第19話 ~大切な友人として~

 

 コレットをもてなす夕食の席も終盤に差し掛かった頃、オーレンは顎に手を当て、難しい顔で言った。


「セノヴァを連れて行くならいい」

「セノヴァさん……」

 ユリナの眉毛がこれ以上ない程下がる。


「嫌なのか?」

「そういう訳ではないのですが……やはり他の兵より威圧感がありますし……何だかお父様に付いて来られる様な気分になってしまうので」


 今度はオーレンの眉間にくっきりと皺が寄る。


 先程から、合宿に行きたいユリナの為にコレットが交渉を続けているが、相手はあのオーレン皇太子。一筋縄ではいかず、想像以上に難航していた。


「あっ、それに……!」

 ユリナが何かを思い出し、顔を輝かせる。


「その頃は丁度、お父様とお母様が公務で遠出されるご予定でしょう? セノヴァさんもそれに同行されるのでは?」

「私達は構わない。ユリナの方に付ける」


 がっくりと肩を落とす娘に情を寄せそうになるが、合宿場はランネ市から馬車で半日程かかる山奥、更にあのレティシアが来る可能性もある為、ここは譲ることが出来ない。


「条件が飲めないなら参加は許可出来ない」

 オーレンは厳しい声できっぱりと言い切った。


 護衛か……

 今度はコレットが違う方向から攻めてみる。


「……では、こういう形はどうでしょう? 合宿場の外に兵を数名待機させ、場内にはワイアット教授の助手……という形で、顔の知られていない兵を紛れ込ませるのは? それなら他の生徒も萎縮しないですし、皇女様をさりげなくお守り出来るでしょう」


「まあ! それはいい考えだわ。ねえ、レン」


 シェリナの言葉に、オーレンは嫌な予感がし、慌てて目を逸らす。

「それに今回はあのワイアット先生が同行されるんですもの。ユリナの魔力のこともご存知ですし。レティシア嬢のことも予めお伝えしておけば……ね?」

「お父様……」


 ああ、また……

 強い視線に思わず振り向くと、上目遣いの大きな黒い瞳が四つ。

 ……一生これには敵わない。

 オーレンの肩からがっくりと力が抜ける。


「……ワイアット教授に手紙を書いてみよう」


 母娘は顔を見合わせる。

「それでは……!」

「兵の件、了承いただけたらな」

「ありがとうございます! お父様」

「ありがとう、レン」


 そっくりな笑顔で喜ぶ妻と娘を、優しい顔で見つめる夫。

 有能で切れ者と名高い皇太子の意外な弱点に、コレットは必死に笑いを堪えながら言った。


「私も及ばずながら皇女様をお守り致します。どうかご安心下さい」





「本日はお招きいただきありがとうございました」

 広間で見送る皇太子夫妻に、コレットは礼をする。


「こちらこそ。自分の家だと思ってまた気軽に遊びに来て欲しい」

「来てくださってありがとう、コレット」


「外までお見送りしてきます」

 ユリナはコレットと共に、馬車の待つ玄関前まで出た。


「あの……コレット、私」

 言いかけた途端、突然高い背に抱きすくめられ、驚きのあまり声が出なくなる。


「大切な友人として、僕達の将来をよく考えて欲しい。返事はゆっくりでいいから」


 コレットはそう言うと、ユリナに気付かれない様に、軽い……本当に軽い、まるで風が掠めるような口づけを銀髪に落とし、颯爽と馬車に乗り込んだ。




 自分の部屋に戻ると、ユリナは揺り椅子に座り、ゆらゆらと動かしながら考える。


 政略結婚か……

 確かに恋愛感情はなくとも、パートナーとしての思いやりや、家同士の堅い繋がりがあればやっていけるのかもしれない。

 一人で生きていくことで逆に周りに害を及ぼす恐れがあるなら、誰かの元で安全に暮らした方が、却って迷惑を掛けないのかもしれない。


 でも、もし子供が出来なかったら?

 コレットは構わないと言っていたけれど……

 もし授かったとして、その子が風の魔力を受け継がなかったら?

 あるいは……もしその子が女の子で、またエメラルドの魔力を受け継いでしまったら?

 そうしたらベリンガム家にとって、この契約はデメリットでしかない。自分は災いを抱えた、ただのお荷物だ。



 ノックの音がし、シェリナが湯気の昇るトレーを手に顔を出す。


「お母様」

「ハーブティーを淹れたの。一緒にどう?」


 一口飲み、ユリナはほうっと息を吐く。清らかな風味が、絡まった頭をほどき落ち着かせてくれる。


「今日は驚かせてごめんなさいね」

「いえ……」

「コレット、とても良い子ね。お父様も褒めていらっしゃったわ」

「……お母様、もし私が彼と結婚したら安心ですか?」


 シェリナは少しの間の後、カップを置いて明るく言った。

「ええ勿論、とても安心だわ」



 本当は……

 あなたの好きなように生きて、あなたの人生なのだから。そう言ってあげたい。

 だけど自分は、エメラルドの魔力の恐ろしさを誰よりも知っている。

 悪魔に魔力を命ごと吸い取られる時の、身体が引き裂かれる苦しみ。悪魔に心を囚われた人の狂気。そして……その果てにある哀しい代償。人間に欲がある限り、この恐怖から一生逃れることは出来ない。


 娘に見えない膝の上で、シェリナは震える手を握り締めていた。



 シェリナはユリナの部屋を後にすると、真っ直ぐ自室へ向かい、鍵のかかった小箱を棚から取り出す。

 中には石のない、土台だけのネックレスが一つ、大事にしまわれている。


 これはヨラム家に代々伝わる、エメラルドの魔力を封印する呪具。皇妃の黒魔術により粉々に砕け散ったが、シェリナの命を救った僅かな石を使い、ユリナの為に新たな呪具を作った。


 欠片程の小さな石で効果が最大限に発揮出来る様に────

 オーレン、ワイアット教授……ギルバートと同様、地の魔力を持つ側近のボイ。

 三人が苦心して作り上げたのが、ユリナの耳のピアスだった。ポスト部分にも石が使われており、ネックレスよりも身体に密着する為、封印の効果が高い。


 ユリナが2歳の時、死んだ蟻を生き返らせているのを目撃した次の日に、封印の儀は行われた。



 “封印は必ず一族の者が呪具を使って行う。

 その際、必ず解除方法を定めないと封印を行うことが出来ない。

 解除方法は、封印される者の身の安全が保証出来る条件で定めることが望ましい“



 シェリナの魔力を封印する時は、シェリナの祖母が行い、解除方法は許嫁のオーレンに定められた。


 ユリナの封印は母シェリナが行った。そして、その解除方法は……

 ユリナのことを深く愛する者。ユリナの為なら、自分の命を投げ出すことも厭わない者。その者の手でのみ、呪具を外すことが出来る。


 それは母であるシェリナ、父であるオーレン、そして……


 ネックレスに祈りを捧げると、シェリナは箱に戻し、再び鍵を閉めた。

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