第31話 ~男の子だったら~

 

「お兄様、やっぱりこちらにいらっしゃったのですね」


 中庭のベンチに寝そべり、はみ出した長い足を組み替えながら、カイレンが欠伸をする。


「ユリナか……折角気持ち良く寝てたのにな」

「お兄様を崇拝していらっしゃるご令嬢方がこのお姿を見たら、きっと驚かれますよ」

「それは困った。また婚期が遠ざかるな」


 愉快そうに笑いながら、うーんと伸びをし、座り直す。


 ここサレジア国の国民は18歳で成人を迎える。

 オーレンの代まで、皇族は19歳の誕生日を迎える迄に婚姻を結ぶことが義務付けられていたが、現皇帝がそれを廃止し、皇族も婚期を自由に選択することが認められた。


「お兄様はどなたか良い方がいらっしゃらないのですか? 首都でしたら、出逢いは沢山あるでしょう?」

「うーん、仕事が忙し過ぎてそんな気にならないんだよ。もう21だというのにね。婚期の自由というのも、逆にプレッシャーを感じるものだな」

「そうですか……」


 兄の隣にユリナもちょこんと座り、その端正な顔を見上げて尋ねた。


「お兄様も、許嫁が居たら良かったと思われますか?」


「どうだろう……居たことがないから分からないな。でも子供の頃からずっと一緒に居たら、愛だの恋だのを通り越して、離れがたくなるのかもしれないな。父上と母上なんて、互いに身体の一部みたいな感じだし」


「……では、私とギル様は余程相性が悪かったのですね」


 しゅんと哀しげに俯くユリナの銀髪を、カイレンは優しく叩いた。


「それにしても思い切ったな、この髪。ランネ市から流行りだしたって噂の、耳の下で丸く結わく髪型は皇女様発祥だったか」

「嘘! 本当に?」

「ああ、この間の園遊会でも、こんな斬新な髪型の令嬢ばかりだった」


 モニカ……恐るべし。


「似合ってるけど、何で切ったの?」


 自分を覗き込む、兄の澄んだ水色の瞳。ユリナは包み隠さず正直に答えた。


「自分の中から、綺麗なものを失くしたかったんです。銀髪は、自分の中で唯一綺麗なものだから。……誰にも頼らず、一人で強く生きていく為に」


「エメラルドの魔力のことを知ったから?」

「はい」

「そうか……でもユリナは、他にも沢山綺麗な所があるから、髪だけ切っても無駄だと思うけど」

「……他にも? それは一体どこですか?」


 いぶかしげなユリナの顔に、カイレンはぷっと吹き出す。


「さあね。将来の夫に聞いてごらん」


 将来の夫……

 ユリナの顔が再び曇る。


「私もお兄様みたいだったら、ギル様は好きになってくださったでしょうか」

「僕?」

「はい。ギル様は家にいらっしゃった時、お兄様だけには心を開かれている様に見えました」

「そうかなあ……まあ、将来僕の側近になりたいとは言ってくれたけどね。もし、彼が心を開いてくれているのだとしたら、それは僕らが似ているからじゃないかな」


 似ている? お兄様とギル様が?

 共通点を探してみるも見つからない。首をひねってやっと思い付いたのは、


「お顔が綺麗な所と背が高い……所でしょうか」


 可愛らしい妹の答えに、カイレンはふっと笑う。


「違うよ。僕達は変わり者同士なんだよ」

「変わり者?」


「うん。彼は、自分の世界を何より大切にするだろう? 僕も一見社交的に見えるかもしれないけれど、自分と他者との境界線はしっかり引きたいタイプでね。だから、何となく互いの気持ちが分かったのかもな」


「……お兄様と私は仲良しなのに」

「ははっ、家族は別だよ」

「せめて私も男の子だったら良かったな……お兄様の補佐も出来るし、エメラルドの魔力も受け継がなかったのに」


「僕は可愛い妹が欲しかったから……女の子の君が生まれてくれて、すごく嬉しかったよ」


 カイレンは、ユリナの銀髪をくしゃくしゃと撫でながら微笑んだ。



 ◇◇◇


 カイレンと過ごす二週間は瞬く間に過ぎ、再び彼が首都へ発つ日がやって来た。


「お兄様……また帰っていらして下さいね。お身体を大切に」


 昨日からずっと、泣くのを我慢しているユリナ。瞼を突つけばすぐにでも涙が溢れそうだ。


「ああ、ユリナもね。今度の長期休みには、宮殿へ遊びにおいで」


 優しく抱き締めると、案の定、ふええと子供の様に泣き出した。暫くなだめた後、今度は父に肩を抱かれる母の元へ向かう。


「カイ……あなた、また背が伸びたんじゃない?」

 自分をぽかんと見上げる、母の無邪気な表情が可笑しい。


「流石にもう伸びませんよ。父上に後2cm及ばなかったのが惜しい所ではありますが」

「まだまだだな」


 明るい笑い声が響いた後、それとは真逆の寂しい沈黙が続く。


「……カイ、帰ってきてくれてありがとう。お母様は大丈夫だから、自分のことを一番に考えなさい。身体に気を付けて、無理しないでね」

「母上……」


 シェリナは自分の背丈よりも遥かに大きい息子を抱き寄せると、子供の頃の様に背中をトントンと叩いた。

 カイレンは何かが溢れぬ様にぐっと目を瞑り、震えそうな声を押し殺す。


「母上、またお会いしましょう。それまで必ずお元気でいて下さいね。必ず、必ずですよ」


「ええ。またね、カイ」



 カイレンが出立して間もなく、長い休みが明け……間もなくランネ学園の後期授業が始まろうとしていた。



 ◇◇◇


 後期最初の共存魔術の授業。


 変わらず一番前の席に座るアッシュブラウンの髪は、前期よりも果てしなく遠く感じた。

 彼の左隣に、レティシアの姿はもうない。


 聞いてはいたけど……本当に来なくなってしまったんだ。

 ユリナはあの合宿での事件を振り返り、複雑な気持ちでいた。



 そしてこの日も、変わらずコレットと復習に取りかかる。


「そのブックカバー素敵だね」


 青い布に銀糸の刺繍が施されているカバーを見て、コレットが言う。


「ユリナの紋章?」

「うん。自分で刺繍したから、ちょっといびつな所もあるんだけど」

「自分で!? 素晴らしいね」

「小さい頃から習っていたの。自分の針で、少しずつ模様が生まれるのが楽しくて」

「そうなんだ……よく見せて」


 コレットはブックカバーを手に取り、あらゆる角度から見ては感心する。そしてあることを思い付くと、ユリナへ向き直った。


「ねえユリナ、君に頼みがあるんだけど……」

「何?」

「成人の儀で着けるタイに、僕の紋章を刺繍してくれないかな。でも今月だから……急過ぎるよね」



 何も答えないユリナを否定の意と受け取ったのか、コレットは慌てた。


「ごめん、幾らなんでも急過ぎた」

「……9月28日? 学園で?」

「うん。実家では休み中に祝ったから、儀式にはこっちで参加するよ」


 サレジア国の成人の儀は、主に地元か、遠方の学校に通っている者はその地で行う。

 ひと月に一回、その誕生月の者を合同で祝うことになっており、このランネ学園でも毎月儀式が執り行われている。


 ギル様が出席するかもと覚えていた日にち。

 そうか、コレットも9月生まれなのね……


「大丈夫」


「え?」

「私に作らせて」

「ユリナ……本当に?」

「うん。礼服は何色?」

「シャンパンゴールド。もう寮にあるんだ。タイはこちらで用意するから」

「大丈夫よ。礼服の色味を見させてもらえれば、タイも作るわ。そうね……コレットの髪と合わせて、茶系の布に金糸で刺繍したら、きっと素敵ね」


 コレットは、微笑むユリナの手を取る。


「ありがとう……きっと僕の中で、一番心に残る誕生日になるよ」

「誕生日? もしかして……」

「そう、成人の儀と同じ、28日なんだ」

「じゃあとびきり素敵なのを作らないとね」


 ユリナは自分の中で、動けない何かを必死に動かそうとしていた。


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