第35話 ~宣戦布告~

 

「……無礼な。離してくれないか」


 うなるコレットに対し、ギルバートは挑発するかの様にリボンを持ち上げ、指でピンと弾いた。


 コレットはユリナの肩をがっちり抱くと、早足で本堂に入っていく。

 ……が、後ろにはギルバートがピタリと付いて来る。


 本堂内は自由席の為、新成人同士だけでなく、家族や恋人と着席しても良いことになっている。

 二人が座ったその真後ろの席に、ギルバートも着席した。


 ギル様……一体どうしたの?


 ユリナは横目でちらりと背後を見やる。


 ふと頭に温かい感触を感じると、コレットの大きな手に撫でられていた。


「髪も素敵だね」

「あっ……朝、モニカがアレンジしてくれたの。少し伸びたから」

「……耳の形も綺麗だ。普段は髪に隠れているから、気付かなかったな」


 頭から手を滑らせ、彼女の剥き出しの耳を指でなぞり出すコレット。ユリナは驚きのあまり、声も出せずビクッと震えた。


 パシッ


 ギルバートが後ろから、コレットの手を払う。

「……何をする!」

「触るな。呪具が傷付く恐れがある。そんなことも分からないのか」


 コレットはギルバートを睨みつけ、席を移動しようと立ち上がるも……

 拍手と共にランネ市長が壇上に上がった為、渋々その場に座り直した。



 式が終わると早々に、ユリナはコレットに肩を抱かれる。立ち上がろうとするも……


「ユリナ様、少しお話したいことがあります」


 いつの間にかまた、ギルバートに腰のリボンを掴まれていた。


「いい加減にしろ!」

 今度はコレットがギルバートの手を払う。


「婚約する女性を、他の男と二人きりにさせる訳がないだろう」

「誰が二人きりと言った?」

「……何?」

「お前も居た方が都合がいい」




 三人は華やかな本堂から離れ、誰も居ない校舎の裏へ移動し向き合う。


「……手短にしてくれないか? 今日はユリナのお父上にご招待を受けているんでね」

 勝ち誇った様に言うコレットを、ギルバートが嘲笑う。


「何がおかしいんだ」

「いや……せいぜい楽しんどけよ。今日が最後になるかもしれないんだからな」

「どういう意味だ」

 噛み付くコレットを無視し、ユリナへ向くと、ギルバートは問い掛けた。


「ユリナ様、貴女は私を愛していますか?」

「え……」

「私のことを愛していますか?」


 ギルバートの強い視線に耐えきれず、ユリナは目を逸らす。


「……先日はっきり申し上げた筈です。私は貴方を愛していないと」

「私の目をちゃんと見て、もう一度愛していないと言って下さい」


 ユリナはぐっと顔を上げ、真っ直ぐギルバートを見て叫ぶ。

「愛していません!!」


 ……彼女の瞳が揺れている。

 大きく見開かれた黒い瞳の奥がユラユラと。


 彼女の瞳は、こんなにも本心を語りかけてくれていたのに。何故今まで気付かなかったのだろう。

 目を逸らさずに、こうして真っ直ぐ彼女と向き合っていれば、遠回りをせずに済んだのに。

 ……自分の心にも、もっと早くに気付いたかもしれないのに。


「分かりました……貴女の気持ちはよく分かりました」


 ひと呼吸置くと、今度はコレットに向かい言い放つ。


「コレット・ベリンガム。確かにお前の言う通りだ。政略結婚に愛なんて要らない。これからは俺も、打算的かつ合理的にいかせてもらう」

「……は?」

「忠告だ。婚約はまだしない方が身の為だぞ」


 話は済んだのか、ギルバートはそれだけ言うと満足気に歩き出す。だが、急に何かを思い出し、ユリナの元へ慌てて戻った。胸の美しいタイに手を当てながら、彼は口元を緩める。


「ユリナ……これ、どうもありがとう」


 顔中にくしゃりと広がるその笑顔は、彼の十八年間の人生の中で、最も感情豊かで生き生きとした表情かおだった。



 ◇


 皇室の紋章入りの馬車は、気まずい空気と二人を乗せて屋敷へと向かっていた。

 沈黙が続く中、コレットの低い声が響く。


「タイ……彼にも作ってあげたの?」

「うん、誕生日プレゼントに作っていたの。処分したと思っていたんだけど……何故か手違いで彼の元へ」


 悪いことをした訳ではないのに、言い訳がましくなってくる。


「そう……よく分からないけど、不思議なこともあるんだね。まあいいや」


 笑顔に浮かぶ瞳を直視出来ず、ユリナは俯く。


 そんな彼女を見て、コレットは気持ちを落ち着かせる様に息を吐くと、小さな手を握った。


「ユリナ、今日で僕は18歳になったんだ。君の同意とご両親の承諾があれば、正式に婚約届を出せる。手続き……進めていいよね?」

「私……この間お返事したばかりだし、正直あまり実感が湧かなくて」

「それでいいんだよ。僕達は何も変わらないのだから。婚約しても、結婚しても、良い友達のままだ」


 本当にそうなのだろうか?

 彼の瞳に、こうして触れる手に、熱いものを感じるのは気のせいだろうか。


「……本当に彼を愛していないの?」

「え?」

「ギルバートのこと。愛していないんだよね?」

「……うん」

「ならいいんだ。安心したよ。僕はユリナを信じているからね」




 皇太子夫妻と共に成人を祝ったコレットが寮へ帰ると、ユリナに一日の疲れがどっと押し寄せる。


 ……が、今すぐにでも横になりたい身体を奮い立たせ、モニカの屋敷へ向かう。


「モニカ!」


「ユリナ。 あっ、その顔は……! ギルバートのヤツ、何か動いたわね。タイ、着けてた?」

「やっぱり! もう、どうして渡したりなんかしたのよ!」

「だって悔しかったんだもん。アイツ、いつもユリナの想いを適当にあしらってさ」


 モニカはソファーで本を読みながら、しれっと言う。


「もう……おかげで大変だったんだから」

 力が抜けたユリナは、モニカの横にぐったりと腰を下ろした。


「大変? なになに? 何があったの!?」

 本を放り投げ、モニカがニヤニヤとにじり寄って来る。


「ギル様が……なにかと私達に絡んできて」

「で? で?」

「私を愛していますかって訊かれたから、愛していないって答えた」

「そしたら?」

「……分かりましたって」


 モニカはソファーからずるっと落ちそうになる。

 アイツ……やっぱアホかな。


「でもね、ギル様……私のタイを着けてくれたの。笑いながらありがとうって言ってくれたの。もう、すごくすごく素敵で、すごく……嬉しくて……」


 突然わあっと声を上げて泣き始めるユリナを、モニカは慣れた手つきであやす。


「よしよし、良かったね、ユリナ」

「ギル様がっ大好きっ……よく分からないけどっ大好き」


 うん……アイツは私にも理解不能だわ。

 でも、これで切り刻まれた他の布達も、きっと成仏出来るわよね。


「一緒には居られないけど……今日のギル様を、一生忘れない」


 口に出してしまったことで、少し落ち着いた涙がまたぶわっと溢れる。ユリナは、情けない自分を支える為の呪文を唱えた。

「コレットと婚約しなきゃ……それが一番いいんだもん。…………あっ」


「どうしたの?」

「そういえばギル様が、まだ婚約はしない方がいいってコレットに言っていたの。……何でだろう?」


 へえ…………アイツが。

 なんか面白くなりそうだわ。


 モニカは興奮する口元を両手で覆うと、ふんふんと楽しげに身体を揺らした。


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