第24話 ~“元” 許嫁には用がない~

 

 ギルバートの額にどっと汗が滲む。

 なんて強力な魔力なんだ……


 身体が一瞬ぴくんと震えたかと思うと、大きな瞳からすうっとエメラルド色が引いていく。元の澄んだ黒色に戻ったことを確認すると、ギルバートはほっと胸を撫で下ろした。

 ユリナの強力な魔力と、封印の力が反発し合ってオーバーヒートを起こしていたのだろう。


「手は動かせますか?」


 ユリナは指を曲げ動くことを確認すると、今度は腕を上げてみる。

 そのままゆっくり、両手を自分の目に持っていき、力なく覆った。手の隙間からは涙がほろほろと溢れ、肩を震わせている。


 そんなに嫌だったのか……

 ギルバートは流れる汗をそのままに、唇を噛み締めた。


「申し訳ありませんでした……どうしても目を開けさせたくて」

 ユリナは首を振るだけで何も答えず、ただ嗚咽を漏らし続けた。



「……何をしている?」


 いつの間にか、コレットが木の間に立っていた。

 ユリナに跨がったままの状態に気付いたギルバートは、そっと身体を起こし淡々と答える。


「地の魔力で抑えた。もう問題ない」


 ギルバートはユリナを抱き上げようと、背中と足に腕を差し込む。


「触るな!」

 鋭い声で牽制したコレットが大股で近付き、ギルバートを払いのけた。


「後は僕が看るから……これ以上彼女に触れないでくれ」


 そう言いながら自分の物の様にユリナを抱き上げる姿に、ギルバートの中でプツンと何かが切れる。


「何の権利があって……お前はユリナの何だ?」

「新しい許嫁……いや、婚約者候補だよ」


 ────え?


 言葉を失うギルバートを振り返り、コレットは冷たく言い捨てた。


「 “元” 許嫁には用がない」




 コレットはユリナを抱いて、ワイアットの元へ連れて行く。


「ユリナ! 大丈夫か?」

「……ギルバートが魔力で抑えた様です」

 コレットが代わりに答える。


「小屋を一棟空けたから、そこで休ませよう。付いて来なさい」



 椅子に下ろされたユリナを、ワイアットが慎重に確認していく。髪を上げてピアスを見ると、安堵の息を漏らした。


「良かった……呪具に異常はないな。瞳の色も戻っているし……気分はどうだ?」

「はい。少し疲労感はありますが、身体も動かせますし大丈夫です」

「そうか、安心したよ。今日は一日、此処で休んでいなさい」

「朝食の準備は……」

「夕べ君が殆ど済ませてくれたから大丈夫だよ。代わりに働ける者もいるしね。コレットは暫く傍に付いていてあげなさい」

「はい」


 そう言うとワイアットは小屋を出て行った。



 コレットはユリナをじっと見つめると、左手で小さな手を握り、右手で涙の跡が残る白い頬を撫でた。


「少し冷たいな……念の為もう一度魔力で抑えるから、目を開けていて」

 コレットもギルバートと同じ様に、ユリナの瞳に手をかざし、地の魔力を送り込んだ。


「もしまた辛くなったら言って」

「ありがとう」


 抱いてここまで連れて来てくれた時からずっと、いつも朗らかな彼が、別人の様に険しい顔をしている。

 心配をかけてしまったからだろうか。


「あの……コレット」

「彼に何かされた?」

「え?」

「どうして泣いていたの?」


 ユリナは目を伏せる。


 ギルバートにだけは、彼にだけは魔力のことを知られたくなかった……彼だけは巻き込みたくなかった……その為に彼から離れたのに。


 今にも泣きそうな顔で口を結び続けるユリナを、コレットはぐいと力強く抱き寄せた。


「コレット……」

「僕が傍に居るから。魔力も全部引き受けるから。安心して頼って欲しい」


 少し離れると、いつもの朗らかな笑顔で言った。


「君とは、何としても政略結婚を成立させたいからね。ベリンガム家の嫡男として」





 ワイアットに朝食の支度を命じられたレティシアは、鍋の蓋を取り乱暴にスープをかき混ぜる。


「何これ……」

 杓子に載った鶏の骨や玉ねぎの皮を見てふっと笑う。


「さすが平民の血が濃い皇女様だこと。こんなものを貴族に出すなんてどうかしているわ。ねえ、ギルバート様」


 ギルバートは皿を置きながら言い放つ。


「皇女を侮辱するな。文句があるなら自分で作れ」

「あら、この間貴方だって同じことを仰っていたじゃない」


 米を用意していた平民のメイが、二人をギロリと睨んだ。


 そうだ……確かに自分も、同じことを言ってユリナを傷付けた。

 後悔と、激しい嫌悪感に襲われる。


「もう殆ど出来ているみたいだし、炊事に慣れている人も居るから……私は必要なさそうね」


 メイを見てくすりと笑うと、レティシアは切り株に腰掛けた。


「大体さっき怪我したばかりなのに働かせるなんて、ワイアット先生もどうかしているわ」

「……もう治っただろ」


 その為にユリナがどんな目に遭ったか……

 あの冷たい身体を思い出すと、心臓が壊れそうになる。


「ねえ、ギルバート様、私と実技のペアを組んで下さるの?」

「まだ分からない」

「私達なら魔力も均衡しているし、絶対に良い評価を貰えると思うの」


 メイは苛々しながら大声で叫んだ。


「無駄話ばかりしていないで果物でも剥いてくれませんか? 身分がどうのこうの言うなら、公爵家の令息が働いているのに、伯爵令嬢の貴女が休んでいるなんておかしいでしょう?」

「貴女……誰に向かって!」


 ウィルがまあまあと宥めながら、レティシアにナイフと林檎を渡した。



 


「何これ……」


 皿の上の粉々になった林檎を、皆が覗き込む。


「ユリナ様はどうされたのですか?」

「体調を崩してね、今日は休ませる予定だよ」


 朝の騒ぎを見ていた生徒達は、ワイアットの言葉にひそひそと囁き合う。


「それにしてもこのリゾットは絶品だなあ。とても捨ててしまう部分で出汁を取ったとは思えない。なあ、レティシア?」


 同意を求めるワイアットに、レティシアはまたしてもスプーンを置き口を拭う。


「すみません……やはり食べ慣れないもので」

「そうか」


 ワイアットもスプーンを置くと、レティシアに向かって言った。


「馬車を用意させてあるから、食事が済んだなら荷物をまとめて帰りなさい」

「え?」

「君には私の授業を受ける資格がない。今後二度と出席することは許さない」

「……何故ですか!?」

「自分が一番良く分かっているんじゃないか?」


 ワイアットの眼鏡の奥の細い目が、生徒の誰一人として見たことのない厳しさでレティシアを見据えていた。


「仰ることが分かりません……」

「今朝のことを全て見ていた者が居るんだよ。……私の “助手” がね」


 ワイアットの視線に、今朝ユリナに付いてきていた兵が頭を下げた。


「魔力で人を陥れ、自分だけでなく他人の身体まで危険に曝した。どんなに優れていても、君に魔力を扱う資格はない」


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