第15話 ~よく覚えていない~

 

 うだるような暑さが続く中、学園の中庭に置かれた木陰のベンチで、教科書を広げるユリナとコレットの姿があった。風が通り、教室よりも涼しい為、最近は此処で予習することが多い。


「大分見慣れてきたな」

「え?」

「髪の毛。最初は驚いたけど、似合っているよ」

 コレットが明るい調子で言う。


「うん……涼しいし、軽いし、気に入っているの」


 言葉とは裏腹のどこか寂しげな表情かおに、コレットは丸い銀髪をくしゃっと撫でた。



「あのね……ここまで家で予習してきたんだけど、共存の原理の所がよく分からなくて」

「もうここまでやったの? 今日の授業ではこんなに進まないと思うけど」

「うん……でも気を抜くと、どんどん遅れてしまうから」


 痩せた白い顔を見て、コレットは軽く肩をすくめる。そして鞄から何かを取り出すと、ユリナの手に握らせた。

「これは?」

 茶色い紙に包まれた小さいものが二つ、ころんと乗っている。


「塩キャラメル。塩分と糖分補給に。これなら勉強しながらでも摘まめるかなと思って」

「……ありがとう」


 包みを開けると、早速一粒口に含む。甘塩っぱい味と、優しさがほんのり沁み渡った。


「もうすぐ始まるね、行こうか」


 コレットは荷物をまとめ、教室に向かう為立ち上がる。

 ……が、ユリナは鞄を抱えたまま、なかなかベンチから腰を上げようとしない。


「どうしたの?」

「うん……」

 コレットの問いにゆっくり立ち上がるも、身体がふらつき再びベンチへ戻る。


「大丈夫!?」

「少し眩暈がして……」

「顔色も悪いし、今日は無理しない方がいい」


 ユリナは激しく首を振る。


「嫌……行く。絶対に行く。絶対に単位取るの。自分に負けたくないの」


 強い光を放つ黒い瞳が、どくりとコレットの胸を打つ。

 何故そこまで……


「……分かった。じゃあそれ貸して」


 ユリナの鞄を奪い取り肩にかけると、小さな身体をひょいと引き上げる。

 そして華奢な肩を力強く支えると、そのまま教室へ向かい歩き出した。


「コレット……」

「本当は抱っこかおんぶしてあげたいけど、流石に人の目があるからね。ユリナだったら肩車も出来そうなんだけど」

「皇女が肩車……」


 想像して、ユリナはぷっと笑う。

 ────今はただ、この大きな手から伝わる温もりが嬉しかった。



 ◇


「すみません、遅くなりました」


 始業から少し過ぎて、彼女が教室に入ってきた。

 あの男と……寄り添うように。



『……私達の未来が見えなかったからです。今までも……これからも。このまま傍に居ても、きっと互いを想い合うことはないでしょう』



 最後の日の、彼女の言葉が甦る。

 ああ、そうか。そういうことだったのか。

 あの男を好きになったから……だから自分とは……


 膝の上で握りしめたギルバートの拳には、血管がはちきれんばかりに浮き上がっていた。



 ◇◇◇


 数日後、ギルバートは偶然会ったレティシアに声を掛けられた。絶版になっていた学術書が手に入ったから一緒に読もうと。

 特に予定がなかった為了承し、二人で屋根付きのテラスへと向かう。



 レティシアと本や学問の会話をするのは楽しい。自分の知能や好みと合っていて、ウィルと同様、一緒に居ても害のない数少ない人間だ。

 こういう女性なら、“想い合う” ということが出来るのだろうか。ストレスなく、落ち着いた、穏やかな気持ちのままで……


 テラスへ来ると、見たくないものが視界に入り、思わず顔をしかめる。

 丸い銀髪の後ろ姿────

 彼女と同じテーブルには、確か入学式の時に話していた平民らしき男達が居る。


 立ち去りたかったが、レティシアが彼女らのすぐ後ろのテーブルへ腰掛けてしまう。仕方なしに自分も腰を下ろした。彼女は背中を向けている為、まだこちらには気付いていない。


 本に集中しようとするも、距離が近い為、うるさい会話が聞こえてくる。


「今朝うちの畑で採れた野菜ですが……」

「うわあ! 美味しそう! このトマト、真っ赤で張りがあってすごく立派ね。こっちのキュウリも良い艶」

「両親も毎年この時期はユリナ様のご体調を心配しておりまして……新鮮な野菜を食べて、少しでもお元気になっていただけたらと」

「ありがとう、トミー。お父様とお母様にお礼をお伝えください。うちの母も喜びます」


 ふと、彼女の横顔が見えた。

 笑っている……

 自分には二度と向けられない微笑みを、他の男に……


 その時のことはよく覚えていない。

 全身を冷たい血が巡り、気付けば彼女のテーブルを見下ろしていた。



「皇女様が平民に物乞いとは……非常に面白い光景ですね」

「ギルバート様……」

「何かと思えば……ただの野菜ですか。お屋敷には食べる物もないんですか?」


 彼女の白い顔が強張り、小さな唇が何かに震える。


「……一体何を仰りたいのですか?」

「品位に欠けると言っているんですよ。その髪も、言動も行動も、何もかも。生徒の模範になる様に、もう少し皇女らしく振る舞ったらいかがですか」


「……私を批難されるのは構いません。ですがこのお野菜は、彼のご両親が種から丹精込めて育てたもので、私にと温かい気持ちで分けて下さった特別なものです」


 些細なことで何度も謝っていた彼女が、今は怯むことなく、堂々と言い返してくる。


「作物をここまで立派に育てることがどんなに大変か……貴方はご自分が口にされる食べ物が、何処でどんな風に作られたものかご存知ですか? もしご存知でしたら、ただの野菜だの、物乞いだのという言葉で侮辱など出来ない筈です」


 さっきまで男らに向けられていた笑みは消え失せ、怒りを孕んだ黒い瞳が自分を睨みつけている。

 凍てついた心が、冷気となって口から放たれた。



「……ああ、そうか、そうでしたね」

 そう言いながらギルバートはふっと笑う。


「……何ですか?」

「皇太子殿下の母君も、皇太子妃殿下の父君も平民でしたね。流石、平民の血が濃い皇女様だけあって、彼らとの付き合いがお上手な訳だ」


 ユリナの顔から一切の表情が消える。

 後ろのテーブルでは、レティシアが嘲りの笑みを浮かべていた。


 無表情のまま野菜をテーブルに置くと、ユリナは椅子から静かに立ち上がり、その場に跪いた。


「なっ……」


 ギルバートは事態が飲み込めず慌てる。

 同様に慌ててこちらへ向かおうとする兵を、ユリナは手で制した。


「貴方の仰る通り……平民の血が濃い私よりも、純粋な貴族の御血筋である貴方の方が尊いかもしれません。ただ……貴方の仰るそのご身分が、国民の尊敬に値するかは分かり兼ねますが」


 ユリナはそのままゆっくり頭を下げ、短い銀髪が地面に付く程、深くひれ伏した。


「……立ってください」

 ギルバートの声にも微動だにしない。


「立て!!」

 更に強い口調で言うと、ギルバートは細い手首をぐいと掴み、無理矢理立ち上がらせた。


 次の瞬間……爪先立ちになった小さな身体はふらりと回転し、力なく崩れていく。

 地面に打ち付ける前に、ギルバートは咄嗟に受け止めた。


「ごめ……さい。すこ……し……気分……」

 ユリナは手足に力を込めるも、再び崩れ、意識を失っていく。



「……リナ? ……ユリナ!!」



 遠くでギル様の声が聞こえる。

 ユリナ…………まさか、私を呼んでる?


 私の名前……知っていたの?

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