第44話 ~愛が怖い~

 

 ギル様が……私と……結婚?


 頬を掠めた落ち葉に、ユリナは我に返り、疑問を投げる。


「どうしてですか?」

「……どうして?」


 ギルバートは更にため息を重ねる。


「人の一世一代のプロポーズに対する第一声がそれですか」


 一世一代の……プロポーズ?

 ユリナの頭が混乱する。


「すみません……お話がよく見えません。どこまでが冗談なのかは分かりませんが、貴方が私と結婚するメリットは何もないでしょう」

「メリットだらけですよ。いいですか? 政略結婚が殆どの皇族や貴族社会において、私達はこれ以上ない程恵まれているのですよ?」

「恵まれて……?」


 ギルバートはふっと笑うと、まるで演説でもするかの口調で堂々と語り出す。


「第一に魔力。私の地の魔力は生涯貴女を守るのに必要不可欠だ。第二に愛情。貴女は私を愛している。第三も愛情。私も貴女を愛している。……これだけ恵まれていて、他に何か問題でも?」


 混乱は収まるどころか益々酷くなる。

「第二と三がよく分かりません」


 ユリナの答えに、ギルバートは思いきり顔をしかめた。


「言葉通りですよ。私達は互いに想い合っているということです」

「……互いに?」


「ええ。貴女は私を愛していないと言いましたが、全く隠し通せていませんよ。気付いていないかもしれませんが、貴女は感情が全てに出ますので。今後嘘を吐く時には、目を瞑るか逸らすといいでしょう。まあ、その行為で嘘だとバレますけどね」


 母も同じことを言っていた……

 ユリナは一瞬目を見開くと、さっと下を向く。


「そして私も貴女を愛しているので」

 あまりにもサラッと口にするギルバートに、ユリナは目を合わせぬまま問う。


「……貴方は合宿で、私を愛したことなどないと仰ったじゃないですか」

「先に貴女が私を愛していないと言ったからです。売り言葉に買い言葉ですよ」

「嘘です! ギル様が私を愛する訳などありません!」


「……何故?」

 高い背を屈め、ギルバートはユリナの顔を覗き込む。


「ずっと拒絶されていたことくらい分かります。見てくれないし、話してくれない。貴方が15歳の時からは特に……」


 黒い瞳の奥には哀しみが揺らぎ、ギルバートの胸を刺す。


 本当に……あの頃の自分を殴ってやりたいな。


 長い指でユリナの目元に触れると、銀色の睫毛の間を、ほろりと涙が零れた。


「ごめん……ずっと自分の気持ちに気付かなくて、君を傷付けていた。別れを告げられてからはずっと苦しくて……それで初めて愛していると自覚したんだ」


 ユリナは何も言わない。

 ただ、ほろほろと零れる冷たい涙を、ギルバートは温かい指で拭い続けた。


「君がまだ俺を愛してくれているなら、今度は真っ直ぐ向き合いたい」


 そのままユリナを抱き寄せた。


 彼の早鐘の様な鼓動は、その言葉が真実であることを伝えてくれる。

 心が震え、腕を広い背中に回しかけた時……


 レティシアの言葉が頭に響く。



『エメラルドの魔力を持つ貴女と、ギルバート様が結婚されたらどうなります? 貴女だけでなく、彼まで悪魔に取り込まれるかもしれないのよ。最悪命を落とすことも……』



 駄目……絶対に駄目!


 ユリナはギルバートの胸を強く押し返す。


「ユリナ」


 銀髪が乱れる程激しく首を振り、ゆっくり彼から後退る。

「愛していません……もう会いません」


 そのまま風と共に、彼の元から走り去った。



 ◇


 帰りの馬車で彼の上着をぼんやりと抱く私に、モニカは心配そうな顔をするも、何も訊かずに居てくれた。


 子供の頃からずっと、自分を見て欲しいと思っていた。

 少し……ほんの少しでも……

 そして、いつか奇跡が起こり愛してくれたらと。


 でも今は愛が怖い。

 愛することも愛されることも。


 閉じた瞼に浮かぶのは、倒れた母の手を握り続ける父の姿。


 怖い、怖い……




 ◇◇◇


 次の授業は行けなかった。彼には会えない。


 昼も食べずに帰宅し、先週彼から出された宿題をひたすら解く。


 外が少し暗くなり始めた頃────


 窓の向こうにカラカラと馬車の音がした。

 モニカにしては早いな……今日は実習で遅くなるって言っていたのに。お客様かな。


 暫くすると、ノックと共に侍女に呼び掛けられる。

「ユリナ様。ギルバート様がお見えです。家庭教師としていらしたとか……」


 ぽろっと鉛筆を落とす。


「……居ません。私は不在……いえ、やはり高熱で面会謝絶だとお伝え下さい」

 パニックで支離滅裂になる。


「あの、もう御部屋の前にいらっしゃいますが」


 どうしよう、どうしよう。

 頭を抱えていると、ギル様の低い声が聞こえた。


「……お熱があるのでしたら、宿題の確認だけして帰ります。開けて下さい」


 どうしよう……

 ああ、誰か炎の魔力で、私を熱して欲しい。


 渋々ドアを細く開けると、ギルバートはさっと滑り込み、ユリナの前に立った。

 そして直ぐに大きな手を彼女の額にあてると、ほっと安堵の息を吐く。

「……仮病ですね」


 つかつかと歩くと、以前彼の指定席だった一人掛け用の椅子ではなく、ソファーに腰を下ろす。


「……体調は問題なさそうなので指導を始めます。まず宿題を見せて下さい」

「あの……それが、今やっている途中で」

「は?」

「だって、あんな沢山の量、一週間じゃ終わりません」

「……貴女は自分の立場を分かっていない様ですね。大事な授業をサボった上に、やるべきこともやっていないとは」

「ギルバート様の宿題は難し過ぎるんです。……コレットのはもっと易しかったのに」


 ぼそっと呟いた言葉に、ギルバートの眉間の皺が深くなる。


「易しくしたら単位が取れませんのでね。さあ、無駄口を叩かず、あと十分で宿題を片付けて下さい。その後今日の授業を教えます」

「何でもかんでも時間制限つけるんだから……」

「何か?」

「……いえ」


 もう隠すこともなく盛大に膨れるユリナに、ギルバートは王冠のロゴ入りの小さな包みを見せびらかした。


「頑張ったらこれをあげますよ」

「……あっ! それは」

「ランネ市の有名な焼菓子店らしいですね。かなりの行列でした」

「まさか、ギルバート様が並んだのですか?」

「そんな無駄なことに時間を使いません。先頭の女性にちょっと頼んだら、二つ返事で買って来てくれました」


 ああ……そうだった。

 ユリナはギルバートの顔を改めて見る。

 アッシュブラウンのサラサラの髪。同じ色の睫毛に縁取られた切れ長の知的な灰色の瞳。男性なのにきめ細やかな肌には、品の良い高い鼻。薄すぎず厚すぎず、形の良い美しい唇。


 父や兄が神話の様な美貌と例えられるなら、彼は彫刻の様だとユリナは思う。

 ……感情の起伏に乏しい為どこか冷たい印象だが、もしこの容姿で微笑まれでもしたら、大抵の女性は頷いてしまうだろう。

 彼がそれを自覚しているのかは不明だが。


「さあ、早くやらないと私が食べてしまいますよ」

「やります! やりますから」


 必死でノートに顔を伏せるユリナの頭上で、ギルバートはさっき彼女が想像していた……優しい極上の微笑みを浮かべていた。




「頂きます……うーん、美味しい」


 栗のマドレーヌの優しい甘さが、勉強で弱った心身に染み渡る。ふにゃりと頬を緩ませるユリナを見て、ギルバートは呟いた。


「貴女の笑った顔……久しぶりに見ました」

「……そうですか?」

「ええ。買ってきて良かった」


 そう言って笑う彼が、どこか切なげに見えるのは気のせいだろうか。


「今日はわざわざ家まで出向きましたので、報酬を弾んでいただかないと。約束の昼食も頂けませんでしたし」

「家庭教師は頼んでいませんが……お弁当の件は申し訳ありません」

「悪いと思うなら手を握らせて下さい」

「え?」


 返事も聞かず、ギルバートはユリナの手からマドレーヌを取り上げると、両手で握った。

 すっぽりと包む大きな手は、指の先までじんわりと温かい。


「起きている貴女の手を初めて握りました。いつも意識を失っている時でしたので」

「あ……」

「起きている時も、貴女の手は冷たいんですね」

「冷え性なので……貴方は温かいですね」

「自分の体温など意識したことはありませんでしたが、貴女と比べるとそのようですね」


 ユリナはそのあまりの心地好さに自分を委ねそうになる。怖くなり咄嗟に手を引こうとするも、強い力にぎゅっと阻まれた。

 ふと顔を上げれば、灰色の瞳が真っ直ぐに自分を見つめている。


「正直に答えて下さい。貴女が私を拒むのは、エメラルドの魔力のせいですか?」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る