第48話 ~惹かれ合う瞳~
無数の視線を浴びながら、二人は寄り添い奥へ進む。
隅の柱で立ち止まると、ギルバートは腰を屈め、ユリナの愛らしい耳へ囁いた。
「さて、ユリナ様。お食事にされますか? それともダンスを踊りますか?」
会場には、再び優雅なワルツの演奏が流れ出す。
「……少し会場を眺めていても宜しいですか? とても綺麗で」
「ええ、構いませんよ」
芸術科による美しい装飾で溢れた本堂。
壁際の長いテーブルには、学園側が用意した料理がズラリと並び、生徒らが舌鼓を打ちながら笑い合う。
中央では、華やかな衣装に身を包む者も、普段着で参加する者も、隔たりなくダンスを楽しんでいた。
会場を眺めたまま何も言葉を発しないユリナを覗き込むと、その黒い瞳にはうっすらと涙が浮かんでいる。
ギルバートは慌てた。
「どうされましたか?」
「いえ……何だか感動してしまって。ランネ市は、ほんの数十年前までは貧しい村や町で、泣く泣く子供を売る家庭も多かったと聞いています。今では身分の上下に関わらず、若い人達がこんなに笑顔で生き生きと楽しんでいる。今日に怯えて生きるのではなく、
「皇太子殿下の……貴女のお父上の功績ですね」
「確かにそうですが、何よりも村民や町民達の強い思いが、ランネ市をここまで成長させたのです。それがなければ、ここまでの発展は成し得ませんでした。私達皇族や貴族には、その思いを支え続ける義務がありますね」
ああ、この
普段は決して身分を誇示することなく国民と同じ目線で接するが、心では常にこうして数段高い所から眺め、国民を守り導こうとする。
ギルバートはユリナに対し、強い尊敬の念を抱いた。
「その為にはもっと勉強しないとな……」
皇女から16歳のあどけない少女の顔に戻ったユリナに、ギルバートは少しほっとし、わざと意地の悪い口調でからかってみる。
「まずは1月に控える共存魔術の筆記試験ですね。民を支える為にも是非頑張って下さい」
「はああ……」
この美しい姿で、大袈裟に項垂れるユリナが可笑しい。
「ところで、私はまだ何も言ってもらっていませんね」
「え?」
「ほら、貴女が刺繍をした上着を着てきたんですよ」
長い腕を広げて見せるギルバートに、ユリナの頬が赤く染まっていく。
「素敵すぎて……私も心臓を吐きそうです」
「それは良かった」
ギルバートも耳を真っ赤にしながら答える。
「あの……ドレスをありがとうございました」
「いえ。サイズは大丈夫ですか? シェリナ様に教えていただいたのですが」
「はい、とても着心地がいいです。それに色もデザインも大好きです」
「色は私の上着と合わせて、デザインは貴女のイメージで決めました。初めての贈り物なので不安でしたが、喜んでいただけて嬉しいです」
「あら、初めてではありませんよ。先日焼き菓子を下さったではありませんか」
「……菓子も贈り物に含めて良いのですか? 安価な物なのに」
「勿論です。とても嬉しかったのですから」
ユリナは澄んだ瞳でにこりと笑う。
「そうですか……ではあれも……いえ、何でもないです」
ゴミ箱に投げ入れた小さな包みが甦り、ギルバートの胸がつきんと痛む。
今なら、何故あれを買ったのか、何故渡せなかったのかがよく分かる。ほんの数ヶ月前のことなのに……あの時の自分の愚かしさには苦笑しかない。
演奏が終わり、拍手が鳴り止んだタイミングで、
ぐううう……
ユリナの細い腹の辺りから鈍い音が響いた。
「……皇女様もお腹が鳴るんですね」
くくっと笑うギルバートに、ユリナは赤面しながら言う。
「皇女も人間ですから」
「私は胸が一杯で食欲など全くないというのに。これが想いの差というものでしょうか」
「何を言うんですか! 私の方がずっとずっと、ずーっと前から……」
はっと言葉を飲み込むと、ユリナはぷいと顔を背け、デザートのテーブルへ向かう。
フルーツと生クリームがたっぷりのったケーキを一皿取ると、横からすっと手が出て奪われた。
「ギル様!」
「私が食べさせて差し上げます。口紅が落ちない様に、上手にね」
「自分で食べられます!」
「ほら、早く口を開けないと、またお腹の虫が怒り出しますよ」
そう言いながらフォークを差し出す顔は実に楽しそうだ。
完全に遊ばれてる……
ユリナは生クリームの誘惑に負け、渋々と口を開ける。
賑やかな場と高揚した気分に飲まれ、人の目があることなど、すっかり頭から抜け落ちていた。
甘い物で満たされ、ひと息ついた頃、優しいワルツの調べが会場を包み出した。
「踊りませんか?」
「……はい」
手を取り、二人は中央へ歩いていく。
腰に回される大きな手にドキリとするも、ユリナはその温もりに素直に身を委ねた。
自分を見下ろす灰色の瞳。
自分を見上げる黒い瞳。
磁石の様に強く惹かれ離せない。
……これは夢なのだろうか。
ユリナは思う。
いつも見るあの悪夢と、どちらが現実なのだろう。
自分の選ぶべき道はどちらだろう。
演奏が終わった後も、二人は身体を寄せたまま見つめ合っていた。
「……ダンスお上手なんですね」
「皇女ですから。貴方こそ」
「公爵令息ですから。子供の頃からレッスンが嫌でたまりませんでしたが……貴女との、このダンスの為だったんですね」
ギルバートの持つ全ての愛情を凝縮した笑顔。それが今、真っ直ぐユリナへと向けられている。
ドクリ、ドクリと脈打つのは、恐怖を超えた喜び。
彼の広い胸に、ユリナが心をも委ねかけた時────
それに歯止めを掛ける様に、足がズキッと痛んだ。
「……すみません、少し化粧室へ失礼します」
「分かりました。あちらで待っています」
ギルバートは名残惜しそうに身体を離すと、さっき立っていた柱の横を指差した。
化粧室で足を確認すると、踵の皮がめくれ血が滲んでいた。どうやら慣れないパンプスで靴擦れを起こしたらしい。
我慢出来ない程ではない為、ハンカチで軽く拭うと再び履き、会場へ戻った。
先程の柱へ向かおうとするも、色とりどりの令嬢に囲まれたアッシュブラウンの頭が見え、足を止めた。
ある者は料理を差し出し、ある者はひたすら話し掛け、ギルバートの気を引こうと必死だ。
驚くことに彼は、昔ユリナにとっていたような無関心な冷たい態度ではなく、適度に相槌を打ちその場に馴染んでいるかに見える。
……やっぱり夢だったのかもしれない。
急に彼が遠い存在に思え、ユリナはそっと会場から廊下へ出た。
足の痛みも増してきた気がする……
廊下の隅のベンチに腰掛け、踵を覗いていると、突如目の前に赤い布が広がった。
ゆっくり顔を上げると、そこには彼女が立っていた。
「皇女様、お久しぶりです」
「……レティシア嬢、お久しぶりです」
高く結い上げた金髪、吊り上がった濃い紫色の瞳、
ピッタリと身体に沿った赤いドレスは、女性らしい豊満な胸を強調する様に肩が大きく開いていた。
レティシアはユリナの頭から爪先までを見下ろすと、クスリと笑いながら言う。
「皇女様は本当にいつ見てもお可愛らしいですね。とても求愛をお受けになるご年齢には見えませんもの」
今なら分かる、明らかな敵意。
兵が近付くも、ユリナはそれを手で制し、彼女へ向かった。
「私に何かご用ですか?」
淡々と問うユリナに、レティシアの顔から笑みがすうっと引く。
「皇女様と話がしたいわ」
明るい音が漏れる廊下に、冷たい声がしんと響いた。
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