第8話普通の家庭


 ダークプラズマを倒して、家の中を一通り見回ったあと、ミリアの下に戻った。


「どうでした?」

「ここにします。静かですし、ちょうどいい」

「よかったです。それでは一度町に戻りましょうか。お引越しのお手伝いしますよ」

「荷物はないんで、大丈夫ですよ」

「へ?」

「家の掃除や庭を手入れしたりするので、今日はこのへんで」

「え。も、もうですかっ? お昼ご飯くらいはご一緒したかったんですが……」


 もにょもにょ、と小声で言うと、何か閃いたように手をぱちん、と合わせた。


「で、でしたら! わたしがお昼ご飯を作って持ってきます! その間、ロランさんはお掃除しててください」


 俺の返事を待たずに、善は急げとミリアは走り去っていった。


「ずいぶんと気に入られたようだな?」

「そうか? 昼食のことは考えてなかったので正直助かる」


 改めて家の中を見て回る。

 四つの部屋にリビングとキッチン。

 埃っぽいが、掃除をすれば使えそうだ。


 ライラの首輪を触る。

 体が光って元の姿になった。

 至近距離だったせいで、壁を背にしたライラとの顔がやたら近かった。


「ライラ……やるぞ」


 瞬きを何度もしたライラが、頬を染めて顔をそらした。


「い、いかん、いかんぞ……。貴様殿……新居だからといって……二人きりだからと……、こ、小娘がいつ戻ってくるか知れたものではない……」


「それまでには済む」


 ライラの顔をこっちにむかせる。


「……っ」


 きゅっと目をつむったライラが、ちょんと唇を突き出した。


「? おまえは水回りだ。キッチン、風呂、トイレを頼む。俺はその他を掃除する」

「~~~~」

「目を開けろ。散れ。時間が惜しい」


 ぷるぷる、とライラが震えたかと思うと、どん、と思いきり胸を突き飛ばされた。


「たわけっ、しねっ」


 ずんずん、と大きな足音を鳴らして、不機嫌そうにライラが廊下を歩いていった。


「――――んぎゃああ!? ゆ、床が、床が抜けたぞ! 貴様殿、早う来ぬか! み、身動きが取れぬ……」

「手間のかかる女だ」


 床に頭だけ出ていたライラを救出した。

 所々古いので、徐々に変えていくしかあるまい。


 それぞれの持ち場で掃除をはじめてしばらくすると、両手にバスケットを持ったミリアが戻ってきた。


「うわ~。ロランさん、ずいぶん綺麗にしましたね~」

「いえ、一人でやったわけではないので。紹介します。手伝ってくれた魔族のライラです」


 フン、と尊大な態度でライラが胸を張った。


「妾がライリーラという。ライラで構わぬ。日頃から職場でこの者が世話になっておるそうだな」

「こ、こんにちは……ミリア・マクギュフィンです。ロランさんとは職場の先輩後輩にあたります」


 魔族は、人間からすると恐怖の対象である。

 ミリアが怖がるのも無理はないだろう。


「ミリアさん、大丈夫ですよ。魔族ですが、魔法は使えません」

「そうでしたか。それならよかったです」


 魔族と人間の大きな違いは、膨大な魔力量と魔法技術の差である。

 どちらも魔族のほうが優れていた。


 テーブルの上においたミリアの弁当をライラが食べはじめた。


「フン。まあまあだな」

「ちょ――ちょっと! わたしとロランさんの分しかないのにっ!」


 むううう、と膨れているミリアが耳打ちしてきた。


「なんですか、この偉そうな女の人は」

「旅の途中に知り合った人です。そのよしみで……」


 嘘ではない。

 魔王と言ってやってもいいが、信じてもらえないだろう。


「気に入ったわけではないが……悪くはない。また持ってくるがよい」

「偉そうに~!」


 ぷんぷん怒るミリアと彼女をからかうライラの三人で、差し入れてくれた昼食を食べる。

 どうもミリアが全部作ったようだ。

 味の良し悪しに興味がない俺でも、美味いとはっきりわかる手料理だった。


「お昼からは、わたしも手伝います」

「手は足りておる。とっとと帰るがよい」

「い・や・で・す!」


 魔王と町娘のようなミリアがこうして睨み合っているというのは、ライラの正体を知っている俺からすると、すこしおかしかった。


「手は多いほうがいい。ミリアさん、お願いします」

「はーい!」


 ミリアにとってはお手の物だったらしく、掃除の手際はかなりよかった。


「妾さん、全然進んでないじゃないですか~。もしかして苦手ですかぁー? プー」


「妾は高貴な出。掃除など召喚獣を出せばすぐだ。見ておれ――。『闇より出し我が朋友。この理、この契約によって顕現せよ』!」


「…………プフッ。何も起こらないんですけどー? 今の何なんですかー? 誰かのモノマネですかー? あれれ、おかしいなー? 魔力のまの字も感じなかったですよー? プー」


「お~の~れ~! 妾を愚弄しおって……小娘め、許さん……!」


 ああだこうだ、としゃべる女子二人。

 なかなか楽しそうだった。

 ミリアが煽ったせいか、ライラも掃除を頑張った。


 おかげで、夕方頃には外観も見違えるほど綺麗になった。


「あ、お夕飯、よければわたしの家でどうですか?」


 食堂に行けばいいと思っていたが、町外れの家なので町まですこし距離がある。


「妾は行かぬからなっ」

「そうですか。では、ロランさん行きましょう」

「では、お言葉に甘えさせていただきます」

「はい♪」


 ぐぬぬぬ、とライラは唸って、座っている椅子をガタガタ揺らしはじめた。

 対して、ミリアは爽やかな笑顔でライラに手を振って、家を出ていく。


「あまり遅くなってはいかん」


 ライラを猫にするかどうか迷ったが、そのままでいいだろう。

 誰が訪ねてくるわけでもないだろうし。


「わかった」とだけ言い残し、俺も家をあとにした。


「さっき、家に帰ったとき、父に聞いたんですが……あの家、変な魔物が出ると噂のようで……大丈夫でしょうか? 今さらなんですが、心配になって……」


「それでしたら、掃除したところです」

「そ、掃除……?」

「ダークプラズマです。これを触媒にして、家に住みついていたようです」


 触媒にしていた魔石をミリアに渡す。


「だ、ダークプラズマ……!? 単独クエストなら下限はBランク相当の魔物ですっ」

「そうなんですか?」

「掃除したってことは、倒したってことですか……? はぁぁぁ……」


 あんぐり口を開けたミリアが、ぱちくりと瞬きをする。


「たしか、物理攻撃はほとんど効かないはずです」

「ずぼっと腕を胸から貫通させました」


「どうなってるんですか……実体がほとんどないんですよ……? 実は、ロランさんは、すごい人??」


「いえ、僕は『普通』です」

「そうは見えないんですが……」


 そんな雑談をしながら、ミリアの家へ到着。

 中では、母親が夕食の準備を終えたところだった。

 優しそうな母親だった。


「お母さん、この人がロランさん。職場が一緒なの」

「あらあら、こんばんは。娘がお世話になってます」

「いえ、こちらこそ、ミリアさんにはお世話になりっぱなしです」


 すすめられた席で待っていると、父親もやってきて、簡単に挨拶をした。

 ギルドの話、冒険者の話、俺が職員になるまで旅をしていた話。

 色んなことを、食事をまじえながら会話した。

 ミリアも両親も、外の町で暮らした経験がないようで、俺の話に興味を持ってくれた。


「普通の町で、普通に生活をしているから、ロラン君には退屈に見えるかもしれんな」

「いえ、そんなことは」


 くすぐったいくらいに、温かい空気。


「こういう生活ができるだけで、十分素晴らしいです」


 本音が口を突いて出ると、両親が顔を見合わせて苦笑する。


「どこにでもある、普通の家庭ですよ」と母親は言う。


 なるほど……これが、物語に出てきそうな『普通の家庭』か……。


「普通のどこにでもある仕事をして家に帰り、食事をして眠り、また仕事に行く……そんなありふれた毎日だよ、ロラン君」


 ありふれた毎日、とは言うが、地域によっては稀有な生活とも言える。

 まあ、戦争が終わったので、もっとこういう家庭は増えるのだろうが。


 俺が考え込んでいると、父親は続けた。


「寄り添う相手を見つけて夫婦になって、家庭を持ち、生まれた子を育てる……普通の男の、普通の人生なんてこんなもんさ」


「『普通の男の、普通の人生』……!?」


 俺は記憶に刻んだ。

 これが、『普通の男の人生』……。

 ……なんと深い言葉なのか。


 不思議な気分だった。

 こんな温かい世界があって温かい人がいると、俺ははじめて知った。


 俺の目指す『普通』は、これだ。


 夜、俺はミリア宅を辞去した。


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