第26話 ~愛したことなどない~

 

 人気ひとけのない木陰に二人は立つ。

 ギルバートはユリナへ向かい、単刀直入に尋ねた。


「コレット・ベリンガムが新しい許嫁というのは本当ですか?」

「……まだ正式には決まっておりませんが。両家で話が出ているのは事実です」

「貴女は前に言いましたよね? 私とは想い合うことが出来ないと。彼とはそれが可能なのですか? 私と別れたのは、彼が理由ですか?」


 畳み掛けられるも、ユリナは顔を引き締め答える。


「彼とは……政略結婚です」

「政略結婚?」

 ギルバートが眉をしかめる。


「両家の利益が一致するのです。皇族や貴族にとっては一般的なことでしょう」

「本当にそれだけですか? 彼に少しも気持ちはないと?」

「親戚として、友人として大切に思っています。それはコレットも同じだと、先日互いの意思を確認し合いました。契約なので、それで充分でしょう」


「……貴女の魔力のことも関係するのですか?」

 ユリナの心臓がドキリと跳ねる。


「私達が許嫁だったのは、貴女のエメラルドの魔力が暴走した時、私の地の魔力で抑える為ですよね? 今は彼の地の魔力を必要としているのですか?」

「……はい、その通りです」

「代わりが見つかったから、私はもう用済みという訳ですか?」

「……そういうことになるでしょうね」


 感情の起伏に乏しい、いつも冷静なベールを纏っている彼の表情かおが、ぐにゃりと歪んだ。

 薄い唇から、消え入りそうな声が抜ける。


「あれだけ幼い頃から一緒に過ごして……私達の間には何も生まれなかったのですね。彼に向けている、友人としての情でさえも」


 何かに曇った灰色の眼差し。それが哀しみに見えるのは気のせいだろうか。

 だって、ギル様が哀しむ理由なんて、何もないのだから……


 ユリナはすうっと息を吸い込むと、すぐにでも溢れてしまいそうな感情に厳重に鍵をかける。

 そして、自分が持ち得る中で一番醜い表情かめんを顔に被せ、強い声を喉の奥から発した。


「……何も生まれなかった? 当然でしょう。貴方と過ごした八年間より、コレットと過ごしたこの数ヶ月の方が、ずっと沢山の会話をしているのですから。貴方は私の何を知っているのですか? 好きな食べ物も、詩も、色も……何も知らないでしょう? 私も貴方のことを何も知りません。私達の間にはいつも分厚い本があり……こちらを見てもらえることはありませんでした」


 感情が溢れそうになり、慌てて唇を噛む。

 ただ黙って耳を傾けるギルバートに、ユリナは残酷な言葉を浴びせた。


「そんな退屈な貴方を、私が愛せる訳ないでしょう? 同じ魔力を持つ優しい人が居るなら、乗り替えて当然じゃない。もう貴方は要らないの」


 時も……呼吸も止まる。二人の間を、永遠と思われる静寂が支配した。


 やがてギルバートは数歩後退ると、ユリナから目を背け、掠れた声で言う。


「よく……分かりました。いえ、分かります。私も貴女を愛したことなどないので。皇女でなかったら、許嫁でなかったら、一生関わることもなかったでしょう」


 “愛したことなどない”


 分かっていた筈なのに……決定的な彼の言葉がこんなに深く胸を抉る。

 だけど、絶対に泣いてはいけない。

 彼を解放しなくてはいけない。


「お互いに、もっと早く気付けば良かったですね。────八年間、貴重な時間を無駄にしました」


 ユリナは今まで生きてきた中で、一番冷たい笑みを浮かべて言った。




 もしギルバートが目を背けず、もう少し深くユリナを見つめていたなら、彼女の心の機微に気付けたかもしれない。

 だが彼は、逃げる様にその場から立ち去ってしまった。


 一人になったユリナは、冷たい地面に腰を下ろすと何度も頷く。


 これでいい、これで……

 もう彼がエメラルドの魔力に関わることはないだろう。


 気を抜くと落ちてしまいそうな涙。天を仰ぎ、必死で飲み込む。



 ただ傍に居られれば良かった。

 本を読む綺麗な横顔も、分かりづらい優しさも、意外と不器用な所も……

 そのままの彼を、全部、全部愛していた。




 ◇◇◇


 レティシアは合宿場から実家の屋敷に帰るなり、自室に籠った。壁一面の本棚から、怒りに任せて本を抜いては放り投げていく。


「お嬢様! どうかなさいましたか!?」

「うるさい! 入って来るな!」


 一通り投げ漸く気が済むと、ドレッサーの前に座り、乱れた金髪にブラシを当てる。



 幼い日、母に連れられて行った園遊会。

 大人も子供もガヤガヤと華やかなその場所で、一箇所だけ異質な空間があった。

 木の裏で、ひっそりと本に目を落とす姿。

 長い睫毛に縁取られた、薄い灰色の切れ長の瞳、アッシュブラウンのサラサラの髪。周りの喧騒を全て吸い込むかのオーラに釘付けになった。


 彼が “人” に興味がないことが分かると、私は別の方法で彼に近付いた。国内ではなかなか手に入らない、近隣諸国の珍しい本を取り寄せては彼の元へ持っていく。彼が目を輝かせ、興味を示してくれるのが嬉しかった。


 対等に話せば話す程、彼はこちらを向いてくれる。私も彼に負けない位本を読み漁り、知識を増やしていった。

 それでも彼はまだ遠く、羞恥心を堪えながら母に縋った。



『お母様! 私は将来、どうしてもギルバート様と一緒になりたいのです』

『私もそうなれたらと思っていたけれど……ギルバート様には既に御相手が決まっていらっしゃるそうよ』

『……え?』

『この間婦人会のことでキャンベル家のお屋敷にお邪魔したらね、小さなお嬢様がいらっしゃって。どうやらその方らしいわ』

『その方は……どんな子?』

『珍しい銀髪に大きな瞳で。もしかしたら……』


 母がこっそりと耳打ちする。


『皇女様かもしれないわ』

『皇女様……』

『何年か前に一度お見かけしたことがあるけど、そっくりなの。もしそうなら、伯爵家の我が家ではとても敵わない御相手だわ』



 せめて侯爵だったら……爵位を落としたお祖父様のせいだと母がぶつぶつ言っていた気がするが、どうでも良かった。

 ただ、ギルバート様と自分とが決して結ばれないという事実だけが、頭をぐるぐる渦巻いていた。


 母の情報から、その皇女らしき令嬢はひと月置きに公爵家を、また、ギルバート様もひと月置きにランネ市を訪れていると知る。

 彼の御相手が皇女であることは濃厚だった。


 それからは狂った様に皇女や皇室のことを調べた。

 お祖父様を侯爵から伯爵に追いやった皇室の黒魔術事件。それに関わったとされるエメラルドの魔力のことも。ヨラムの資料から我が家の情報網を使い……発覚したその事実に震えた。


 そんな悪魔みたいな恐ろしい魔力を持つ女が、ギルバート様の地の魔力を利用する為だけに傍に居るなんて許せなかった。

 皇女という身分を笠に。


 入学式で壇上に立つ皇女は、銀髪以外は平凡としか言い様のない女だった。

 あんな女をギルバート様が愛する訳がない。

 彼を解放してあげないと……私は皇女に近付いた。



 共存魔術の授業には出られなくなってしまったけど、他にもギルバート様と同じ授業は沢山ある。

 皇女も新しい男が居るし……もう、これからは遠慮しない。


 レティシアは美しく整った金髪に、香水を振りかける。


 熱中症で倒れた皇女を大切そうに抱き上げた彼。

 皇女と楽しそうに料理をする彼。

 皇女を侮辱するなと怒った彼。


 掴みどころのない焦りを、むせ返る香りで誤魔化した。


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