第38話 ~“またね” とは言ってくれない~
向かい合って座る車内。静かなその空間には、さっきから馬の蹄と、車輪の軋む音だけが響いている。
ずっと窓を眺めるユリナとは反対に、じっと彼女を見るギルバート。
「ユリナ様」
呼び掛けると彼女はビクリとし、ゆっくりと視線をギルバートへ移した。
「……はい」
「私はワインを飲んだ後、あまり記憶がないのですが……一体どうなったのでしょう?」
「……そのままぐったりとされて、客間でお休みになられました」
「それだけですか?」
「はい」
お父様がギル様を背負って運ばれたことは、秘密にする様言われている。
そして……酔ったギル様の口から出たあの言葉は、私が秘密にして欲しいと皆にお願いした。
酔った勢いで、好きでもない女にそんなことを言ったなどと知ったら、彼にとっては不本意かつ不愉快極まりないだろう。
お酒というのは、ギル様の優秀な脳細胞まで破壊してしまう恐ろしいものなのだと理解した。
でも、あんな
いつか、愛する
性懲りもなくこんなことを考えては、また痛み出す胸に嫌気が差す。
「……ご気分は大丈夫ですか?」
「ええ……頭が痛み、胃はムカムカしますが問題ありません。ですが当分酒は遠慮したいと思います」
「私もその方が良いと思われます。我が家は、母以外は皆お酒に強いので、飲酒の恐ろしさを知る良い機会となりました」
キッパリ言うと、ユリナはまた窓の外へ視線を戻した。
黒い瞳の奥が哀しいと感じたのは気のせいだろうか。
もっとこちらを見て欲しい、感情を見せて欲しいのに……
まるで
「何故家にいらしたんですか?」
不意にユリナから問い掛けられた。
「皇太子殿下にお話があったからです」
「どのようなお話ですか?」
「守秘義務がありますので言えません」
「それは……先日コレットに、婚約はしない方がいいと仰っていたことに関係はありますか?」
「さあ、どうでしょう。いずれ分かりますよ」
ユリナは下を向いたまま、少しムッとした顔をする。
「……余計なことはしないでくださいね。折角順調に進んでいるのですから」
「彼と早く婚約したいのですか?」
「当たり前です。その為にお返事したのですから」
「……私の目を見て言えますか?」
「嫌です。見たくありません」
どんなに目を逸らされても、もう彼女の気持ちは分かっている。
黒い瞳の奥からも、夕べ自分を見て真っ赤になった顔からも。
異性を見て赤く染まる顔は、好意や愛情の表れなのだと、シェリナ様のあの小説にもあった。
シェリナ様……そういえば……
「シェリナ様はどこかお身体の具合が悪いのですか?」
「え?」
思わずユリナは顔を向ける。
「少し違和感があったのですが、今、それが何かに気付きました。以前と比べると動作がゆっくりになられたというか……時々止まって休まれているというか……」
「それは……母も暑さに弱いからではないでしょうか? 元々貧血気味ですし」
「そうですか……でしたら良いのですが」
他人にあまり関心のないギル様が、何でこういうことには勘が働くの?
エメラルドの魔力のことには、これ以上触れて欲しくない……知られたくないのに。
動揺を隠しきれないユリナの瞳。ギルバートはもっと奥を探ろうと、密かに覗き込んでいた。
沈黙の中、いつの間にか景色は、緑から賑やかな街並みへと変わっていた。
この長い通りを抜ければ、間もなくギルバートの寮だ。
「ユリナ様、最後にお伺いしてもよろしいですか?」
「何でしょうか」
「私に下さった誕生日プレゼント……何故15歳の年から、毎年ブックカバーだったのですか?」
「……必要なかったですよね。申し訳ありません」
「いえ、責めているのではありません。理由が知りたいのです」
「……それしか思いつかなかったのです。他にも色々作ったのですが、結局それしか。貴方のお好きな物が本しか思いつかなくて……どうぞ、処分して下さい」
ギル様が私を酷く拒絶し始めたあの年、初めて渡したブックカバー。
いつか気持ちが通じた時、これなら使ってくれるかもしれないと願いを込めて。結局叶わなかったけど……
でも、こうして、最後のプレゼントのタイを着けてくれた。もう、それだけで充分だ。
その日、ユリナは初めてギルバートを真っ直ぐ見た。
無表情なのに、泣いている様な顔。その瞳の奥は、どこまでも哀しかった。
「ユリナ……」
手を伸ばそうとした時、ガタンと伝わる振動が停車を告げる。伸ばしかけたギルバートの手は行き場を失くし、膝の上に落ちた。
「では……私は着替えて二限から出席しますので」
「はい、お大事になさって下さい」
「ありがとうございました」
『またね、ギル様。またお会いしましょう』
ユリナはもう “またね” とは言ってくれない。
幼い日のあの別れの言葉が、どんなに特別だったのか、今ならよく分かる。
自分を降ろし、学校へと去って行く馬車を、ギルバートはいつまでも見ていた。
◇
その頃、同じ寮ではコレットがベッドの上で大量の汗を流していた。
何だこれは……体内の何かが二つに分裂する様な。
自分を纏うものに気付き、はっと息を呑む。
これは……風?
彼の頭の中には、学んだことのある一つの言葉が浮かんでいた。
“後天性魔力”────
数時間後、総合病院の魔力疾病科を受診するコレットの姿があった。
「症状はいつからですか?」
「寝苦しいと感じ始めたのは一週間程前からですが……新たな魔力の存在を感じたのは今朝です」
「非常に珍しいですが、後天性魔力で間違いありません。成人を迎えられると共に目覚めるケースが多いのですよ。魔力が定着するまでには個人差がありますので、それまでは身体のだるさや不眠などの諸症状があるかもしれません」
「新たな魔力が目覚めたら……既存の魔力はどうなりますか?」
「これはまた、更に珍しいケースですね。私が今までに診た後天性魔力の患者様は、初めて魔力をお持ちになる方ばかりでしたので。既存の魔力をお持ちの場合、もしかしたら双方のバランスを取ることが難しくなり、何らかの影響があるかもしれません」
医師はコレットのカルテをパラパラとめくる。
「貴方はランネ学園の生徒さんですか?」
「はい」
「でしたら魔力に関してはワイアット教授にお訊きになると良いかもしれません。魔力疾病にも詳しい方ですから。とりあえず鎮静効果のある薬を処方しますので……」
後の医師の言葉は耳に入って来なかった。
ずっと欲しかった風の魔力……これを持たない故に、自分はどこかベリンガム家の一員ではない気がしていた。
幼い頃から悩み、調べ、後天的に魔力が目覚めるケースもあると知り、自分がそうであればと願っていた。
だけど、何故、こんな時に……
自分が今一番必要としている地の魔力は、一体どうなってしまうのだろう。
コレットは婚約届を見つめながら、頭を掻きむしった。
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