鶏、アローカナ。それが今は殺されるために居た。爽やかな白い羽毛が少し経てば肉になる。そういう当たり前のことが未だに信じられなかった。

 ここは農業高校。私が専攻しているコースは主に食料を生産することを主としており、それは露地栽培、ハウス栽培で野菜を栽培するという作業

以外にも養鶏、簡単に言えば鶏の卵を集卵しパック詰めするという作業を主にしている。それを私は一年続けてきた。

 一年経って、この学校の印象はガラリと変わった。スローライフなんてあったもんじゃない。進学校に比べたら確かにスローライフかもしれないが、よりここは土臭くて血生臭さい。進学校が将来を見据える場ならば、この農業高校は現実を見る場だと思っている。少なくとも、ことこのコースにおいては。社会に出る前に社会を見る場、と言ってもいい。目を背けていた状況を見る場と言ってもいい。少なくとも私にとってはそういう場所だった。

 担当の先生が鶏の足を掴む。宙ぶらりんになった鶏は逃げようとしてバタバタと羽を動かした。本能的に逃げようとしているのかもしれない。

「二人組になって鶏を持って……」

 担当の先生は慣れた手付きで鶏を扱う。まるで物みたいだ、なんて今更思った。家畜なのだから、そういう扱いを受けていることは一年前に知ったはずなのに。

 女性の担当の先生が動かないように羽を持ち、男性の担当の先生が頭を鷲掴みにする。ザラザラとした赤い顎のような場所のすぐ下、頸動脈を牛刀で迷わず掻き切った。

 ヒッと背後から短く出る悲鳴。それと殆ど同時に短く断末魔を上げ、鶏が事切れた。

 ひたひたと赤い血が首筋から垂れていた。

 死んだ。鶏が死んだ。あまりにもあっけなく。

 放血台と呼ばれるステンレス製の台に、鶏を頭の方から入れる。名前の通り、体内から血を出すための台だ。痙攣するまで入れておくらしい。

「はい、皆やってみよっか」

 大丈夫。一瞬だから。

 何が大丈夫なんだよ、と心の中で毒づいた。どこも大丈夫じゃない。一瞬だろうが永遠だろうが、何も変わらないだろう。

 すっと牛刀が渡された。私のペアの子は先程背後で悲鳴を上げていた子だ。いつもより肌の色が悪いように見えるのは気のせいではないだろう。

 ペアの子が鶏の足を持つ。バタつく羽を抑えて、私に鶏の頭を向ける。

 いつも見ている顔。集卵の作業のときになんとなく見ていた顔。小さい目に赤いトサカ。

 それを隠すように手で包んだ。手袋越しに生ぬるい体温が手のひらを包む。生の暖かさだった。人よりもわずかに高い、生の温度。

 牛刀を当てる。

「えーやばいんだけど」

 なにかを誤魔化すようにペアの子に話しかける。ペアの子も同じようで「怖いね」と答えてくれた。

 先生が「一思いにね。そのほうがこの子達のためだよ」と言った。そんなのエゴだけど、それもまた一つの正解なのは確かだった。放牧したとて、この子たちは人間なしではもう生きれない。目的があるのだ。肉になるという目的のために大きくなったのだ。それだったらその目的に沿うのが、私のできること。

 他のことを考えるな。集中しろ。何も考えずに目の前のことに集中しろ。これは肉。それ以上でもそれ以下でもない。それでいい。

 そう思って、 一思いに牛刀を入れた。

「ひっ」

 命の扱いは高校生には難しすぎたのかもしれない。


それから脱羽機に入れて、熱湯に入れて完全に羽を取る。ここまで来たらただの肉だった。七面鳥みたいだ。

 班の皆もはじめはあんなにもざわついていたのに、もうその気配は微塵も感じられなかった。

 それからは無我夢中だった。集中していた。牛刀を使って解体して、食べられるところと食べられないところに分けて。

 手が肉臭くて気持ちが悪かった。

 気がついたら、終わっていた。何もかも。そういう認識だった。それくらい、非日常に感じられた。

 手の中には鶏の心臓とレバーと砂肝の入ったビニール袋。傾ければ血溜まりが出来る。新鮮な肉だった。

 もう肉としか認識できなかった。

 残念ながら、私にはヴィーガンの才能はなさそうだった。

 家に帰ったらこれが食卓に並ぶ。それが容易に想像できて、お腹がなる。私がタフなのか。それともこれが当たり前なのか。

 少なくともこの学校ではそれが当たり前で、同じ班の子たちも「鶏皮が……」とか「私レバー嫌いなんだけど……」とか肉のことを話している。

 もう、私にはこれが正常なのか異常なのかわからない。ただ一つ言えることは、この行為が正解だと言うことだけだ。屠殺という行為が正解なだけ。この常識の中では、正解なだけ。

 実習服のズボンの裾に付いた鮮血が今では日常に思えてしまった。

 集中しすぎていたのか、それとも肩の力が入り過ぎていたのか、いつもの実習よりも疲労が色濃かったように思えた。


 家に帰って、食卓に並んだ鶏肉はいつも見ているものと遜色なく、生臭くはあったがやはり美味しかった。

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命の扱い 宵町いつか @itsuka6012

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