第10話 ~こんな風に笑うのね~
執務室のソファーには、オーレンがひじ掛けを苛々と指で叩きながら座っている。
「……ギルは突然何をしに来たんだ」
隣のシェリナが思案顔で呟く。
「ユリナは誕生日の挨拶に来ただけって言っていたけど。あの子……折角のお誕生日会だったのに、元気がなかったわね」
「今まで月一回、必要最低限しか接触してこなかった奴が、何故急に」
「分からないわ……でもギルは今年成人を迎えるんですもの。何か心境の変化があるのかもしれないわ」
「どんな変化だろうと勝手だが、ユリナを傷付けたら許さない」
シェリナは困った様に笑うと、オーレンの手を優しく取った。
呼吸だけを交わす静かな室内に、ノックの音が響く。
「失礼致します。ユリナ皇女殿下のご学友の件でお話したいことが……」
「入れ」
礼をしながら入室するセノヴァ。
祝いの席だというのに、彼が今夜あまり酒を飲まなかったのはこの為かと、オーレンは理解し頷く。
「本日学園で皇女殿下の護衛の任にあたりました所、一人、気になる男子生徒がおりましたので、念の為ご報告に上がりました。名前は……」
「コレット・ベリンガムか?」
「ご存知でしたか」
「ああ」
驚くセノヴァに、オーレンは調査書を差し出す。
「兵から知らせを受けていて調査中だったが、丁度今日報告が届いた」
さすが……妻や娘のこととなるといつにも増して仕事が早いな。セノヴァは呆れながらも感心する。
「コレット・ベリンガム。先帝妃グレース・ベリンガム様の兄、フレデリック・ベリンガム氏の曾孫だ。間違いなく、親戚に当たる」
「では、皇女様がお付き合いされても問題のない方なのですね」
「ああ。ベリンガム家は古くから風の魔力を受け継ぎ、皇室に何人も妃を送っている由緒正しい公爵家だ。本人についても調べさせたが、成績優秀で素行も良く、何の問題もない。そして……何より驚いたのは彼の魔力だ」
「魔力……風ではないのですか?」
「ああ。彼は風ではなく、ギルバートと同様、貴重な地の魔力を有している。しかも首都の皇法学園では最上位のSクラスだったことから、かなり強力な魔力であることが窺える」
「それは……」
「……もしユリナと彼が想い合えるのであれば、ギルバートにこだわる必要はないな」
「レン……! そんな」
「ユリナが成人を迎えるまであと二年だ。そろそろ決断すべきかもしれない」
オーレンは険しい目で、拳を握り締めた。
◇◇◇
『品のない女性は嫌いです』
ギル様が私のことを好きじゃないのは分かっている。でも、面と向かって言われたのは初めてのことで……
最初はただただ悲しかったけど、落ち着いてくると色々分からなくなってきた。
ギル様はあの日、何をしに来たのだろう。誕生日だという理由だけで?
……その前に屋敷で会った時、私が泣いてしまったからあんな別れ方になったけど、よくよく振り返れば、あの日は珍しくギル様の方から話し掛けてくれていた。
もう一度、ちゃんと話したい。
そう思って学園で話し掛けようとするけど、軽く会釈をするだけで、避ける様に立ち去ってしまう。皇女命令で屋敷に来てもらうことも出来るけど、それだけはしたくない。
もうすぐ次の第三土曜日……来てくれるかな。
今日は共存魔術の授業がある。コレットのノートのおかげで、取り敢えず意味の解らない用語はほとんどなくなってきていた。そんなレベルだから、まだ解釈なんてとても出来る訳がなくて……ギル様の言う通り、死ぬ気で努力しないと。
「……大丈夫?」
「え?」
気付けばコレットが顔を覗き込んでいる。
「ちょっと気を詰めすぎなんじゃない? 顔色もあまり良くないし」
「ああ、この時期は毎年こうなの。暑さに弱い体質で」
此処サレジア国は5月~9月頃まで、南方のムジリカ国から乾いた熱風が吹き、猛暑に襲われる。幸い湿度は高くないものの、照りつける直射日光や、喉を焼く様な乾燥した空気に毎年苦しめられていた。
元々この時期は食欲も落ち、生活リズムも乱れて眠りが浅くなるので、それならばと夜遅くまで勉強をしていた。そのせいもあるかもしれない。
「勉強は楽しい気持ちがないと、どこかで息詰まってしまうから……うーん、何か目標を見つけよう」
「目標……」
「そうだ、10月の実技試験で、僕とペアを組んでくれる?」
「……ペア? 駄目よ! 私と組んだらコレットの成績が落ちてしまう」
「大丈夫。だって、君の風の魔力はベリンガム家のものだよ? 僕と相性が良いに決まっている。僕の地の魔力でコントロールして、何か素晴らしい作品を作ろう」
「……いいの?」
「もちろん! 僕からもお願いするよ」
「ありがとう」
ギル様は……あの人と組むのかな。
ベルが鳴り、生徒が教室に集まってくる。いつも通り一番前に座るアッシュブラウンの頭。
……何度かこうして、後ろからギル様を見ていて分かったことがある。
ギル様の右隣にはいつも、縮れ毛の少しふくよかな男の人。そして左隣には、美しい長い金髪の女の人。きっとギル様と同じ三年生。授業中の発言から、とても頭の回転が早く聡明な女性であることが分かる。
ほら……今日も彼女の本を覗いて、ギル様が笑っている。……こんな風に笑うのね。
子供の頃、彼に近付きたい一心で、背伸びして読んだ難しい本。もし彼女みたいに頭が良ければ、ギル様はこんな風に笑ってくれたのだろうか。
彼女の鮮やかな濃い紫色の瞳は、まるで高価な宝石みたいに華やかで。ユニさんやモニカの淡いラベンダー色とは違う美しさだった。それに比べて……自分の地味な黒い瞳が、余計に情けなく思えた。
「ユリナ皇女殿下」
ある日、その美しい彼女が目の前に立ち、優雅な所作で礼をすると口を開いた。
「私は魔術科三年のレティシア・ソレーヌと申します。二人きりでお話しさせていただきたいことがあるのですが……少しお時間宜しいでしょうか?」
微笑んだ顔の中で、紫色の瞳だけは冷たく、自分を見下ろしていた。
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