第14話 ~居ないかのように~

 

 静かな執務室では、一束の調査書を数人が取り囲んでいた。緊張した空気の中、皇太子オーレンが口を開く。


「レティシア・ソレーヌ。24年前まで宮殿で大臣を務めていた、イゴール元侯爵の孫だ」

「イゴール侯爵……皇妃様のご親戚に当たる方ですね」

「ああ」


 黒魔術を使い、先帝とオーレンの母カレン妃を殺めた皇妃。

 また、シェリナのエメラルドの魔力を利用し、オーレンの父エドワードの遺骨に生を吹き込もうとしたが……失敗に終わり、息子を自らの手で殺めるという、大きな代償を払い亡くなった。

 その皇妃の親戚に当たるのが、このイゴール侯爵だ。


 同じく皇妃の遠縁に当たるユニの顔が青くなる。

 彼女はかつて皇妃によって家族を人質にとられ、シェリナの侍女でありながらも皇妃の参謀として動いていた過去がある為だ。


「イゴール元侯爵は、大臣職を退いてから皇室とはほぼ関わりを持っていない。現在はイゴール伯爵として、様々な事業を行いながら暮らしている」

「大臣職を退かれる時の経緯は?」

「自ら皇帝陛下に申し出ている。罪人である皇妃の親戚であること、また大臣として一連の責任を取る為、爵位も落として欲しいと自ら嘆願した」

「それでは……」

「ああ、皇室に恨みを持っているとは考えにくいだろう。あの事件の後、私も宮殿で彼と政務に当たったが、誠実で思慮深い人物だった。皇妃とも、黒い繋がりはなかったと思われる」

「現在の暮らしぶりは?」

「造船業や鉱業など幅広く事業を展開し、裕福に暮らしている。財産も多く、暮らしに困ることはまずない。レティシアの父親でイゴール元侯爵の息子も同様だ」


「では今回のことは……」

「レティシア個人が行ったことだろう。ただ、興味本位などではなく、明らかに悪意のある接触だった」

「ユリナ様に何か個人的な恨みでも……ですがレティシア嬢は高等部からランネ学園に入学している為、ユリナ様とはこの二ヶ月程しか接点がない筈です」

「その通りだ。ただ、ギルバートとは接点があった」

「ギルバートと?」

「公爵夫人とレティシアの母親は社交界で繋がりがある為、子供同士も何度か会っている。幼なじみとも言える関係だ」


「そのは……ギルに好意を持っているのかしら」

 今まで黙っていたシェリナが口を開いた。


「そうかもしれないな」

「でも、ユリナとギルバートが許嫁であることは極秘の筈よ?」

「公爵夫妻が漏らすとは思えないが、何かで勘づいたのかもしれない」

「何故エメラルドの魔力について、そんなに詳しく知っていたのかしら」

「レティシアの父親は、現在ヨラムの領地を治めている」

「ヨラム……! お祖母様の」

「そう、シェリナの母方の祖母君の生家、ヨラム伯爵家が治めていた領地だ。領地に残る記録から、魔力について詳しく調べ上げたのだろう」

「そうだったのね……」


 シェリナは肩を落とし、暗い顔で続ける。


「時を見て、私達の口からユリナへ伝えたかったけど……仕方がないわ。皇妃様の事件のことも、エメラルドの魔力についても、国中に箝口令を敷いている訳ではないもの。悪意を持って伝えられてしまったのは悲しいけれど」

「許されることではない」


 怒りに顔を歪める主人に対し、側近のボイは冷静に言った。


「レティシア嬢個人で行ったこととなると難しいですね。イゴール元侯爵は、ランネ学園創立の際資金援助もしてくださった方ですから、出来るだけ良好な関係を築いておきたいですし」

「全て計算した上でユリナに近付いたのかもしれない。動機は幼稚だが頭の良い娘だ。ユリナの心を恐怖で揺さぶり、狙い通りギルバートから引き離すことが出来た訳だしな」


 オーレンは忌々しげに呟き、調査書を乱暴に置く。


「一先ず今後は、ユリナ様とレティシア嬢が接触しない様に、兵に申し伝えます。共存魔術の授業で一緒になるのは避けられませんが」

「接触がなければ問題ない。但し念の為、授業がある日は護衛をセノヴァにしろ」

「畏まりました」



「……申し訳ありませんでした」

 ユニが震える口を開く。


「何故お前が謝る」

「親戚のことですから……シェリナ様だけでなく、ユリナ様の御心まで傷付けてしまい」


 怒りと哀しみに燃えるユニの目を見て、オーレンはため息を吐く。


「もう、お前には関係のないことだ。それよりユリナの食欲が戻るよう、食事に一層気を配って欲しい。心身の繊細なケアは、誰もお前には敵わないからな。あと……モニカにも礼を伝えてくれ。いつもありがとうと」


 オーレンの温かい言葉に、ユニはぐっと口を結び、頭を下げた。

「はい……お任せ下さいませ」


 涙に震えるユニの肩を、夫のセノヴァは優しく抱き寄せた。




 ◇◇◇


 学園では、バッサリと短くなった皇女の銀髪に、生徒や教師をはじめ、挨拶を交わす程度の清掃員や庭師までもが驚愕していた。


 此処サレジア国及び近隣諸国では、女性は幼少期を除き髪を長く伸ばすのが美とされている為、皇女が断髪するなど余程の事情があるのではとの噂が飛び交った。


 だが、当の本人が今までと変わらぬ明るさで振る舞っていた為、きっと暑さに弱い皇女様が体調管理の為断髪されたのだろう……という想像に自然と辿り着いたのだ。

 モニカの言う通り、中には真似して、髪が短く見える様に結う者もあったりした。




 渡り廊下の向こうから、アッシュブラウンの髪を風になびかせ、彼が歩いて来る。

 こんなに広い学園で、よりによって今、こうして出会ってしまうなんて……


 彼は私に気付き……この髪のせいか、一瞬目を見張るも、すぐに伏せた。


 そのまま会釈もせず、私などその場に居ないかのように通り過ぎて行った。

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