第8話 ~どちらが後悔?~

 

「あら……ギルはもう帰ってしまったの?」


 お茶のお代わりとおやつをのせたトレーを手に、シェリナが入って来る。


 ソファーにぽつんと腰掛ける赤い目の娘を見ると、シェリナはトレーを置き、そっと隣に座った。


「そのネックレス……お誕生日プレゼント? 素敵ね」

「金具が髪に絡まってしまったの……でも着け直してくれて……嬉しかった」

「ギルが? 良かったわね」

「うん……でも、似合わないって」

「うーん、確かに貴女にはまだ少し大人っぽいかもね。でも、ドレスアップした時に着けたら、きっとギルもびっくりするわよ」

「ネックレスだけじゃないかもしれない……服も、髪も、全部似合ってなかったのかもしれない」

「ギルがそう言ったの?」

「ううん、似合わないとだけ」

「何がどんな風に似合わないのか、訊いてみたら良かったのに」

「無理……怖いわ、そんなの」

「ユリナ」


 シェリナは娘の手を握る。


「ギルは寡黙な子だから……貴女の方から気持ちを訊いてあげないと、解らないこともあるかもしれないわよ」

「……話し掛けたら迷惑になるもの」

「それは子供の頃でしょう? 必要なことを、落ち着いてお話しするなら大丈夫よ」

「そうかしら」

「ええ。このままだと、彼だけじゃなく、貴女の方も彼のことを解らないままよ」

「理解して……それでもし傷付いたら? 解らないままの方が良かったりしない?」

「そうねえ……どちらが後悔しないかしら。私にも分からないわ」


 シェリナはふふっと悪戯っぽく笑う。


「お母様ったら」


「さ、一緒におやつを食べましょう。ギルの為に甘さを控えてあるけど、貴女はクリームをたっぷりつけて食べてね」

 カップに新しい茶を注ぐ母を見て、ユリナは少し唇を尖らせる。


「……お母様はいいな。最初からお父様と両想いだったのでしょう?」

「最初はね。でも、二度と会いたくないって言われて、そこから十年間会えなかったわ」

「お父様が!? 信じられない……一体何故」


 シェリナはティーポットを置くと、ユリナの頬を優しく撫でた。


「あれから何年も経つのに……たまらなく苦しくなる時があるの。あと何年かかるか、死ぬまでずっとかもしれないけれど……もう少し整理出来たら、貴女に教えてあげるわね」


 自分が生まれる前、首都の宮殿で起きた黒魔術に関わる事件。人伝に少しは聞いたことがあるものの、箝口令が敷かれているのか、詳しくは知らなかった。

 母の白い手首に残る、火傷の様な二つの傷痕。きっと父や母の苦しい過去に関係があるであろうそれを、ユリナは優しく撫でた。


「……ありがとう、ユリナ。あっ、お父様にはこのことは内緒ね。私がまだ苦しんでいると知ったら、きっと哀しませてしまうから」

「はい」


 母娘はそっくりの顔で微笑み合った。



 ◇◇◇


 ユリナ皇女の誕生日が近付くと、出身地であるランネ市は祭りの様な騒ぎになる。

 貧しい小さな村を、都市に次ぐ豊かな市へと発展させた、この地にとっては英雄でもある皇太子の一人娘。

 親しみのある愛らしい容姿と、皇太子夫妻から譲り受けた国民を尊ぶ真摯な姿勢で、兄のカイレン皇子と並び人気を博していた。


 皇女が通う学園前の歩道には、記念グッズや菓子、金糸や銀糸を使った市の特産品などを売る出店がずらっと並び、生徒達もそれを毎年楽しみにしていた。


「ほら、今年もユリナの記念グッズ買ったわよ。お屋敷のみんなに配らなきゃ」


 学園のテラスで、モニカが袋一杯のグッズを漁る。


「はい、今年の記念コイン」

「やだ~もう恥ずかしい。お兄様は鼻が高いから、横顔を絵にしてもそれは美しいけど……私は何かが違うわ」

「いいじゃない。なんか動物みたいで可愛いわよ」

「動物……」

「横顔が嫌なら正面もあるわよ。ほら……あれ? もっと動物っぽい」

「もうっ! モニカったら」


 二人はじゃれ合い笑った。



 ◇


 ギルバートが生活する寮の周りにも出店が沢山並び、市民や生徒達がわいわいと盛り上がる声が聞こえてくる。


 明日は皇女の誕生日か……

 あれから共存魔術の授業で一度一緒にはなったものの、特に目も合わさずそれきりだった。


 うるさいな……図書館にでも行くか。


 ギルバートは本を取り、階下へ静かに降りていく。玄関を出ると、寮の前の出店で何か包みを受け取った男がこちらへやって来る。

 アイツは……! 同じ寮だったのか。


 向こうもこちらに気付くと、少し口角を上げ会釈した。

 何だ……あの顔。

 モヤモヤしたものが胸に広がっていく。



 出店の前を通り過ぎようとした時、どこかの男達が皇女の肖像画と記念コインを手に浮かれているのが見えた。


「皇女様可愛いよなあ」

「俺、中等部の頃から毎年集めてるぜ」


 ……うるさい。本当にこの時期は嫌いだ。

 睨みつけると、男達はそそくさと去って行った。


 ふと視界に入った出店の棚に、ピンク色のネックレスが見えた。

 貝……?


「綺麗な色でしょう? それ桜貝なんですよ」

 じっと見つめていると、出店の店員が話し掛けてくる。


「うちの親戚がムジリカ国の海沿いに住んでいましてね。皇室には何も関係がないんですけど……リボンを付けてそれっぽく。ほら、皇女様みたいに可愛らしいでしょう?」


 艶々した桜貝の上には、小さな銀糸のリボンが結んである。通されているのは明らかに安物の銀のチェーン。

 ……ふと頭に浮かぶのは、これを首に着けた皇女。あのダイヤモンドより、こちらの方が似合う気がした。


 俺は何をしているのだろう……

 気付けば小さな包みを手に、寮に戻っていた。

 これを渡すのか? いつ? どうやって? この間会ったばかりなのに。


 ……明日は土曜日でもないのに。

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