第39話 ~しまわれた婚約届~

 

 10月に入り、初めての共存魔術の授業。

 この日初めてコレットは来なかった。


 用事があるとか何も言っていなかったし……具合でも悪いのかな。


 一人で復習を終えると、学園の練習場へ向かう。

 今月末に控える実技試験。一人でもやれることはやっておかないと。

 合宿では、“風”を目に見せる為湖の水を使ったが、本番は学園で行われる為、どうしようかと二人はずっと考えていた。

 揺らす力に長けたコレットの魔力と共存させるなら、大きなものを媒体にした方が良いけれど……


 考えながら的当ての前まで来ると、そこにはギルバートとウィルがいた。


「あっ、ユリナちゃん」

「こんにちは」

「ユリナちゃんも練習? コレットは?」

「今日はお休みなんです」

「そうなんだ、一人なのに偉いね。僕らもう終わりだから、ここ使って」

「ありがとうございます」


 荷物を片付け場所を代わる際、ギルバートがそっと囁く。

「先日の酸っぱい飲み物のおかげで、二日酔いが早く治まりました。シェリナ様にお礼をお伝え下さい」


 それだけ言うと、ウィルと共に練習場を出て行った。



 もう……本当に自分はどうしようもない。

 ギル様が近付くだけで、胸が高鳴り平静では居られなくなる。


 ────エメラルドの魔力をきっかけに別れたけれど、そもそもこの魔力がなければ、ギル様と許嫁になることはなかった。

 ギル様に出会わなかったら、私はどんな八年間を送っていたのだろう。


 恋のときめきも、切なさも何も知らないまま16になっていたのか。そう考えたら、心が空っぽになってしまう。ギル様以外の誰かに恋することは、きっとなかったと思うから……

 今はとても辛いけれど、私の人生には、彼との出会いも別れも必然だったのだ。


 コレットと婚約して、結婚したら、私にはどんな未来が待っているのだろう。

 ときめきも切なさもない、互いの望み通りの平坦な道か、それとも……


「ユリナ」


 低い声に振り返ると、コレットが微笑みながら立っていた。


「コレット!」

「教室に居なかったから、此処かなと思って。来て良かった」

「今日はどうしたの? 具合でも悪いの?」

「うん、少しね。薬を飲んでいるから大丈夫」

「顔色があまり良くないわ。無理しないでね」

「心配……してくれるの?」

「当たり前でしょ」


 次の瞬間、ユリナはコレットの胸の中にいた。

 強い腕にきつく抱き締められて、呼吸いきもままならない。


「コレット……苦し……」


 その声にコレットは力を緩めるも、腕から離してはしてくれない。


「ごめん……ちょっとだけ、寄り掛からせて」

「身体が辛いの?」

「うん、色々……辛い」


 いつもと違う弱々しい声。心配になったユリナは、幼い頃母にしてもらった様に、コレットの背中をトントンと叩いた。

 それはまるで、子守唄の様に心地好く沁みては、彼の心を和らげていく。


「なんか落ち着くね……ユリナは魔法使いかな」

「魔法使い? 魔力は使えるけどね」

 クスッと笑う。


 魔力……か。

 コレットに、再び苦悩が押し寄せる。


「ユリナ……もし僕が……いや、何でもない」


 もし、政略結婚ではなく……利益だのメリットだの何もなく、ただ君を愛していると言ったら?

 君は僕と結婚してくれるだろうか。


 ……あり得ない、あり得ないな。


 自嘲気味に笑うと、一瞬だけユリナを抱く腕に力を入れ、パッと離した。


「……大丈夫?」

「ああ、君がこれにサインしてくれたらね」


 コレットは鞄から一枚の紙を取り出す。


「婚約届。僕の記入は済んでいるから、あとは君とご両親のサインをもらうだけだ」

「コレット」

「躊躇う理由なんて、何もない筈だよ。次の日曜に皇太子殿下にお会いする許可も取れたから……よろしくね」


 以前とはどこか違う。強引な……危機迫った様なコレットが、ユリナには怖かった。



 サレジア国の婚約届とは、主に政略結婚が多い貴族間で使用されるものであり、男女のどちらか一方が修学中や未成年の場合などに取り交わされる契約である。

 婚約届を提出した後は、いかなる理由があろうとも、最低三年間は互いに他の者と結婚することが禁じられている。


 良く言えば婚姻のトラブルを防ぎ安定を図る契約、悪く言えば良物件を押さえる為の仮契約である。

 皇族は19歳迄に結婚するという義務が廃止されたことにより、国民の結婚年齢も僅かながらに上がった。

 だが、依然として結婚適齢期は18~22歳頃迄という認識が多く、この時期の三年間の縛りというのは非常に大きいものなのだ。



「じゃあ……今日はもう帰るよ。実技の練習出来なくてごめんね」

「ううん、お大事にしてね」


 本当は練習なんか切り上げて、コレットの傍に付いていてあげた方がいいに決まっている。

 だけど……今は一人になりたい。


 激しい罪悪感の中で放った風の矢は、的の中心を大きく逸れ、手応えのないまま宙に消えた。



 ◇◇◇


 次の日曜日────

 オーレン皇太子の執務室には、ユリナとコレットが並んでいた。


 二人のサインが入った婚約届を手に、オーレンは微動だにしない。何も言わず、やがて静かに机に置くと、コレットへ問う。


「コレット、君の持つ地の魔力で、エメラルドの魔力をどのくらい抑えることが出来ると思う?」



 この人は……自分を試している。

 どこまで知っているのかは分からないが、自分を試している。

 オーレンの鋭い眼差しに、コレットの背中を冷や汗が伝う。


「エメラルドの魔力がどれ程のものなのか……私には分かり兼ねます。合宿でユリナ様の魔力を抑えたのは、ギルバート・キャンベルでしたので。それもほんの一部の魔力と聞いております。万一魔力が全て解放された時、私の地の魔力をもってしても抑えられるとは言い切れません」


「もし魔力が抑えきれない場合、君はユリナの目を傷付けると約束したのか?」

「それは……!」

「違う! お父様、それは私がコレットに頼んだの! ベリンガム家に迷惑をかけたくないから」


 横から慌てて入るユリナに、オーレンはため息を吐く。


「ユリナから頼んだとしても、君はそれを承諾したんだろ?」

「……はい」

「違う、私が無理に」


「ユリナ」


 オーレンに遮られ、ユリナは押し黙る。


「君が結婚相手にそんなことを頼むなら、私は君を絶対に誰とも結婚させない。命に代えてでも私が守ろう。だから、二度とそんなことを考えるんじゃない。……約束してくれるか?」


 それはユリナが今までに聞いた中で、一番哀しい父の声だった。

 ユリナの瞳から涙が溢れる。


「ごめんなさいお父様……ごめんなさいコレット……」


 下を向いたまま青ざめているコレットに、オーレンは穏やかな口調で言った。


「コレット、私もシェリナも、君を地の魔力だけで結婚相手にと望んだ訳ではないよ」


 コレットは思わぬ言葉に顔を上げる。


「君の人柄を認め、信頼しているからだ。それだけは覚えていて欲しい」



 人柄……信頼……

 コレットの胸には、温かいもの以上に恐怖が押し寄せる。

 これも自分を試す故の言動なのだろうか……

 必死でオーレンの目を探ろうとするも、自分よりも数段深い藍色の奥には何も見えない。



「……先日ギルバートも此処へ来て、ユリナを結婚相手に望むと言った」

 オーレンの言葉に、二人は同時に目を見開く。先に声を発したのはユリナだ。


「何故? 何故ですか!? ギル様とはお別れしたのに。何故今更私を?」


 それには答えず、オーレンは両親のサイン欄が空欄のままの婚約届を、そっと机の引き出しにしまう。


「ユリナ、コレット……そしてギルバート。君達三人にとって最善の道は何か、もう少し考える時間が必要らしい」


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