第16話道端の少女1


 ライラに頼まれていた買い物を済ませた俺は、帰路を歩いていた。


 この町の住民は、魔族を見たことがないのか、それとも知らないのか、ライラを見てもそれほど気にする人はいないとわかり、家にいるときは元の姿のままにしていた。


 たまに職場にやってくるときは、ややこしいので猫の姿に変えているが、俺がいないときは自由に買い物に行ったり、町をぶらぶらしたりしているようだ。


 近道をしようと路地を通ったとき、人の気配に足を止めた。


「……」


 物陰をのぞくと子供がいた。

 一〇歳くらいのまだ小さな女の子だ。

 膝を抱くようにして、丸くなっている。


「こんなところで何をしている」


 雑巾よりもぼろぼろの布切れを着ていた。

 この子が何なのか想像はついた。


 返答を待っても返事がない。


 …………昔をすこしだけ思い出した。


「腹、減ってないか?」


 ライラに買ってくるように言われたパンを、ひとつその子に差し出す。

 そこでようやく俺に気づいたのか、胡乱な目でこっちを見上げた。


 首筋には、思った通り隷属紋がある。

 どこかから逃げ出してきたのか、そのまま捨てられた奴隷なんだろう。


「食え」


 命令口調で言うと、ゆっくりパンを食べはじめ、その速度は徐々に加速しはじめた。

 食べ終えると、またうつむいた。


「捨てられたのか?」


 黙ったままで、何の反応も示さない。


 もしかすると、逃げてきたのかもしれない。


「来い。しばらく面倒を見てやる」

「……」


 動かない……。

 動けないのかもしれない。

 脇に手を入れて立たせると、少女をおんぶする。


 ろくに食べてないせいだろうか。体力が戻ればしゃべれるようになるだろう。




「……それで、この幼子を拾ってきた、と」


 俺が買い物が終わってからの話をライラにすると、ふうん、と鼻を鳴らした。


「しばらくは面倒をみる」

「どうして貴様殿がそんな面倒なことを? 誰に頼まれたわけでもなし」


「……部屋は余っているし、困ることもないだろう」

「まあ、好きにするがよい」


 ライラが夕食を準備する間、俺は少女を風呂に入れてやり、サイズは合わないが適当な服を着せた。

 風呂に入ったせいか、眠そうに目をこするので、空き部屋のベッドで寝かせてやった。


「ライラ、隷属紋を解除する方法はないか?」

「あるにはあるが、妾にはもう魔力はないし魔法も使えぬぞ」

「わかっている」


 隷属紋は、奴隷にだけ押される紋章のことだ。

 所持者の言うことに絶対服従したり、危害を加えることができないなど、あれこれ魔法契約を奴隷商人が行い、購入者に引き渡すのだ。


「あのような小汚い子供が、高値で取引されていたとは思えぬ」

「同感だ。風呂に入れたから小奇麗にはなったがな」


 そこらへんの商家の下働きでもさせられていたのかもしれない。

 奴隷を買うのは、貴族だけではない。

 単純に労働力を必要としている金持ちが買うことはよくある。


 だとすれば、買う奴隷は若い男が一般的だが、持ち主の性的趣向で買ったのかもしれない。


「いずれにせよ、捨てられたか逃げてきたことは確かなようだ」

「暗殺者だったとは思えぬほど、貴様殿は優しいな……。まあよい。解除ができるとも限らぬ」


 隷属紋は、奴隷商人が使う契約魔法のみによって、契約とその解除が可能となる。


 浄化系の魔法で解除されては奴隷商人は商売にならない。

 だから、契約魔法というのは、使用者以外がどうこうできるものではなかった。


「どうにもならないというのは知っている。だが、それは俺が知っている人間の魔法での話だ」

「ふふ、悪知恵がよく働く男だ」


 人間が魔族を恐れ、嫌い、怖がるのは、魔力量の多さや魔法センスの高さだけが理由ではない。

 人間では理解の及ばない独自の魔法技術が多数あるからだ。


 少女が眠っている部屋へ行き、隷属紋を確認するライラ。


「……ふむ。ニンゲンが奴隷契約に使いそうな魔法がいくつかあるが……これは一般的な悪魔契約の一種であろう」

「悪魔契約?」

「うむ。魂を渡す代わりに法外な力を得る、というようなやつだ。だがこれは、基礎はそれだがイジっておるな」


 隷属紋を見ただけで契約がわかるらしい。


「不可逆の理、従属の理があるな……悪魔よりもニンゲンのほうがよほど恐ろしい。だが問題は、妾の知っている魔法が、そなたに扱えるかどうかだ。効くかどうかも判然とせぬ」


「ものは試しだ。教えてくれ」


「魔王の妾が直接教授してやろう。ありがたく思え」

「今は魔王じゃないだろ」


 早くしろと急かすと、ライラは魔法の理屈と効果、それによる魔力量や魔力の細かい使い方を教えてくれた。

 意外と丁寧で親切なレクチャーだった。


「人間のそなたにできるとは思わぬが……」


 誰かに魔法を教わって実践するなど、何年ぶりだろう。


 ライラに教わったとおり、やってみる。


「『ディスペル』」


「あ! 言い忘れた! 妾なら魔法陣なしでもよいが、そなたは魔法陣を描いてからでないと成功は――」


 バリンッ!


 大きな音がすると、続いて、バリ、バリリ、とガラスが割れるような音がした。


「せ、成功させおった……」

「これで成功なのか?」


 少女の首筋にあった隷属紋はもうなくなっていた。


「よし。これで明日から事情を説明させよう」


「たまげた。『ディスペル』は位階五等の浄化魔法……人間のそなたが一発で成功させるとは。しかも魔法陣なしで」


「イカイゴトウ?」

「うむ。魔族も人間のように階級がある。実力のな。位階が高ければ高いほど、強く、使う魔法の種類も多い。位階一等が、魔王である妾にしかできぬ魔法を指す」


 例外も存在するが、その位階というのがおおよその指標なのだという。


「俺はライラの言った通りにしただけだ」


「『ディスペル』を魔法陣を描いて一発で成功させる魔族は、おそらく一〇〇名もおらぬ。……魔法陣を描かずにできるのは、妾と他一握りほどである」


「そうなのか」


「うむ。どうやら暗殺術にだけ長けている、というわけではないらしい。聞いて、それを覚え、一発で成功させる――。魔王の妾が保証しよう。群を抜いて魔法センスが高い。魔族並みにな」


 魔王から魔法についてお墨付きをもらった。

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