第22話 ~気味が悪い~

 

 一瞬何が起こったのか分からず、ユリナは振り下ろした手をそのままに立ち尽くす。


 つうっ……


 血が流れる頬を押さえ、その場に座り込むレティシアを見て、漸く我に返った。


「レティシアさん!!」


 駆け寄り何度か呼び掛けるも、レティシアは微動だにしない。

 どうしよう……

「待っててください!」


 ユリナはワイアットの居る小屋まで走り叫んだ。

「先生! ワイアット先生!」

「ユリナ、どうしたんだ?」

「私、レティシアさんを魔力で傷付けてしまって……」

「何だって!?」



 レティシアの元に戻ると、そこには練習にやって来た生徒数人がいた。中には昨夜ほとんど寝付けないまま早起きしたギルバートとコレットの姿もある。


「レティシア、見せて」

 ワイアットがレティシアの手を退けると、美しい頬にぱっくりと深い傷が入り、血がダラダラと流れている。


「ああ、これは結構ひどいな……風の矢か?」


 ユリナはこくりと頷く。

 魔力で人を傷付けてしまった……

 次第に事の大きさに気付き、身体がガタガタと震え出す。


「レティシアさん、ごめ」

「申し訳ありません! 皇女様!」

 ユリナの言葉を遮り、レティシアが頭を下げる。


「……え?」


「皇女様がいらっしゃるというのに、私が場所をお譲りしなかった為に……お怒りになるのも当然です」

 生徒達がユリナを見る。


 何を言っているの……?

 理解が追い付かない。

 的の前には確かに誰も居なかったはずなのに……


「先生、どうか皇女様をお咎めにならないで下さい。身分を弁えなかった私が悪いのです」

 涙を流すレティシア。頬の血と混ざり合い、ポタポタと落ちてはドレスを薄赤く濡らしていく。


 ────産まれてから今まで、悪意というものにあまり触れずに育ったユリナ。このレティシアの発言の意図を即座に処理することが出来ず、ただ青い顔で立ち尽くしていた。



 ギルバートは傷を負ったレティシアではなく、震えるユリナを見つめる。

 違う……ユリナはそんな人間じゃない。皇女のくせに、自分が濡れるのもいとわず、傘を差し出す人間だ。

 ギルバートが口を開きかけた時、


「ユリナはそんなことしませんよ」


 コレットが声を上げた。


「ユリナは皇女の身分を誇示して、人を害する様な人間ではありません。決して」

 きっぱり言い切ると、ユリナの方へ向く。


「故意に彼女に矢を放った訳ではないだろう?」

「……的の前には誰も居ないと思ったの。でも、ちゃんと確認していなかったのかも」

「前に皇法学園のSクラスの生徒が、氷の消却魔術を使って、自分の姿を透明化しているのを見たことがある。もしそんな状態で的の前に出られたら気付けないけど……そういえば、レティシアの魔力も氷だったよね?」


 氷の消却魔術とは、細かい氷の粒を反射させることで、物体を透明化する高度な魔術だ。魔力の高い者は、人の姿を消すことも可能である。


 レティシアは紫の瞳を吊り上げ、コレットを睨む。

「何故私が、自らそんな危険を冒す必要が?」

「さあね、それはこちらが訊きたいよ」


 ワイアットはレティシアの傷を再び見ると言った。

「とりあえず治療が先、処分はその後だ。レティシア、歩けるかい? 医師が待機している小屋へ一緒に行こう」




 診察を受けている間、外で立ったまま祈り続けるユリナに、コレットが寄り添う。

 やがて小屋から出てきたワイアットと医師へ、ユリナは震える口で尋ねた。


「……レティシアさんは?」


「回復魔力で塞がったが、やはり魔力で付いた傷だから痕が残ってしまってね」


 ユリナは顔を歪める。脳裏に浮かぶのは、同じく魔力で傷付いたという母の手首の火傷痕。

 自分の魔力のせいで……レティシアの美しい顔が……

 ユリナは顔を覆う。


 ワイアットはユリナの肩をポンと叩く。


「帰ったら大きい病院で見て貰えるから。あの程度なら、何度か治療を重ねれば綺麗になると思うよ。それより、君も少し休んだ方がいい」

「いいえ、私は此処にいます」

「……そうか、また後で来るから」


 隣のコレットと、そして少し離れた所で様子を見守っていたギルバートに向かい、ワイアットは言った。


「君達は二人の分まで朝の仕事をしなさい。さあ、行くよ」


 コレットは心配そうにユリナを見下ろす。


「大丈夫、行って。どうもありがとう」

 青い顔に懸命に笑みを浮かべて言った。




 小屋の中ではレティシアが鏡を見つめ焦っていた。

 傷が残ってしまったらどうしよう……まさかあの子の魔力があんなに強いなんて。


 皇女とギルバート様の仲にむしゃくしゃし、早朝から的当てで発散していた。

 暫くして練習場にやって来た皇女に気付き、顔を会わせたくなくて咄嗟に木陰に身を隠した。その時……不意に思い付いた。皇女が自分を攻撃したと知れば、ギルバート様はこちらを向いてくれるかもしれないと。


 自分に消却魔術をかけて姿を消し、ゆっくり的に近付いていく。一度目の矢で軌道を確認すると、的の中心より少し横に立つ。

 ……ほんの少し、髪に矢が掠める程度だと思っていたのに、二度目の方が威力を増していて避けきれなかった。


 今思えば、危険で無謀な行為だったと思う。だけどこれで彼を手に入れられるなら……

 再度鏡を覗き、ため息を吐いた。




 ショックの余り、レティシアが休む小屋の前に座り込んでいたユリナだが、意を決し中へ入っていく。


「……レティシアさん」


 皇女……!

 レティシアは鏡からユリナに視線を移すと、キッと睨む。


「傷を見せて貰えませんか?」

「……この通りです」


 美しい頬には、赤く腫れた筋の様な傷痕が残ってしまっている。


「ごめんなさい……ごめんなさい……」


「このことは父にも祖父にも報告させて貰います。我が家が今まで皇室にどれだけ貢献してきたか。皇女が大事な娘に魔力で傷を負わせたなんて、黙っていないことよ」


「ごめんなさい……」


 ユリナは泣くのを堪え、レティシアの頬を凝視する。痛々しい傷痕を見ている内に、次第に身体の奥から、激しい何かが込み上げてくるのを感じた。その何かを放つ為、レティシアの頬に手をかざす。

 自分の中でせめぎ合う、放ちたい力と抑える力。片手だけでは足りず、両手をかざし、限界まで力を放った。


「え……?」


 頬がふわっと温かい空気に包まれた瞬間────

 ユリナの黒い瞳が強く光り、濃いエメラルド色に変化した。

 やがて光と熱が落ち着くと、ユリナはすっと手を下ろす。その瞳には元の黒色が射し、二色が入り交じった奇妙な色でレティシアを見つめていた。


 ふと鏡を見れば、頬の傷痕が何事もなかった様に綺麗に消えている。


「ああ……そう……これがエメラルドの」


 鏡からユリナ、ユリナから鏡へ。交互に視線を彷徨わせ、レティシアはふっと笑う。


「流石、災いを呼ぶ魔力ね。その瞳……悪魔みたいで気味が悪いわ。ほら」


 レティシアはユリナにくるりと鏡を向けた。





 はあ……はあ……


 何だろう、身体に力が入らない。

 足は何とか動くものの、頬にかざした両手はだらりと垂れており、まるで神経が通っていない様だ。

 何とか身体を引きずり、夕べ、コレットと来た湖の畔へ座る。


 朝日にキラキラ光る水面の鏡を、恐る恐る覗き込む。そこには、レティシアの言う通り、悪魔みたいな色が映っていた。


「本当に……気味が悪い」


 自分では制御出来ない身体の変化に、激しい嫌悪感と恐怖が込み上げた。


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