第13話 ~銀色の海~

 

「……私と皇女様が仮の許嫁というのは事実ですか?」


 宿で軽く仮眠を取ったのみのやつれた姿で、挨拶もそこそこに問う息子の姿に、公爵夫妻は顔を見合わせた。


「あちらから何か、お話があったのか?」


 両親の反応で、ギルバートは悟る。


「……やはり事実なのですね。何故教えて下さらなかったのですか?」

「それは……出来るだけ、貴方と皇女様にご縁を結んで欲しいと思っていたからです。正式な許嫁として、真摯に向き合って欲しいと」

 母の答えに、ギルバートはため息を吐く。


「逆ですよ。仮の許嫁だと知っていたら……いずれ自分達の意思で自由に選択出来ると知っていたら、あそこまで頑なになることもなかったでしょう」


 そう、もっと余裕を持って、彼女に接することが出来たかもしれない。

 何かに縛られたくない、何かを壊されたくない、自分を守ることだけに必死になって……彼女を閉ざしていた。


 父は険しい目で息子を見据える。


「皇女様との婚姻は、並大抵の覚悟では務まらない。心から信頼し、想い合うことが出来なければ、結果的に皇女様を不幸にすることになる。もし皇女様が身を引かれたのであれば……お前にその覚悟がないと、見限られたからであろう」


「……想い合うとは、覚悟とはどういうことですか? 私にはよく分かりません。婚姻するからには責任は持ちたいとは考えておりますが」


 父は首を振る。


「それでは無理だ。お前には務まらん。皇室から正式に断りの文書が届き次第、こちらで処理する。異存はないな?」


 返答のないギルバートに、母が堪らず問い掛ける。

「ギル、貴方の気持ちはどうなのですか? 本当に良いのですか?」


 彼の思考回路は、今だかつてない難題にぶつかり滞る。


 ああ……何だか、もう面倒くさい。

 もう……どうでもいい。

 静かで、平穏な、自分だけの空間があればそれでいい。

 ……それだけでいい。


「お任せします……」

「ギル!」


 ギルバートは礼をすると、母の声に振り向くことなく部屋を出て行った。





 そのまま外へ出ようとして、もう辺りが暗くなっていることに気付く。

 一晩実家ここに泊まるしかないか……

 諦めて屋敷内の広大な図書室へ向かう。


 ……何も考えたくない。


 分厚い数学の本を棚から出すと、椅子に腰掛け開いた。頭でひたすら数式を解いていく……が、集中出来ず途中で計算を間違える。

 次は魔術法の判例集を取り出し、一字一句ひたすら暗記しては解釈していく……が、やはり集中力が続かない。


 本を閉じ、おもむろに顔を上げる。

 ほんの二日前には、そこに彼女の微笑みがあったのに……

 もうあの空間に身を置くことは二度とない。


 また、何かが胸を刺す。痛みで上手く息が出来ない。

 その正体が分からぬまま、彼は胸を押さえ、一晩中苦しみ続けた。





 息子が出て行った部屋では、公爵夫人が嘆いていた。


「あの子は子供の頃からあんな風だったから……皇女様みたいな方と一緒に居たら、何かが変わるかもしれないと思っていたのに」

「仕方がない。ご縁がなかったのだ」

「皇女様は一体どうなさるのでしょう? あんなに素直で可愛いのに……お生まれになった時から過酷な運命を……」


 ユリナのことを娘の様に可愛がっていた夫人の、灰色の瞳に涙が溢れる。


「皇太子殿下やボイ伯父上がお傍に付いていらっしゃるのだ。それに許嫁としてのご縁はなかったが、我が家と皇女様とのご縁は切れた訳ではない。皇女様が幸せな人生を過ごされる様に、最大限協力させていただこう」




 ◇◇◇


 とうとう言ってしまった……

 もう二度と……


 これで良かったの。

 魔力のことがなくても、彼が私を愛することなんてなかったのだから……いつかお別れしなければいけない運命だった。

 分かっていたのに、いつか、もしかしたらと、僅かな期待にすがって足掻いていただけ。


 これからは誰にも迷惑を掛けず、一人で強く生きていかなければいけない。


 私は鏡に映る自分の姿と暫く向き合った後、引き出しから鋏を取り出し、手に構えた。



 ◇


「皇女殿下、朝食のお迎えに上がりました」


 ギルバートが出て行ってから、夕飯も食べず部屋に閉じこもっているユリナを心配し、モニカがノックする。

 しばらく待っても返事がない為、ドアノブに手を掛けると、抵抗なくカチャリと緩い音を立てる。どうやら鍵は掛かっていないようだ。

 モニカはユリナの侍女と顔を見合わせ、こくんと頷くと、そっとドアを押し中に入る。


「ユリナ……? お邪魔するわよ」


 カーテンを閉めきった暗い室内。微かに漏れる朝日と、ドレッサーのランプに浮かび上がったのは…………


「ユリナ!!」


 床に広がる銀色の海に、丸く横たわる小さな身体。


「ユリナ! 大丈夫!?」

「ん……」

 あくびをしながらゆっくりと起き上がる。

「ユリナ……」

 その姿に、モニカは唖然とする。


 美しかった銀髪は無造作に切られ、青白い顔の周りをガタガタと不規則に縁取っている。

 どれ程泣いたのだろうか。大きな黒い瞳は真っ赤に腫れ、元の半分くらいに縮んでいた。


「学校……行かなきゃね」

 そう言いながら立ち上がろうとするユリナを、モニカはがしっと抱き締める。


「私に任せて」

 泣き叫んでいる銀髪を、優しく撫でた。


 モニカはカーテンを開け光を取り込むと、落ちていた鋏を手にし、器用に切り揃えていく。

 一番短い部分に合わせると、腰まであった長い銀髪は、とうとう耳のすぐ下くらいの長さになってしまった。


「……うん、いいんじゃない?」

 笑顔でそう呟くと、モニカはユリナに手鏡を渡す。


 そこに映ったのは、他人みたいな見知らぬ自分。


「モニカはどう思う?」

「うーん、何だか丸くて、動物みたいで可愛いわよ」

「動物……」

 顔を見合わせ、ぷっと笑う。


「皇女なのに怒られないかな……」

「皇女だからこそ流行るかもよ。斬新だ! 真似したい! って」

「そうかあ……」


 ユリナは笑うと、モニカの胸にこてんと顔をもたせ掛けた。


「モニカが居てくれて良かった……」

「なーに言ってんの、今さら。ほら! 一緒に朝ご飯食べよ!」


 明るく言いながら、痩せた背中を撫でるモニカ。その目には、涙が浮かんでいた。

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