第21話道端の少女6
俺はバルデル卿にメイリのことをすべて聞いた。
「あの子は、バーデンハーク公国の姫なのです。……ご存じの通り、国は魔王軍によって滅ぼされ、今は国こそ亡くなりましたが、その地域はどうにか復興しようとしているところです」
バーデンハーク公国は、世界九か国のうちひとつだ。
今では、バーデンハーク公国の他に、一国が亡くなり七か国となっている。
「あなたたちがメイリと呼ぶ少女は、エイリアス……エイリアス・バーデンハーク姫といいます。祖国が攻め滅ぼされるときに、どうにか脱出したようですが、奴隷商人が言うには、見つけたときは一人きりだった、と……」
奴隷商人に見つかったのは、不幸中の幸いだったかもしれない。
彼らの手に渡れば、すくなくとも死ぬようなことはない。
そして、バルデル卿のところへメイリは売られたのだという。
「あの子が姫だとわかったのは、王家の紋章が刻まれた小さなブローチを持っていたからです。奴隷商人が見つけたときには、自分が誰だったのか、もう忘れている状態だったようでして……壮絶な何かがあったのでしょう……。家柄たしかな上、戦乱の及ばない私のところへ彼女を連れて来たのは、奴隷商人もさすがに不憫に思ったかららしく……」
そうして、メイリはバルデル卿の奴隷として日々を過ごすことになった。
バルデル卿は、立身出世の野心のためにいつかメイリを利用できる、と目論んでいたそうだ。
暗殺者を差し向けたのは、メイリを連れ戻すためだったという。
清々しいほどの野心家だった。
その日の夜。
メイリがベッドで眠ってから、リビングでワインを嗜みながらライラにそのことを話した。
魔王軍がどうのこうの、というのは伏せ、メイリの記憶喪失と他国の王室の姫であることを告げた。
ソファの隣に座るライラは、話を聞いている間、ずっと俺に腕を絡めていた。
「どう思う?」
「ううむ……離れ離れになり、今も行方知れずのメイリを待っている者がいるのであれば……」
「もしかすると、調べればわかるかもしれない」
「わかるのか?」
「ランドルフ王に問い合わせれば、あるいは――」
「……であるな」
お互いの意見は同じで、俺たちは気持ちを固めた。
けど、ライラも俺も、メイリの素性がわかったのに、手放しでは喜べなかった。
俺の肩にライラが頭を預けてくる。
手を繋ぎ、無言で指を絡めた。
すう、と胸の中が物悲しくなるこの気持ちは、何なのだろう。
髪を撫でると、ライラの香りがする。
見つめ合うと、赤い瞳の中に俺の顔が映った。
ライラが目蓋を伏せると、睫毛が長いということがよくわかる。
ライラも俺と同じで、正体不明の物悲しさを覚えたようだった。
◆メイリ
いつ頃だっただろうか。
メイリは思い出していた。
自分が誰でどうしてここにいるのか――。
夜眠る前だったか、それともロランとの特訓の最中だったか、それともライラと遊んでいるときだったのか、それはわからないが、ともかく、ふと思い出した。
優しい父と綺麗な母、兄と姉に弟――城での暮らしは何不自由のないものだった。
そんな温かい記憶。
だが、みんな死んでしまった。
もしかしたら、どうにか生き延びているかもしれないが、メイリの記憶ではそうなっていた。
耐えきれず、凍結させ封印した記憶。
だが再びそれを解凍したのは、二人の温かさだった。
夜、ロランの部屋へ行き、同じベッドにこっそりと潜る。
「どうした」
ほんのすこしの物音で、ロランは起きてしまう。
だけど、決してベッドから出ていけ、と言わないことを知っている。
「どうもしないの」
もぞもぞ、と暖を求める子猫のように、メイリはロランの胸の中にすっぽりと収まった。
頭を撫でられた。
甘えたくなったメイリは、ぎゅっとロランに抱きつく。
「おほん。ろ、ロラン……? お、お風呂に入ってきたぞ……ま、待たせたな……?」
声がして毛布から顔を出すと、タオルを一枚だけ体に巻いているライラがやってきた。
「ライラちゃん、パジャマちゃんときないと、風邪ひいちゃうよ」
「ふがっ!? め、メイリ!? なぜこやつのベッドに……!」
うぐぐぐ、と唸るライラは、はらり、とタオルを落としパンツだけを穿いて同じベッドへやってきた。
メイリは二人に挟まれる形になった。
「ライラちゃん、おっぱいでてる」
「よい。ベッドの中なら構わぬ」
「ロラン、どこかいっちゃうの?」
「ああ。二日ほど、家を空ける」
「どこいくの?」
「……仕事だ」
「メイリは、妾と留守番である」
退屈なら、ギルドで何かクエストを受ければいい、とロランに言われた。
意味もなく悲しくなったメイリは、またロランに抱きつく。
その後ろから、ライラがロランに抱きつき、メイリは二人に挟まれた。
苦しいけど、嫌じゃない苦しさだった。
「あったかい」
「であるな」
「息苦しいがな」
その翌朝。
メイリが目覚めたときには、ロランは仕事に行っていて、姿は見えなくなっていた。
◆ロラン
「おい、ランドルフ王。起きろ。おい」
いびきをかく国王の頬を、ぺちぺちぺち、と叩く。
「んぐお? ………………うぉおおおお!? だ、誰かと思ったら、ろ、ロランか――」
国王の私室。
時刻は深夜。
昼間に面会を申し出てもどうせ門前払いだろう、と思い、確実にいるだろうこの時間を狙ってやってきた。
「びっくりしたぁ……。な、何の用だ……!? まさか、依頼されて私を殺しにきたか……!?」
「暗殺者は辞めたと言っただろう」
そうだったな、とランドルフ王は言い、手近にあるガウンを羽織った。
「あーもう、怖っ。おまえを突然見かけたときの絶望感は半端じゃないからなぁ。死神よりも怖いわい……」
と、ぼやく。
「で、何の用だ? もう二度と会わないだろう、と以前、おまえは言っただろう」
「暗殺者ではなく、俺一個人としての頼みだ。すこし、確認したいことがある。ランドルフ王でなければ、難しいかもしれん」
「何……?」
そこで、俺はメイリのことを伝えた。
「バーデンハーク公国の姫、か……」
「フェリンド王室とは、繋がりがあっただろう。生き残りがいるかどうか、知りたい。情報は何でも構わない。耳に何か入ったものはないか?」
「……レイテ・バーデンハーク殿を保護しておった」
「メイリの母親か。今は?」
「うむ。我がフェリンド王国の後ろ盾を得て、公国復興のため、現地に赴いておるぞ。だが他の者は、わからぬ……」
「……そうか。では、レイテ・バーデンハークに伝えてほしい。娘を保護している、と」
俺は家のだいたいの位置を伝えた。周囲に家がないからすぐわかるだろう。
「これは借りにしておく」
「おまえには大恩がある。貸したとは思わぬよ」
「いや、あれは暗殺者としての俺だ。今回は、個人的な相談だった」
「相変わらず律儀な男だな。そういうのであれば……これで、チャラにしてほしい」
「わかった。何だ?」
「我が娘にして第一王女、勇者アルメリアのことだ」
ランドルフ王への相談を終えた俺は、町に戻った。
ライラに首尾を伝え、俺たちは覚悟を決めた。
それから、二日後の朝。
ガラガラガラ、と車輪の大きな音が響き、家の近くで止まった。
朝食の手を止めた俺が、ライラに目配せをして、外に出た。
古い馬車と護衛らしき騎士四人と乗ってきた馬四頭が、家の前に停まっている。
御者の手を借り、貴婦人が馬車から降りてきた。
俺は小さく頭を下げ、会釈をした。
「ロラン・アルガンと申します。冒険者ギルドの職員を普段はやっております」
「レイテ・バーデンハークと申します」
小さくスカートをつまんで挨拶をした。
ライラが、メイリの手を引いて家から出てきた。
「エイリアス」
レイテの瞳がうるみ、メイリも気づいた。
「お母様」
俺とライラは目を合わせる。
やはり、いつの間にか記憶が戻っていたようだ。
誰? とならず、よかった。
駆け寄ったレイテがメイリを抱きしめた。
「よかった、よかった、本当によかった……」
わぁぁぁぁぁああん、と声を上げてメイリは泣きはじめた。
思えば、今まで年相応に我がままを言ったり、泣きわめいたりするようなことはなかったが、ようやく本来のエイリアスに戻れたのだろう。
俺の訓練にも泣き言ひとつ言わなかったのだ。
「なんと、なんとお礼を申し上げてよいか……」
「いえ。ずっと保護していたわけではありませんので」
「そんなことありません。ランドルフ王様からお話はお伺いしております。お礼できるものが何もない状況で、大変心苦しいのですが――」
「そのようなものを望んで預かっていたわけではない」
絞り出すようなライラの声だった。
俺も同感だ。
それから、レイテに何度もお礼を言われた。
「この御恩は、わたくしどもは、一生忘れません」
そう言って、メイリの手を引いて馬車に乗ろうとするが、メイリは動かなかった。
察したレイテは、「ご挨拶、してきなさい」と優しく言って馬車に乗り込んだ。
くるん、とこっちをメイリが向き直った。
泣き止んだと思ったら、また目にいっぱいの涙を溜めていた。
「ロラン……」
「うん」
「ライラちゃん……」
「うむ」
唇をぷるぷると震わせ、メイリは言った。
「二人の、おかげでっ……」
ごしごし、と目をまたこすって、涙を止めようとするが、止まることはなかった。
「わたしは、幸せでした」
俺の隣で、ライラがぐっと唇をかみしめた。
「ああ。俺たちもだ」
頬を伝う涙もそのままに、喉をしゃくらせながらメイリは言う。
「あったかかった。っ……、大事なことを、おもいだしたよ……。あと、あと、たくさんたくさん、走れるようになった。冒険者になることもできた――いっぱい、二人の、おかげでっ……楽しかった……」
目元を腫らし、こっちに駆けてくるメイリ。
俺たちは膝立ちになってメイリを抱きとめた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁああああん――」
泣き止まないメイリを俺は撫で、ライラは泣きそうな顔で頬を合わせていた。
「これが生涯の別れというわけではない。メイリ……エイリアス・バーデンハーク。またいつでも会いにくればいい」
うんうん、とメイリは何度もうなずいた。
「くる……お手紙も、だす……お返事、かいてね……」
「もちろん」
「あと、ロランをお婿さんにするから……そのときは、ライラちゃんみたいに、可愛がってね」
「ん。わかった」
「何が『わかった』だ」
脇腹をライラにパンチされた。
泣いていたメイリにようやく笑顔が咲いた。
手を振りながら、メイリは馬車に乗り、去っていった。
メイリもライラもいつまでも手を振っていた。
馬車が見えなくなると、意地でも泣くまいとしていたライラだったが、ついに泣き出した。
俺はそっと彼女を抱きしめる。
雲がない空は、真っ青だった。
今日もいい天気だ。
俺は、メイリは青空という意味だったな、と思い出していた。
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