第50話 ~解らないことだらけ~

 

 室内に入りユリナをソファーに座らせると、パンプスを脱がせる。

 その白く細い足首にくらりとするも、怪我の状態に集中していく。

 内ポケットからハンカチを出し引き裂くと、小さく畳んで血の滲んだ踵部分に固定していった。


「少しは楽か?」

「うん! 全然痛くない。ありがとう、ギル様。でも、どうして靴擦れに気付いたの?」

「……お節介なヤツに教えられた」

「お節介?」


 ギルバートはユリナの隣に座ると、真面目な顔をする。


「アイツとは……コレット・ベリンガムとは何もなかったのか?」

「何も?」

「……肩を抱かれたり、抱き締められてただろ。その先は?」

「その先?」


 鈍い彼女に次第に苛々が募る。


「だから……さっきの俺達みたいなことをしたかどうかを訊いているんだ!」

「さっきの……」


 漸く意味を理解した彼女は、赤面しながら首をぶんぶんと振る。


「ないわ! そんなの! ギル様が初めて」

「初めて……」


 破壊力抜群な言葉に、ギルバートは耳を赤らめる。


「だってコレットは、私を女性としては見られないって言ってたもの」

「は?」


 そんな訳ないだろう。アイツは確かにユリナのことを……


「何度か抱き締めたけど、恋愛感情は抱けなかったって。無理もないよね……子供っぽいし」


 不意に落とされた爆弾に、ギルバートの胸に例の猛烈な感情がこみ上げる。


「何回?」

「え?」

「何回抱き締められた?」

「そんなの、数えてないから分からないわ」

「……数えられない程?」

「あ……違う、一~二回……かな」


 声が低くなり殺気を帯びてきたギルバートに、ユリナは慌てて訂正するも時既に遅し。がばっと上書きする様に抱きすくめられた。


「今後はもう二度と、他の男に触れられることは許さない。髪の毛から足の先まで」

「……握手は? 皇女だからその機会は多いわ」

「公務以外では禁止する」

「……分かったわ」


 無理な気がするけど、とりあえずそう言っておこう。



「ねえ……ギル様は、一体私のどこを好きになってくれたの?」

「え?」

「だって性格も全然違うし、ギル様みたいに頭も良くないし。見た目も銀髪以外に取り柄があるとは思えないわ」


 ギルバートは身体を少し離すと、ユリナをまじまじと見つめ答える。


「分からない」

「分か……らない?」

 軽くショックを受けるユリナ。


「でも……8歳の君がお行儀の良い挨拶をした時から、ずっと好きだった気がする」



『初めまして、ギルバート・キャンベル様。私はユリナ・バロンと申します。よろしくお願い致します』



 銀髪のお下げに大きな黒い瞳。

 にこにこと小さな手を差し出されたあの時から、きっと君を『可愛い』と感じていた。

 それ以来君が目の前に居ると、好きな本に集中出来なくなった。本よりも気になる存在が、初めて出来たんだ。


 目を逸らし続けていた得体の知れない感情は、向き合えばこんなにも素晴らしいものだったのに。

 ────随分遠回りしたけど、やっと君をこの手に取り戻した。



「俺は物心付いた時からどこか異質で……人と接することが億劫だった。何でも人より先回りするから、無意味な会話や行動に苛立ったりもした。だけど、君の会話は突飛だし、行動も全く読めなかったよ。まさかかくれんぼ中に、木の上で寝るなんてね」


 ギルバートは幼いユリナを思い出し笑う。


「……君と結婚したら、実に楽しそうだ」

 ユリナの赤い頬に唇を寄せる。


「でも……その前に1月の試験だな」

「どういうこと?」

「共存魔術の後期試験で君が90点以上を取ったら、その報酬として婚約届を出させてもらうよ」

「ええっ!!」

「取れなかったら……残念だが婚約は諦める。はあ、君が成人するまで待てるかな……」

「そんなあ」


 散々想いを伝えたのに、まだ不安そうな顔になるユリナが、可笑しいやら愛おしいやら。ギルバートはニヤリと笑う。


「俺への愛の重さを、試験の点数でしっかりと量らせてもらおう」

「じゃあ……こうしていられない! お化粧も取れちゃったし、早速帰って勉強しなきゃ」


 勢い良く立ち上がるユリナの手を掴むと、ギルバートは抱き寄せ甘い声で囁いた。


「あと一曲だけ……踊っていきませんか?」




 ◇◇◇


 その後、ギルバートの鬼講師ぶりは拍車をかけ、ユリナは猛勉強に追われる日々が続いた。

 毎日空き時間は特別授業を行い、更に週末には屋敷を訪れ家庭教師も……もちろん報酬付きで。



 ギルバートの作った模擬試験の採点を待つユリナ。

 答案用紙に伏せられた切れ長の目にうっとり見惚れるも、慌てて手を組み下を向く。

 駄目駄目……ちゃんと祈らないと! 本番はあと二週間後なんだから。

 目を固く瞑り念を送る。


「……これが皇女様の愛の重さですか」


 え!?


 情けない顔で見上げた答案用紙の点数は……89点。


「やった……やったあ!! 最高得点だわ!」

「よく頑張ったな」

 ギルバートは優しい笑みをユリナへ向ける。


「だがワイアット先生の後期の試験は、前期より更に難易度が上がる為油断は出来ない。一応ヤマはかけたが……俺すらも想定外の問題が出るかもしれない。あと二週間、ひたすら勉強するのみだな」


「うん……頑張るわ!」

「じゃあ早速、間違えた箇所の復習……の前に」


 ギルバートが背を屈め、ユリナの前にずいっと顔を出す。


「今日の報酬、先払いで。ユリナからしてくれる約束だろ」

「そうだったかしら……」

「そうだよ、ほら、早く」


 ユリナはギルバートの肩に遠慮がちに手を置くと、真っ赤な顔で軽く唇を合わせ離れる。

 勿論それで足りるはずもなく……がしっと腰を掴まれては、結局彼の方から重ねていく。



 ドアの外ではシェリナが、ティーポットを持ちながら赤面していた。


 見てはいけないものを見てしまったわ……

 そっとドアの隙間を閉める。


「シェリナ、どうしたんだ」

 向こうからオーレンがやって来る。


「あっ……ううん、何でもないの。二人共よく頑張っているなって」

「そうか……だが長時間密室に二人きりなのは良くない。ユリナはまだ16なのだから」


 明らかに不機嫌なオーレン。


 これは絶対に知られる訳にはいかない。

 ノックにも気付かないくらい盛り上がっていたし、あのはすぐに顔に出ちゃうし、どうしよう。

 ……そうだ!


 ノックしようと伸ばしたオーレンの手を掴むと、シェリナは上目遣いで彼を見上げる。


「何だか貴方、最近娘のことばかりね。少し寂しいわ」

「……え、寂しい……君が?」

「ええ。焼きもちを妬いてしまうわ」

「妬く……君が?」

「そうよ。この間も侯爵夫人が貴方のことをずっと見ていたのよ。私のレンなのに、そんなに見ないでって」

「だって君はにこにこ愛想良くしていたじゃないか」

「皇太子妃だもの、当たり前でしょう。貴方を見る女性の視線に、今まで心の中で何度妬いていたか」

「君は嫉妬なんかしないと思っていた。ずっと……いつも嫉妬するのは自分だけかと」

「そんな訳ないでしょう」


 怒った様にそう言うと、背伸びしてオーレンの頬に口づける。


「さ、私達もおやつにしましょう」

 にこっと笑い、くるりと後ろを向いて歩き出すシェリナ。


 しばらく呆然としていたオーレンだが、彼女に追い付くと、その手からさっとポットを取り上げ、近くを通りかかったメイドに預けた。

 そして軽々横抱きにすると、小さな耳元に囁く。


「……二人きりになりたい」

 熱の籠った甘い声に、シェリナは赤い顔で戸惑う。


「お仕事は?」

「今日の分は全部終わった。もう何も予定はない」

 そう言いながら、さっさと寝室へ歩いていく。



 ねえ……こんなにドキドキしたら……絶対に心臓に悪いと思うわ。


『嫉妬するのは自分だけ』


 二十年以上も一緒に暮らしているのに、まさか彼がそんな風に思っていたなんて知らなかった。

 恋愛は幾つ歳を重ねても、解らないことだらけね。




 ◇◇◇


 ────ついに後期の筆記試験の日が来た。


「始め」


 ユリナは震える手で答案用紙を捲り、問題を解いていく。

 ギルバートのスパルタ教育に慣れたせいか、時間配分も良い感じだ。やや自信がない箇所はあるが、全く解らないということはなく、何とか最後の問題に辿り着いた。

 問題を読み、ユリナは目を見張る。

 10月に行った自分とコレットの実技試験が例として挙げられており、失敗した理由を共存魔術の論理の観点から記述する問題だ。

 実技後の振り返りでも私達のことには触れられなかったのに、まさか試験で出るとは……しかもここが一番配点が大きいなんて。流石ワイアット先生。


 落ち着いて……よく考えて。

 共存魔術に必要なのは、魔力の均衡や技術だけではない。互いの心身も均衡していることが不可欠。これは魔力の共存が精神論にも繋がることから……


 ユリナはこれまでの知識を総動員し、必死に筆を進めていった。



 ◇


 一週間後、返された答案用紙を、汗ばむ手で握り締めるユリナ。その場では見ることが出来ずに、授業が終わると、ギルバートと共に学園の中庭へ出た。

 恐る恐る開いていくと……ユリナの顔が泣きそうになる。


「1……」

「いち!?」

 ギルバートはぎょっとする。


「91! きゅうじゅういってん!!」

「本当か!?」

 ギルバートはユリナの手から答案用紙を取り上げる。


「ねえ、見間違いじゃない? 本当に91点?」

「ああ、間違いない。凄いな……まだ一年なのに、本当によく頑張ったな」


 今までの鬼講師ぶりが嘘の様に優しい言葉。顔をくしゃくしゃにして泣き始めるユリナを、ギルバートは胸に抱き寄せた。


「婚約届にサインしてもらわないとな……でも、その前に、君に大事な話があるんだ」


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