第29話 ~決断~
兵から報告を受けたオーレンは、拳をわなわなと震わせる。
やはり合宿など行かせるべきではなかった……
兵を下がらせると、怒りに任せて机上の物を手で払い落とした。
ガシャアアアン!!
傷付いた手に滲む血を睨みつける。
シェリナのエメラルドの魔力がなければ、自分は子供の頃にとうに死んでいた。
だが……
今はその魔力が憎い。憎くて堪らない。
妻だけでなく娘まで……
なんと皮肉な運命なのだろう。
『ギルバート様が皇女様の魔力を抑えられました』
兵の言葉を振り返る。
そうか……ギルバートが……
オーレンは苦し気に目を閉じると、血の滴る手で額を覆った。
◇◇◇
「お母様は本当にお疲れになっただけなの? 何かのご病気なのではないかしら」
公務先から戻った母は、もう丸三日も目を覚まさない。ユリナの問いに、ユニはシェリナの身体を拭きながら明るく答えた。
「心配なさらなくても大丈夫ですよ。医師のヒーリング魔術を受けて、ぐっすり眠っていらっしゃるのでしょう。お目覚めになった頃には、きっとすっかり回復なさっていますよ」
「そう……」
「今日はワイアット様がこちらへいらっしゃいますから。ユリナ様はおもてなしのお菓子を作って下さいな。以前お気に召されていたゼリーケーキなどはいかがでしょう?」
「いいわね、見た目も涼しげだし。お母様もお好きだから、多めに作って、お目覚めになったら召し上がって頂くわ」
「ええ」
キッチンへ向かうユリナを見送ると、ユニは泣きそうな顔でシェリナを見下ろした。
「後遺症にどれだけ効果があるかは分かりませんが……私が用意し得る中で、一番強力な護符をお持ち致しました」
ワイアットは、数枚の護符をオーレンに手渡す。
「ありがとうございます。急なことなのに申し訳ない」
「いえ……まさか心臓に後遺症が残るとは。ですが冷静に考えてみれば、あれ程のダメージを受けて、生きておられたのが奇跡なのです」
「……そうですね」
「殿下、どうか、何も誰もお責めにならないで下さい。シェリナ様もそれは望まぬ筈です」
「ワイアット先生……私は自分が一番憎いのです。結局は、妻も娘も守れていないのだから。私など何の役にも立たない」
ワイアットは静かに首を振る。
「いいえ、皇太子殿下。シェリナ様と、お子様方をよくご覧下さい。貴方様は充分、御家族を守って来られました」
オーレンはワイアットと共に、眠るシェリナの元へ行き、枕の下と胸元に護符を入れた。
「あとはシェリナ様の生命力にかけましょう」
「はい……」
「なあに、お子様を御二人もお産みになり、ここまでお元気で来られたお強い方です。きっと大丈夫ですよ」
ワイアットは天下の皇太子に、まるで幼子をあやすかの優しい口調で語りかけた。
「先日の合宿では、私が付いていながら申し訳ありませんでした。まさか伯爵令嬢があの様な危険な行為に及ぶとは……考えが至りませんでした」
「いえ、公平なご処分に感謝しております。合宿でのことは、負担にならないようシェリナには一切伏せようと思っています。逆にユリナにはシェリナの病状を」
ワイアットは、強張ったオーレンの肩に温かい手を乗せる。
「何かあればいつでもご相談下さい。……君も私の生徒であり、また息子の様な存在でもあるからね」
温かな言葉に、この日オーレンは初めて笑うことが出来た。
ワイアットが帰った後、ユリナはの母元へ行き、ゼリーケーキを一切れサイドテーブルに置いた。
「お母様……沢山お話ししたいことがあるのよ。まだお目覚めにならないの?」
ふと首元を見ると、汗の玉が光っている。濡らしたタオルで拭こうと枕をずらした時、カサリと何か厚い紙が落ちた。
拾い上げようと伸ばした手に、ピリッと強い魔力が走る。
これは……護符?
学校で教わったことがある。全ての文字が読み取れる訳ではないが、これは恐らく何かの魔力から身体を護る為のものだ。
ユリナはそれを枕の下へ戻すと、一向に戻らない白い顔を見下ろし、考えを巡らせた。
皇太子の屋敷には、宮殿と同様に、常に専属医が常駐している。
突然部屋を訪れた皇女に、シェリナら
「これはユリナ様!いかがなさいましたか?」
「……エマ医師、父から全て聞きました。母の容態は本当に良くならないのですか? 護符で少しは快方に向かうのでしょうか」
ユリナは鎌をかけてみる。もしただの疲労などではなく深刻な病状なら、父は絶対に口止めをしている筈だからだ。
エマ医師は驚いた顔で口を開く。
「殿下から伺ったのですか?」
「ええ」
すると医師は、少し難しい顔で続ける。
「そうですね……黒魔術の後遺症ですから、残念ながら全快されることはございません。ただ護符の力で進行を抑えることは可能だと思います。シェリナ様はお強い方ですので、きっと大丈夫ですよ」
ユリナはふらつく足で廊下を辿り自室へ向かう。
やはり母は疲労などではなかった。黒魔術の後遺症……エメラルドの魔力のせいだ。
本当に……なんと恐ろしい魔力なのだろう。
母を失う恐怖と、いつか自分を襲うであろう恐怖に叫び出しそうになる。
自分の部屋に入ると、箱から丁寧に仕舞われた長い布を何枚か取り出す。
グレー、紺、茶色、黒……
その全てに金糸や銀糸で、ギルバート個人の紋章が刺繍されている。来月18を迎えるギルバートの為、成人の儀で着用するアスコットタイを作っていたのだ。
どの色の礼服を選ぶか分からないので、後からでも合わせられるようにと何色も用意した。
贈ったところで、身に着けてもらえるかは分からなかったけれど。
それでも見たかったな……ギル様の晴れ姿。どんなに素晴らしかっただろう。
ユリナは華やかなタイの上に、こてんと頭を置く。
でも……やっぱりこれで良かった。
ちゃんとお別れ出来て本当に良かった。
あとからあとから涙が溢れては、美しい刺繍に染みを作っていく。
『ご両親を安心させてあげることが出来ると思うよ』
『お母様、もし私が彼と結婚したら安心ですか?』
『ええ勿論、とても安心だわ』
頭を占めるのはコレットと母の言葉。
痛む胸の中、ユリナは決断をしていた。
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