第45話 ~私の幸せは~

 

 ユリナは口を固く結んだまま何も答えない。

 だがギルバートの鋭い視線から目を逸らすことも出来ず、そのまま見つめ合っていた。


「……どうやら肯定の様ですね」


 それでもユリナは答えない。


「ああ、そうだ、貴女は非常に頑固でしたね。まあいいですよ、私が勝手に喋りますから」


 ギルバートは力を緩めると、小さな手を優しく撫でながら話し出す。


「……貴女の懸念通り、確かにエメラルドの魔力は、私に危害を及ぼすことがあるかもしれません」

 ユリナの手がピクリと震える。


「ですが、貴女と一緒になることで例え明日死んだとしても、私には後悔がありません。……何より私が一番恐ろしいのは、貴女と離れて生きることです。貴女をこの手で守れないことが一番恐い」


 駄目……駄目……

 ユリナは心の中でひたすら繰り返す。


「つまり私の幸せは、貴女の傍で生きることで初めて成立するのです。理解してもらえましたら、今後は私の幸せを貴女の物差しで測るのは止めて下さい」



 ……黒い瞳は、一体何を語っているだろう。

 ギルバートはその奥を探る。


 動揺、愛情、そして────強い恐怖。


 彼女は確かに怯えていた。


 思いきり抱き締め想いをぶつけたい衝動に駆られるも、ギルバートは手を離し、クスクスと笑いながら立ち上がる。


「可笑しいですね。昔はひたすら喋る貴女をうるさいと思っていたのに、今は私の方がうるさいのですから。……今日はもう帰ります」


 そう言いながら、一枚のメモをユリナに差し出す。


「多分貴女の護衛は知っていると思いますが、私の時間割と教室です。一応お渡ししておきますので、共存魔術の授業以外も、何かあれば会いに来て下さい」


 ユリナは黙ったままメモを受け取る。


「……来週からは、本当に体調が悪い時以外は必ず授業に出てください。心配なので必ず連絡もお願いします。あと、今日の様に昼食も摂らず待ち続けたくないので、貴女の時間割も教えて下さい」


 昼食も摂らず……

 流石に申し訳なくなり、ユリナは自分の時間割表を開き、紙に写そうとペンを取る。

 ギルバートはその手を止めさせ、チラリと表を覗くと、「もう覚えました」と言ってドアへ向かう。


 慌ててガタリと立ち上がるユリナに、ギルバートは振り返り言った。

「先日の上着は……」


 はっとし、クローゼットへ走ろうとするユリナを手で制す。


「いえ、結構です。あの上着は仕立ても良く上等な生地なのですが、装飾がない為普段着として使っていました。そこで貴女にお願いしたいのですが……刺繍をして私に返して頂けませんか?」


「刺繍……」

「ええ。学園祭の後夜祭で着用したいのです」

「学園祭……! ギルバート様も出られるんですか?」

「はい。面倒なので今までは避けていましたが、もう三年ですし記念に出てみようかと」

「そうですか……」

「貴女も出られますよね?」

「私は」

「では、楽しみにしています。それも私への報酬ですから、手を抜かずにしっかりとお願い致します」


 ユリナは静かに閉まるドアを、ただ見つめていた。




 ◇


 此処は……中庭……学園の。


 低くて甘い声の先には、ギル様の笑顔。

 ────ああ、これはきっと夢ね。

 夢の中ぐらいは、心のままに貴方へ飛び込みたい。

 彼へと走り出した時、



 ……え?


 ギル様が血を吐きながら、ゆっくり倒れていく。

 その上に跨がり何度も何度も彼の胸を刺す誰か。


 止めて! 止めて!!


 誰かの肩を掴み振り向かせる。

 貴女は……




 ────荒い息と汗と涙。

 ぐしゃぐしゃになりながらベッドに飛び起きた。


 震える手で耳のピアスを触り、異常がないことに安堵する。


 ユリナはよろけながらクローゼットへ向かうと、彼の上着を取り出し胸に抱き締める。

 暫くそうした後、針を取り出し、無心で刺繍を施していった。




 ◇◇◇


「……もう出来たのですか?」


 紺色の上着を広げ、ギルバートは驚く。

 襟にはぐるっと一周見事な銀糸の刺繍。胸ポケットにも華やかな装飾が施されている。


「学園祭はまだ先です。一週間で仕上げろとは言っていませんよ?」

「針を刺したら止まらなくなってしまって……でも、宿題もちゃんとやりました」


 ギルバートは眉を寄せると、クマが浮かぶユリナの目元を指でなぞる。


「貴女は加減というものを知らないのですか?」


 怒った口調でそう言うと、渡された上着をそのままユリナへ掛け、自分の肩へ抱き寄せた。


「今日は予習はしなくて結構ですから、授業まで休んでいて下さい」

「でも……」

「復習でしっかりカバーしますので大丈夫です。それよりもう、貴女に倒れられたくない」


 温かい手で、トントンと肩を叩かれる。

 ユリナを苦しめるギルバートの想い。そこから逃れる様に固く目を閉じた。


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