第42話 ~愛さない訳がない~

 

「ユリナ!!」


 ギルバートは目にも止まらぬ速さで飛び出すと、コレットを押し退け、高い空へ向かい両手をかざし鎮めていく。


 ゴウゴウと凄まじい勢いで回転していた風は次第に弱まり、逆さの身体は穏やかに水平へと戻っていく。

 そのままふわりと風に乗り、ゆっくり下降してギルバートの腕に収まった。



 娘の危機に腰を浮かし掛けたオーレンは、飛び出したギルバートを視界に捉え、何とか耐えていた。

 彼の魔力により、何処にも身体を打ちつけることなく無事に降りた時には、安堵のあまり額を押さえた。



「大丈夫か!?」


 ワイアットと万一の為に待機していた医師が飛び出す。

 ギルバートの腕に抱かれたユリナは、気を失ってはいるものの外傷はない様子だ。


「ギル、医務室へ連れて行ってくれ。頼んだよ」

 ワイアットはそれだけ言うと、真っ直ぐコレットの元へ向かう。


 髪を乱し、汗をダラダラと流したまま、さっきまでユリナが舞っていた空を焦点の合わない目で見続けているコレット。身体はガクガクと震え、何度呼び掛けても返事がない。


「コレット!!」

 肩を掴み大声で揺らすと、琥珀色の瞳はやっとワイアットへ向いた。


「先生……」

「大丈夫か?」

「申し訳ありません……僕は……僕は……ユリナを危険に……僕のせいで……」

 震えが一層激しくなる。


 ワイアットはオーレンと視線を交わすと頷き合った。


「……少し休んで、話をしようか」


 こうして騒然とした中、実技試験は幕を閉じた。




 ワイアットは自分の研究室にコレットを連れて行くと、ソファーに座らせ、まだ震える手に温かいカップを握らせた。


「ハーブティだよ。落ち着くから、一口飲みなさい」


 ごくりと喉に流すとコレットはカップを置き、両手で顔を覆う。

 ワイアットは向かいに座り、静かに口を開いた。


「……後天性魔力か?」


 コレットはピクリと肩を震わせる。


「さっきの風の魔力は、ユリナだけのものではなかった。君も使える様になったんだね?」

「……はい」

「それで地の魔力のコントロールが出来なくなったのか。何故私に相談してくれなかったんだ?」

「誰にも……知られたくなかったんです。今だけは、誰にも」

「そんな状態で実技試験を受けるのは危険だと思わなかったのか? しかも媒体はユリナ自身だ。一歩間違えば大惨事になっていたぞ」


「正直……不安でした。でも、練習では上手くいっていたので、そのまま今日を迎えてしまいました。とりあえず今日を乗り越えられたらと、そればかりを考えて。勿論ユリナは、後天性魔力のことを何も知りません」


 ワイアットは重く目を閉じ、首を振る。


「どんな事情があろうとも、決して魔力を軽んじてはならない。それが神から魔力を授かった者の掟だ。いいね?」

「……申し訳ありませんでした」

「教師としては、君を戒めなければならない。だが私個人としては、魔力に翻弄される者の気持ちがよく解るんだ」


 青い顔を上げるコレットに、ワイアットは話を続ける。


「家、結婚、仕事……地位や身分があればある程、その全てに魔力が関わってくる。政略結婚、権力争い……魔力のせいで泣く泣く道を阻まれた者を、この目で沢山見てきた」


 道を阻まれる……

 コレットの胸に、正にこの言葉がストンと落ちた。


「君が後天的に魔力を授かったことには、きっと何か大きな意味があるのだろう。今は辛いかもしれないが……よく考えて、正しい道を選びなさい」


 何もかも見透かされているかの言葉。

 コレットの胸に激しい自責の念が込み上げた。



 ◇


 ぼやけた視界に、灰色の瞳が映る。

 それは私を見下ろし、苦しそうに細められていて……まるで心配してくれているみたい。


「……ギル様?」

「ユリナ!」

「あれ……私」

「実技の途中で失神したんですよ。アイツのせいでね」


 実技……失神……

 風に乗って、ぐるんと逆さまになって……後は覚えていない。



「……コレット! コレットは?」


 ユリナの問いにギルバートは眉をしかめ、不快感を露にする。


「ワイアット教授に絞られているんじゃないですか? 皇女殿下のお命を危険に曝したのですから」

「コレット……いつになくすごく緊張していたの。もしかしたら具合が悪かったのかも」

「だったら棄権すればいいんです。もし貴女に何かあったら、どう責任を取るつもりだったのか」

「責任なら私の方が重いわ……自分を風の媒体にすることは、私が提案したんだし。どうしよう、全然気付いてあげられなかった」


 ギルバートの胸に猛烈な……そう、嫉妬が押し寄せる。

 目覚めてからずっと、アイツのことばかり。風に飛ばされる彼女を見て、自分がどんな気持ちだったと思うのか。


 ユリナはそんなギルバートの気持ちなど知る由もなく、更に問う。


「コレット、まだ先生の所にいる? 私も行かなくちゃ」

「何言ってるんだ! ついさっきまで意識がなかった癖に」


 敬語も忘れ、ギルバートは怒鳴る。


「私だけ無責任なことは出来ません。どこも痛くないから大丈夫」

 そう言いながらベッドの上に起き上がった。



「コレットなら寮に戻った」


 低い声に顔を上げると、そこには父オーレン皇太子と、ワイアット教授が立っていた。


「お父様、先生」

「具合はどうだ?」

 心配そうに尋ねるワイアットに、ギルバートが代わって答える。


「ひとまず外傷はありません。医師によると、今後頭痛や嘔吐の症状が現れた場合には、改めて診察を受ける様にとのことです」

「そうか。ギル、助かったよ。ありがとう」

 ワイアットがギルバートの肩を優しく叩く。


「ユリナ、ギルバートに礼を言いなさい。彼が魔力を鎮めて、君を助けてくれたんだ」

 オーレンの言葉に、ユリナははっとギルバートを見る。


 ギル様が……


 腕を組みふいと目を逸らすギルバートへ向かい、ユリナは丁寧に頭を下げた。


「ギルバート様、助けてくださってありがとうございました」

「いえ……別に、大したことはありません」


 表情は変わらないが、ギルバートの耳は赤く染まっていく。


「では二人とも帰って休みなさい。ユリナとコレットの評価は熟慮して後日伝える」


 ワイアットの言葉に、ユリナは慌てて言う。


「先生、コレットは体調が悪かったんですよね? ペアなのに気付かなかった私にも責任があります」

「体調……うん、少し疲れていたみたいだね。大丈夫、悪いようにはしないから」


 ワイアットはユリナの肩にも優しく手を置いた。




 帰りの馬車で、オーレンは険しい目をしたまま何も喋らなかった。実技のことも、コレットのことも何も。

 不安そうに見上げる娘の視線に気付くと、自分と同じ銀髪を優しく撫でた。




 ◇◇◇


 次の授業でも会えないまま、二週間近くが過ぎた頃────コレットが突然屋敷を訪れた。


 執務室でオーレンと話をした後、廊下で待つユリナの元へ、晴れやかな顔で戻って来た。




 抜けるような青空の下、中庭のベンチに並んで腰掛けた。前に此処で政略結婚の話をした時は緑だった木々も、もうすっかりあかや黄に染まっている。


「本当に此処は綺麗だね」


 あの日と同じように、コレットは空気を吸いながら伸びをする。そして居住いを正すと、ユリナへ頭を下げた。


「皇女殿下、先日は私の魔力のせいで、危険な目に遭わせてしまい申し訳ありませんでした」

「私こそごめんなさい! 体調が悪かったのに何も気付かず、危険なことをさせてしまって」

「何言ってるの。全部僕が悪いんだよ」


 コレットはふうと息を吐くと、声を絞り出す。


「……僕の体調が悪かったのは、後天性魔力のせいなんだ」

「後天性魔力?」


 習ったことがある。確か……


「そう、生まれつきじゃなく、後から目覚める魔力。成人になった頃から、僕も目覚めたんだ……風の魔力にね」

「そうだったの!?」

「うん、だけどそのせいで地の魔力のコントロールが出来なくなった。鎮めたくても揺らしてしまう。実技は主に揺らす方だから問題ないと思っていたけど、結局あんな結果に」

「コレット……」

「君にも、誰にも言えなかった。ずっと隠していてごめん」


 ユリナは激しく首を振る。


「ごめんね、何も知らなくて、本当にごめんね」



 ああ、君は本当に……


 コレットは立ち上がると、くるりと回り、ユリナへ明るい笑顔を向けた。


「そこまで聞いてさ、なんか気付かない?」

「え?」

「僕ら、政略結婚する意味がなくなったんだよ。もう君の風の魔力は要らないし、僕にはエメラルドの魔力は抑えられない」

「あ……」


 ユリナも立ち上がり、彼を見上げる。


「両親にも事情を話して、今日はベリンガム家からの正式な断りの文書を、殿下にお渡ししに来たんだ」

「コレット」

「いやあ、今だから言うけど、正直エメラルドの魔力は僕には荷が重かったんだ。婚約届を保留にしてもらって、本当に良かったよ」

「……うん」


 コレットの言う通りだ。

 こんな恐ろしい魔力を引き受けたい者などいる訳がない。



 コレットは、うつむくユリナの顎に手をかけると、くいと上を向かせる。


 ……彼女の黒い瞳に映る自分は、なんと憐れな顔をしていることか。

 そのまま抱き寄せると、柔らかい銀髪を撫で、華奢な肩に顔を埋める。そして最後にぎゅっと力を込めると、ははっと笑いながら突き放した。


「ああ、やっぱり無理だ」


「……コレット?」


「君はいい子だし最高の友達だけど、やっぱり恋愛感情は抱けない。試しに何度かこうして抱きしめてみたけど、心も身体も何も感じなくてさ。結婚後の男女の営みとか全く想像出来なかったんだよね」


 営み……

 意味を理解し、ユリナの顔がみるみる赤くなる。


「愛のない結婚をするにしても、そこは最低限クリアしないと子供も作れないでしょ。だから、これで本当に良かったんだよ」


 唖然とするユリナの頭をポンと叩くと、コレットは言う。


「という訳で、僕はこれから新しい花嫁探しに忙しくなるから。共存魔術の予習と復習はもう手伝えない」

「コレット……」

「代わりの奴に頼んでおくよ……じゃあね」


 ひらひらと手を振りながら中庭を出ていく後ろ姿。見えなくなっても、ユリナは長い間その場に立ち尽くしていた。




 馬車に乗り込むと同時に、コレットは座席に崩れ落ち、苦痛に顔を歪める。


 愛さない訳がないじゃないか……

 入学式で壇上に立つ君を見た時から、

 ずっと、ずっと────


 ポケットから紙の包みを取り出し、小さな粒を口に入れれる。甘くて、ほんのりしょっぱい味が胸に広がった。


 彼女との未来を描いて通ったこの道。遠ざかるそれとは、もう二度と、交わることはないだろう。




 ◇◇◇


 それから数日後────

 予習の為、いつもの様に学園の中庭で待つユリナ。だが、コレットは本当にもう来なかった。


 パラパラとノートを捲ると、力強い沢山の文字。

 彼が傍に居てくれたから、ここまでやって来られた。


 ありがとう……コレット。


 ノートを胸にぎゅっと抱いていると、背後からカサリと落ち葉を踏み締める音が。

 振り返ったユリナの大きな目は、更に大きく見開いた。


「……ギルバート様」

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