第17話道端の少女2


 翌朝、少女の様子を見に行くとベッドから体を起こしていた。

 血色は昨日よりずいぶんとよくなっている。


「よく眠れたか」

「――っ」


 俺のほうを見て、怯えたような顔をした。

 人見知りというよりは、警戒や恐れという反応だ。


 以前は、暴力を振るわれていたのかもしれない。


 体よりも深刻なのは、心の傷といったところか。


「落ち着け。俺はおまえに酷いことはしない」

「……」


 警戒する子猫のように、じいっと俺を見てくる。

 俺は両手の平を見せ、何度もうなずいた。


「俺はロラン。暗(あん)さ……冒険者ギルドの職員をしている。名前は?」

「……なまえ……? なまえ……?」

「わからないのか?」


 小難しそうにぎゅっと目をつむると、首を振った。


「わからない」


 この子の出自によるが、名前さえつけられず、奴隷商人に売り飛ばされることも珍しくはない。

 娼婦の子がいい例だ。

 また、奴隷に名前を与えないことも珍しくはない。


 まだ混乱しているのだろう。一度にあれこれしゃべれないだろうし。


 ひとまず、ライラが作った朝食を部屋に運んだ。


「味は保証しないが、何も口にしないよりはいいだろう」

「何か聞き捨てならぬことを今耳にしたが?」


 あとをついて来ていたライラにじと目をされた。

 幸い、少女の口にあったようで、スプーンですくって飲みはじめた。


 心の傷……。


「? 貴様殿よ、どうかしたか……? 妾をじっと見つめて。――はっ!? い、いかんぞ、こんな年端もいかぬ子の前で、妾を抱こうなどと、いかん、いかんぞ……!」


 いかん、と言いつつ、若干期待するような顔をしている。


 俺は胸を抱くようにして頬を染めるライラの首輪を触り、猫の姿にする。


 体が変化したライラが、床にべちゃっと倒れた。


「うにゃ!? 猫の姿……? 貴様殿、いきなり何をする」

「猫ちゃんっ」


 少女が反応した。

 動物の世話をすると、心の傷が癒えると聞いたことがある。

 俺はライラの首輪を掴んだ。


「何をする! なぜこの姿に――! 貴様殿、聞いておるのか!」


 前後の足を振り回しライラがじたばたする。

 少女がキラキラと目を輝かせた。


「しゃべれる猫ちゃん……!」

「そうだ。しゃべれる猫ちゃんだ。この猫の世話を頼む」


「誰がっ、こんなガキの世話になぞなるかっ! 早く戻せっ! 戻せったら戻せっ」


 まだ暴れるライラを少女に渡すと、ぎゅっと抱きしめた。


「猫ちゃん、あったかい」

「うぎゃあ!? 折れる折れる! 加減をせい、加減を! 妾を誰だと心得る! 不敬であるぞ!」


 ぎゃーすかうるさい黒猫だった。


「お世話は、ご主人様の、命令?」

「俺は、おまえの主人ではない。嫌ならやらなくてもいい。……仕事に行く。わからないことがあれば、その猫に訊くといい」


「貴様殿、覚えておれよ~っ!」


 俺の話を聞いているのかいないのか、さっそくライラで遊びはじめた。

 俺や元の姿のライラでは、ああも関心を示さなかっただろう。

 猫というのは偉大な存在らしい。




 冒険者ギルドへ出勤し、仕事をはじめる。


 俺はあの子を育てるつもりはない。

 預かって面倒をみるのは、あくまでも一時的だ。


 ……子供が一人で生きていくにはどうしたらいいだろう。


「ん、そうか、名簿――」


 俺は冒険者名簿を棚から引っ張りだした。

 このギルドで登録された冒険者の一覧を見ていく。


「やはり、性別人種、年齢は問わないのだな」


 冒険者登録するためには、試験を受ける必要がある。

 その試験を受ける条件は、重罪歴のない者以外の全員だ。


「よし。それなら……」


 俺が決意したときだった。

 奥から、ふみゃぁ~お! という獣の鳴き声がした。


「猫ちゃん、しー、しー。ここ? ここでいいの?」

「にゃご、にゃご」


 事務室のみんなが何事かと、声のする扉のほうを見た。


 もしや、と思い俺は扉を開けた。


「っ」

「にゃお」


 少女が胸に抱いた黒猫は、俺と目が合うとニヤっと笑った。

 ライラのやつ、この子を連れてきたのか。


 俺への意趣返しか。


「どうして来た」

「猫ちゃんが、こっちこっちって……」


 ……む。

 俺の曇り顔を見て、ライラがしししと笑う。


「あれ~? ロランさんちの猫ちゃんじゃないですか。子供? その子、どうしたんですか?」


 ミリアが職員たちの疑問を代弁した。


「いや、その……しばらく預かることになって……留守番を頼んだんですけど、来ちゃったみたいです。――すみません、すぐに帰します」


 職員たちが珍しそうにこっちへやってくる。


「ロラン君、何、親戚の子?」

「ええ、そんなところです……」

「一人で留守番するのが心細くて、職場まで猫と一緒に来ちゃったんだなぁ」


 うんうん、と職員の男たちは、尊い何かを見るように、ぎゅっと猫を抱きしめる少女を見ている。


 ひそひそ、と今度は女性職員が声を潜めた。


「親戚の子を預かってるんだぁ」

「ここまで来ちゃうって、めっちゃ懐いてるじゃん」

「子供のお世話できるとか、ポイント高いわぁ」

「アルガンさん、頼りがいあるし優しいから、懐きたくもなるよね~」

「「「わかるわぁ……」」」


 みんなが突如事務室に現れた少女と猫を話題にし、和んだり、ほんわかしたり、あれこれ世話を焼こうとしている人がいる中、自分の机を離れなかった男がいた。


「いやいや、職場は託児所じゃねえっつーの。とっとと連れてゴーホームだ。――なあ、みんな」


 モーリーがみんなに言う。


「「「「…………」」」」


 冷たい視線を、みんながモーリーに放った。


「オレの言ってること、間違ってる? 間違ってないよねぇ~? ここ、お仕事するところだから。子供預かってあやすところじゃねえから」


 正義は我にあり、とモーリーの顔には書いてあった。


 ん。

 俺も正論だと思う。

 だから帰そうとしているのだが――。


「ていうか、仕事しながら子供の面倒見れる? 見れねえだろ? 新人の下っ端のくせに、仕事をおろそかにしてんじゃねぇよ。そういうのをしていいのは、オレみたいに? 一人前のデキる男になってからでしょぉ~。それにオレェ、子供うるさいし嫌いなんだよねぇ~」


 何を、とは口にしないが、職員全員の目線がモーリーに刺さった。


「……んだよ。オレ、間違ったこと言ってますかぁ~? 言ってないですよねぇ~? そんなことより、仕事。手、動かそうぜー」


 意見自体は間違っていないと思うが、一番の原因はそういう態度だろう。

 他人の気分を逆なでするような、上から目線の態度。


「みんな、どうしたの? ――ん? 子供?」


 アイリス支部長が、騒ぎに顔を出した。


 見かけない子供を見て、ぱちぱちと瞬きをしている。


「あ、支部長ぉ~」


 ミリアが、俺に代わってアイリス支部長に説明をしてくれた。


「ふうん、そういうことだったの」


 さっそくモーリーが異を唱えた。


「支部長、ここは職場であって、子供を預かる場所じゃ――」

「いいんじゃない。邪魔にならなければ」


「ロランは、大して仕事もデキねえくせに」

「私が見る限り、デキてると思うけれど?」


「誰よりも早く帰るし、ちゃんと仕事してんだか」

「手際がいいから早く帰れるのよ」


「オレのほうが遅く残って仕事してんのに――」

「あなたは効率が悪いだけよ」


 塩をかけたナメクジのように、モーリーがどんどん小さくなっていった。


「……そこまでハッキリ言わなくても……いいじゃないっすか……」


 涙声だった。


 アイリス支部長の判断により、今日は冒険者ギルドにいていいことになった。

 ただ、事務室はさすがによくないので、応接室にいるように、とのことだ。


 俺は一人と一匹を応接室に案内した。


「ここで、猫ちゃんと遊んでればいいの?」

「ああ。たまに様子を見にくる。大人しくしてるんだぞ」


 頭を撫でる。

 元凶であるライラは、足下でくわあ、とあくびをしていた。


 ゆっくりできる日は、今日で終わりだ。

 一人でも生きていけるように、俺が責任を持って冒険者に育てよう。

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