第9話 ~渡せなかった~
『おめでとうございます。皇女殿下のご誕生です』
皇女……女の子。
ベッドの上には白い布に包まれた小さな子と……その子を見て涙を流すシェリナ。
『シェリナ……』
『レン……この子……瞳が綺麗なの。すごく綺麗なの』
恐る恐る覗いた我が子の瞳。それは海の底の様に深く神秘的で、果てしない煌めきを宿しているエメラルド色。この世のものとは思えぬ美しさに、恐怖が押し寄せ心臓を抉る。
────シェリナと同じだ。
『ごめんなさい……私……この子に……ごめんなさい』
『……大丈夫。この子は俺が守る。必ず守るから』
『この子……こんなに可愛いの……こんなに』
『そうだな……本当に可愛いな。二人で幸せにしてやろう……必ず、必ず』
────16年後────
屋敷の敷地内に建つ小さな神殿。
まだ陽の昇らない内に、華奢な女が跪き祈りを捧げていた。
「シェリナ」
振り向くその顔はどこか虚ろで、何かを手放している様に見える。
「レン……」
「祈っていたのか」
「ええ」
そう言い微笑む姿は、窓に滑り込む朝日に消えてしまいそうで。オーレンは激しい焦燥感に襲われ、シェリナをぐっと抱き寄せた。
温かい夫の胸の中、彼女は祈り続ける。
どうか、どうかユリナが幸せになりますように。
怖い思いや痛い思い、哀しい思いをしませんように。
もし必要であれば……私の命をお召し下さい。
どうかユリナではなく私の命を……
◇
「皇女様! おめでとうございます!」
「16歳おめでとうございます!」
馬車で学園へ向かう道は、祝いの言葉を口に賑わう人々で、さながらパレードの様だ。
押し寄せる国民に怪我をさせない様ゆっくり進む為、早目に屋敷を出てはいるものの、なかなか目的地に着かない。
おまけに皇女が丁寧に礼を述べ、手を振り、おまけに小さな子供が差し出す花まで窓から受け取るものだから、学園に着く頃には日が暮れてしまいそうだった。
「これじゃなんの為に学園に行くのか分かりませんね」
今日の任務を任された、護衛長セノヴァがぼやく。
「今日は授業よりも、皆さんにご挨拶出来ればいいのよ。今年もモニカには、先に普通の馬車で行ってもらって正解だったわ」
「ユリナ様も同じ馬車で行けばいいじゃないですか」
「そんな目くらましみたいなこと出来ません。国民の皆さんをガッカリさせてしまうでしょう」
今年も重労働になりそうだぜ。全く母娘揃って……
セノヴァはため息を吐きながらも、ふっと笑った。
何とか昼前に学園に着くも、ここにも祝いを述べる生徒が次々と押し寄せる。一般市民より規制しやすいので、セノヴァは先に立ち、はいはいと道を作っていく。
「皇女様はこれから授業だから後でな」
セノヴァの指示で、兵が生徒を誘導していた時、
「ユリナ」
聞き覚えのある声に目をやると、コレットが校舎の入口で、にっこりと立っている。
「コレット」
「良かった、会えて」
「どうしたの? 今日は授業じゃないのに」
「渡したいものがあって……はい、誕生日おめでとう」
小さな包みを渡す。
「出店で買ったから高価な物じゃないんだ。お弁当のお礼も兼ねて、気軽に受け取って。忙しいだろうから、帰ったらゆっくり開けてね」
「うわあ、ありがとう。ずっと待っていてくれたの?」
「丁度門が騒がしくなったから来ただけ。皇女様も大変だね。じゃあまた授業で」
コレットはそれだけ言うと、さっと立ち去る。
「ユリナ様、そちらを」
プレゼントは一旦安全を確認する為、兵が集めることになっている。
「ああ、コレットのは大丈夫。このまま私が持っているわ」
そう言って鞄にしまう。
名を呼び捨てにし合う間柄……一つだけ自分の手に残したプレゼント。これは要報告案件だな。
セノヴァはコレットという名を頭に刻み込んだ。
日がどっぷりと暮れた頃、ユリナはやっと屋敷に戻ることが出来た。部屋に入り、早速コレットからの包みを開けると、思わず声を漏らす。
「可愛い!」
チェーンを首に着け鏡を見ていた時、門に蹄の音が響く。
「ユリナ様、ギルバート様がお見えです」
ギル様……?
一瞬思考回路が停止する。
えっ、だってこの間会ったばかりなのに……それに、やだ、私学校から帰ったばかりのこんな地味な格好で。髪もまだ……駄目、とにかくお出迎えしないと。
ユリナがあれこれ考えている内に、ギルバートはもう部屋まで来てしまった。
おずおずとドアを開け、中へ通す。
「ギル様、こんばんは。今日はどうされたのですか?」
「それ……」
ギルバートはユリナの問いには答えず、白い首元の桜貝をじっと見る。
「あ、今日友人にもらったんです」
「友人……」
ギルバートの脳裏に、昨日の光景が甦る。同じ出店で袋を手にしていたあの男。
「それは共存魔術で一緒のあの男ですか?」
「はい、そうです。コレットと言って……」
“コレット“ 呼び捨て。自分にはずっと “様” 付きなのに……
「興味ありません」
ユリナの話を不機嫌に遮る。
「それよりも、皇女がそんな安物を着けて、恥ずかしくないんですか?」
その言葉に、今度はユリナが顔をしかめる。
「恥ずかしくなんてありません。とても気に入っています」
気に入っている……
もやもやを通り越して、何やら痛いものがギルバートの胸を刺す。
「……外して下さい。今すぐに」
「嫌です」
ユリナはキッパリと言い切る。それはユリナが初めてギルバートに見せた、強い拒絶の意思だった。
彼は踵を返すとドアノブへ手を掛ける。そして振り向き様にこう言った。
「安物を安易に身に着ける様な、品のない女性は嫌いです」
ギルバートの鞄には、渡せなかった包みが揺れていた。
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