第20話 ~温かな炊事~

 

 強烈な日差しを、雲のベールが柔らかく包む好天候に恵まれたこの日────

 ランネ市の隣、カイエホ市の山奥にある合宿場へ、数台の馬車が向かっていた。

 早朝に出発し、約半日かけて到着した時には、皆疲れ果てぐったりしていた。

 ……が、ここからがワイアット教授率いる合宿の始まりである。



「……この合宿場での注意事項を説明する。決められた時刻以外は魔力の使用を一切禁止。あとは自力で三泊四日を過ごしてもらう。ただこれだけだ。よし、じゃあ今からチームごとに分かれて作業してもらう。テント張り、薪割り、水汲み、炊事……協力して手早くやらないと日没迄に間に合わないぞ。メンバーは…………」


 淡々と話すワイアットに、生徒達は驚きを隠せない。それもそのはず、共存魔術の授業を取っているのは、殆どが魔力を授かることの多い貴族以上の生徒だからだ。彼らの考えていた合宿というのは、設備の整ったコテージで身の回りの世話は使用人が行い、自分達はひたすら魔術の練習に打ち込む……というもので。


 テント……薪割りに……水汲み……?

 彼らはこれから踏み入れる未知の世界へ、茫然自失となっていた。



 そんな中、自前のエプロンを締め気合いを入れているのが、一番この場に似つかわしくないと思われるユリナ皇女殿下であった。


「……なんで炊事係だけこんなに少ないんだ?」


 ワイアットに指名されたのは、男女二名ずつ。

 女性はユリナとメイ。男性はウィルと……そしてギルバートだ。この人数で、今から日没迄の二時間弱で、四十人分の食事を作らなければならない。


「……馬鹿馬鹿しい。適当に火で炙ればいいだろう。それに一日ぐらい食べなくたって死にはしない」


 気だるそうに言うギルバートをユリナはキッと睨む。


「駄目です! 食事は生活の基本ですよ。きちんと食べないと、魔力も使えません」


 そう言うとさっさと材料を確認していく。

 この量で三日分……少しも無駄には出来ないわ。

 頭の中で素早く献立を組み立てた。


「とりあえず今夜はシチューとパンケーキでいいかしら。薪割り係から薪が届くまで、手分けして野菜を切りましょう。えっと……日没まであまり時間がないから、自己紹介は作業しながらね」


 喋りながらも、今夜の分の野菜を一人一人に配っていく。


「ご存知だと思いますが……私は魔術科一年のユリナ・バロンです」

 鶏肉を器用に捌きながら言う。


「私は魔術科三年のメイ・グリークです。共存魔術では珍しい平民ですので、どうぞメイとお呼び下さい」

 こちらも器用にじゃがいもをくるくると剥いていく。


「先輩ですのでそれは出来ません。メイさんでいかがでしょうか?」

「何だか慣れないので、せめてメイちゃんにして下さい。私もユリナ様とお呼びしても?」

「では、ユリナちゃんで」

 えくぼの可愛いふっくらしたメイと、笑みを交わした。


「私は魔術科三年のウィリアム・デュランと申します。どうぞウィルとお呼び下さい。……あの、私もユリナちゃんとお呼びしても?」

 いつもギルバートの右隣に座っている、縮れ毛のふくよかなこの男性の名前が、今日初めて判明した。


「はい、ご自由にお呼び下さい、ウィルさん。あっ……人参、もう少し小さ目にお願いします。その半分くらいで」

「このくらいですか?」

「そうです。とてもお上手です」

 ウィルは皇女に褒められニタニタと笑う。


 その隣で苛々しながら玉ねぎの皮を剥くのがギルバートだ。

「……玉ねぎというのは、可食部が少ないものですね」

「え……?」

 彼の手に僅かに残った白いものを見て、ユリナは叫びたくなる衝動をぐっと堪える。


「ギルバート様……貴方が可食部ではないと判断された部分は何処ですか?」


 ユリナは皮……と判断された部分を慌てて救出し、彼に正しい可食部を教えた。

「全く紛らわしい野菜ですね」


 悪びれず、しれっと作業を再開するギルバートに、ユリナは唖然とする。

 この人は……この人って……


「もしかして、二人はお知り合いですか?」

 ウィルの問いに、ユリナがはっとする。

「はい……父の側近のご親戚です」


「幼なじみみたいなものですから……私もギルで構いませんよ」


 突然ぼそっと呟いたギルバートに、ユリナは驚き、躊躇いがちに答えた。


「では……ギル……さん?」

「ギルで」

「……ギル」

 その響きに、ギルバートの耳がほんのり赤くなっていった。




「ユリナ、お待たせ。火も点けておくね」

 薪割り係のコレットが、運んで来た薪を釜戸に入れていく。

「ありがとう、コレット」


 ダン!!


 ギルバートが玉ねぎに向かい、苛立たしげに包丁を振り下ろす。


「ねえ! そんなに乱暴にしたら……」

 ユリナの制止も虚しく、灰色の瞳から大量の涙が溢れる。

「もう……」

 笑いながらハンカチを取り出しギルバートの目を拭くユリナを、コレットがじっと見つめていた。




 何とか具材を切り終わり火にくべようとするも、鍋に入れる水が足りない。どうやら水汲み係が苦戦している様だ。ウィルが率先して立ち上がる。


「僕が手伝ってくるよ」

「私も見てきます。家、水場が離れた場所にあるから、水汲みは大得意なの」

 メイはひょいひょいと担ぐ仕草をする。

「すみません、お願いします」




 ユリナとギルバートの二人きりになった炊事場には、暫く沈黙が流れた。


「私がギル……に教えて差し上げることがあるなんて、思いもしませんでした」

 小麦粉を混ぜながらユリナが微笑む。


「私も、まさか貴女に料理を教わるとは思いもしませんでした。……体調はもう大丈夫ですか?」

「はい。あの日、私を運んで下さったみたいで……ありがとうございました」

「いえ……」


 また暫く沈黙が続き、鍋がぐつぐつ煮える音だけが響く。口火を切ったのはギルバートだ。


「あの後……調べたんです」

「何をですか?」


「自分の食べている物が何処でどうやって作られているかを。とりあえず寮と実家の両方を調べました。畑、畜産、酪農……収穫量から出荷量、契約農家の収益が労働に見合っているかまで。天候による被害対策など、改善が必要な所は働きかけていけたらと思います」


 ユリナはぽかんと口を開けたままギルバートを見つめると、堪らずふふっと笑い出した。


「何が可笑しいんですか?」

「……すみません。あの、私にも今度、お調べになったことを詳しく教えて下さいませんか? 偉そうなことを言ったのに、今は私の方が知らないことが多そうです」

「……はい」


 二人の間には、温かなものが流れていた。



「合宿にギル……が参加するとは思いませんでした」


 俺も参加するつもりはなかった。こういう集団行動は最も苦手だから。

 だが、参加名簿にユリナとあの男の名が並んでいるのを見た瞬間……いつの間にか自分も名前を書き込んでいた。


「あの男とは……コレット・ベリンガムとはどういうご関係ですか?」

「……親戚なんです。曾お祖母様のご実家がベリンガム家で」

「貴女は……あの男のことを……」


 ジュウウウ……


「あっ!」

 鍋が吹き零れ、ギルバートの言葉を掻き消す。

 笑いながら鍋を移動する二人を、レティシアが木陰から、恐ろしい形相で見つめていた。

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