第21話 ~理性と感情~
「美味しい……」
「これ、本当に四人で……?」
温かいシチューとパンケーキに、生徒達が舌鼓を打つ。慣れない労働に疲れ果てた心身に、優しい味が染み渡り、中には涙ぐむ者まで居た。
ワイアットも一口含み、感心した様に頷く。
「やはり、ユリナとメイに任せて正解だったな。ユリナは福祉施設の慰問でよく大量の食事を作っているし、メイは大家族の長女だから。二人が居れば四十前くらい訳無いと思ったよ」
メイは恐縮し両手を振る。
「私はともかく、ユリナちゃんの手際の良さと言ったら! 明日の朝食の下ごしらえまで済ませてしまって」
「いえいえ! メイちゃんのお仕事が早いので。お水も本当に助かりました」
結局バケツ一杯でフラフラ歩くウィルを置いて、メイが肩に天秤棒を担ぎ、二杯まとめてひょいと運んできてくれたのだ。
「僕もユリナちゃんに人参の切り方を褒めて貰えたんですよ。ギルは怒られてましたけどね」
得意気に言うウィルをギルバートが睨む。
こいつ……今日は浮かれているのか、とことん空気を読まないな。害だらけだ。
「えっ! ギル、何をやらかしたんだい?」
「玉ねぎをですね……」
和やかに食事が進む中、レティシアが突然スプーンを置き立ち上がった。
「レティシア、どうしたんだ?」
「すみません先生……少し疲れてしまったので先に休みます。食事も……あまり食べ慣れないので」
ユリナが慌てる。
「ごめんなさい、何かお好みの食材や味付けがあれば教えて下さい」
「いいえ、自分でも食料を持参しておりますので。お気遣いなく」
そう言うとテントの方へ消えて行った。
夕食後は自由時間だが、皆明日に備えて直ぐにテントへ入っていく。
朝食用に煮込んでいたスープを確認するユリナの元へ、コレットがやって来た。
「いい匂いだね」
「玉ねぎの皮と鶏の骨を煮込んだスープなの。朝食はこれをお出汁にリゾットを作ろうかなと思って」
杓子で掬った玉ねぎの皮に、涙を流すギルバートが浮かぶ。ユリナはふふっと思い出し笑いをした。
「……僕も炊事係が良かったな」
「え?」
「何でもない。ユリナ、少し散歩しない?」
涼しい風が流れる湖の畔を、二人で歩いていく。踏み締める草は柔らかく、さらさらと心地好い音を立てていた。
「お父上からお許しが出て良かったね」
「コレットのおかげよ。ありがとう」
ワイアットの助手に扮した兵が、少し離れた場所で様子を窺っているのを見て、二人はくすりと笑う。
暗い水面が空の月を鏡の様に映す。神秘的なその
「綺麗ね……空と地、こうして見ていると、どっちの世界に住んでいるのか分からなくなるわ」
「そうだね、本当に綺麗だ」
「……ねえコレット、私、政略結婚のこと何度も考えたの。やはり、ベリンガム家にとってはリスクが大きいわ」
「何故?」
「必ず風の魔力を持つ子供が産まれる確証はないもの。そうしたら、何の役にも立たない災いを抱えた者を、ずっと傍に置いておかなければならないのよ? ……その場合は離縁してくれるの?」
「そんなこと! する訳ないだろう」
コレットは感情的に声を荒げたことに気付くと、息を吸い込み落ち着いて話し出す。
「……皇女を離縁などしたら、ベリンガム家が非難を受ける。そんなこと、出来る訳がない」
「そうよね……やっぱり」
「前にも言ったけど、子供なんて授かり物なのだから。出来たら運が良かったくらいに僕は思っているよ」
「……もし女の子で、エメラルドの魔力を受け継いだら?」
「その場合も責任を持って守る。どんな子もベリンガム家の大切な子なのだから。心配は要らない」
ユリナはしゃがむと、指で冷たい水に触れる。
「コレットに好きな女性が出来たらどうするの?」
「……え?」
「結婚した後だって、そういう出逢いはあるでしょう? サレジア国は一夫一妻制だし……その時は、私と結婚したことを後悔するんじゃないかしら」
「じゃあ……逆にもし君に好きな男が出来たら? やはり後悔するんじゃないか?」
「この魔力が有る限り、私には誰かを好きになる資格などありません」
「理性と感情は別物だけどね。言っておくけど……もし結婚したら、僕は絶対に君を手放さないよ。君が他の誰かを愛そうが、絶対に。これは契約だからね。だから僕も決して君を裏切らない」
「感情が理性を上回ってしまったら?」
「僕はそんなに女性に対して情熱的じゃないよ。それなら最初から政略結婚なんてしない」
「そう……」
コレットはユリナを見下ろす。
ちょこんとしゃがむ愛らしい華奢な身体。
月光を浴びて輝く銀髪。
短くなってから気付いた……真っ白な項。
理性と感情か……自分で言った言葉に内心笑いが込み上げる。感情が上回ったら、自分はどうなってしまうのだろう。
「……もう遅いから、戻ろうか」
コレットはユリナを視界に入れない様に、さくさく歩き出した。
まさか彼と同じなんて……
テントは好きな所を選べるが、ユリナと散歩している内に乗り遅れたコレットには、もう此処しか空いていなかった。向こうも明らかに微妙な顔でこちらを見る。
「いやあ、同じテントに公爵家のご子息が二人も!これはイビキをかけないなあ」
ウィルがははっと楽しそうに笑う。
「コレット・ベリンガムです。よろしく」
「ウィリアム・デュランです。しがない伯爵の息子ですがよろしく。こっちは……」
「ギルバート・キャンベルだろ? ユリナのお父上……皇太子殿下の側近の親戚。知っているよ」
コレットはにっこり笑う。
「こっちも知っている。ユリナの曾お祖母様……先帝妃の親戚だろ」
ギルバートはコレットの笑顔をぞんざいな物言いで跳ね返した。
二人の間に流れる不穏な空気を感じ取り、ウィルはさっさと寝る準備を始めた。
高身長の二人がふくよかなウィルを挟んで横になる。
狭いテントはギュウギュウになり、寝苦しい一夜を過ごした。
翌朝、鳥のさえずりと山の心地好い空気で、ユリナは早くに目が覚めた。
早朝5時から7時までは練習場に限り魔力を使っていいことになっている為、身支度を整えると、メイらを起こさない様にそっとテントを出る。
流石に昨日の疲れもあるのか、この時間にはまだ誰も起きていないらしい。
シュッ! ドン!
練習場の方から音がする……誰か居るのかな?
覗くと、幾つかある的の一つに跡が付いているも、誰の姿も見当たらない。
確かに音がしたんだけど……何処かに行ったのかも。
ユリナは視界の隅に兵の姿を捉えると、安心してそのまま一人で的当ての準備を始めた。
距離を調整し、深呼吸して手を構える。
「はっ!」
放たれた風の矢は的の中心スレスレを捉える。先日父に教わり、練習した成果が確実に出ていた。
よし、今度こそ……
再度手をシャープに振り下ろす。
だが……
風の矢が当たったのは、何故か的ではなく、突如姿を現したレティシアの顔だった。
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