第33話 ~猛烈な何か~

 

 ギルバートは昼食も摂る気になれず、校舎隅の人気ひとけのないベンチに腰掛けた。


 何だアイツは……まるで自分の物みたいに。

 まだ結婚した訳でもない、たかが許嫁じゃないか。

 たかが……許嫁……



『私達は正式な許嫁ではありません。仮の許嫁なのです』



 ああ、俺達は許嫁ですらなかったのか。


 アイツが成人したら……ユリナは未成年でも、本人の同意と親の承諾があれば正式に婚約出来る。そうしたらもう、取り返しはつかない。


 だから? だからどうだというのだろう。

 そもそもユリナは俺を愛していないのだ。俺の魔力を必要としてもいない。

 散々冷たくしてきたのだから当然だ……俺とは、すっぱり縁を切りたいのだろう。



「ギル! こんな所にいらしたの? お昼がまだでしたら、ご一緒しませんこと?」


 何処からともなくレティシアがやって来て、馴れ馴れしく話し掛けられる。

 ただでさえ今は誰とも話したくないというのに……!

 派手な化粧に目がチカチカする。おまけにキツい香水が、からの胃を刺激して吐きそうだ。

 そんな俺の不快感になど全く気付かず、隣に座ると身体を密着させてくる。


「ねえ、ギルは成人の儀は地元と学園どちらに出席するの? 私、貴方の晴れ姿を是非拝見したいわ」


 成人の儀……確かコレット・ベリンガムも今月と言っていたな。

 ……ユリナはアイツを祝うのか?



『成人の儀で着けるタイも、彼女が作ってくれる予定でね。楽しみだな』



 あの大きな瞳で……自分の作ったタイを着けるアイツを見上げて。

 それはモヤモヤでも、痛みでもない。

 破裂しそうな程、猛烈な何かが込み上げる。


「どうなさったの? さあ、お昼に……」

 掴まれた腕を乱暴に振り払う。


「失せろ……」

「え?」

「どこかに消え失せろ!! 傍に寄るな!!」


 ギルバートの剣幕におののき、レティシアは足早にその場を去って行った。




 ◇◇◇


「皇女様、失礼致します」


 足を踏み入れたユリナの部屋。

 そのテーブルの散らかりようを見て、モニカはぎょっとする。


「ごめんね、散らかってて。今片付けるから、一緒におやつ食べよう」


 鋏を置き、ユリナが手元に集めだしたのは、布、布、布────


「ユリナ……これ!」

「うん……もう要らないから」


 それはユリナがギルバートの為に作っていたアスコットタイだった。鋏で丁寧に刺繍部分だけが切り取られている。


「生地は上等な物だからもったいないでしょ? 縫い直して、孤児院の子達のリボンを作ろうかなって」


 一体何色あるのだろう。茶色一つとっても何種類も……

 モニカはユリナがこれを作り始めた頃のことを思い出していた。



『なんで何色も作るのよ、もったいない。礼服の色を訊けばいいじゃない。それか先に渡して向こうに合わせてもらうか』

『だって……要らないって言われたら悲しいもん』

『沢山作った後に要らないって言われる方が最悪じゃない』

『でも何も訊かない方が、もしかしたら受け取ってくれるかもって、その間だけは幸せな気持ちで居られるじゃない?』

『ユリナ……あなたって本当に……』


 ギルバートのことが好きなのね。あんな男のどこがいいのか、私にはさっぱり分からないけど。


『……受け取っても着けないかもよ。あなたが今までに作ったプレゼント、一度も使っている所見たことないんでしょ?』


『要らない物を無理に押し付けちゃったんだから、仕方ないわ。……本当にモニカの言う通りね。最初に要るかどうか訊けば、彼の迷惑にならないのに。怖くていつも訊けないの。一度要らないって言われたら、そこからどんどん何かが壊れていってしまいそうで』


『ユリナ……』

『でも、もうこれで最後にするわ。だから沢山作るの』



 モニカの目には、切り刻まれたバラバラの布達が、まるで泣いている様に見えた。

 ユリナがそれらを持ち上げた時、ハラリと長い布が一枚落ちる。濃いグレーのそれは、美しい刺繍を輝かせ、無傷のまま絨毯に広がっていた。


「あ、これだけ切り忘れていたわ」

 ユリナが屈んで手を伸ばす前に、モニカの手が、さっとそれをさらっていく。


「モニカ?」

「要らないなら……これ、私がもらってもいい?」

「いいけど、何で?」

「丁度こんな色の布を探してて……そう! 実習で使うのよ」

「刺繍が邪魔じゃない?」

「いいのいいの! 自分で切るから」

「そう……」

「あっ! 私ちょっと用事思い出しちゃった! おやつはまた今度ねっ」


 目を丸くするユリナを背に、モニカは部屋を飛び出した。




 モニカはタイを掴んだまま、廊下を大股でズンズン歩く。裏口を抜けて庭を通り、モニカら親子が居住する離れの屋敷へ戻った。


「おお、モニカ」


 丁度休憩をしていた、父セノヴァが呼び掛けるも返事がない。


「モニカ……お前、何怖い顔で泣いてるんだ?」

「え?」


 父に言われて頬を拭うと、確かに手が濡れている。


「どうした? お父様が若者の悩みを聞いてやろうか?」

 興味半分、心配半分といったていで身を乗り出す父に、モニカは声を張り上げた。


「何でもありません!!」


 子爵令嬢らしかぬ素早い動きで階段を上がると、バタンと大きな音を立てて自室のドアを閉めた。


「……反抗期か?」

 静かな部屋で、セノヴァは切なげに呟く。


 暫くして、再びドアが開く音と共にモニカが下へ駆け降りてきた。


「お父様、ギルバートの取ってる授業知らない?」


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