第7話 ~一番苦手だ~

 

 あの後、ギルバートは授業が始まる少し前に来て、再び一番前の席に座ると何事もなかった様に授業を受けた。


 やっぱり怒らせてしまったのね……

 私のことは、もう少しも見てくれなかった。




「どうだった?」

「一緒に予習してもらったから、この間よりは全然解ったわ。でもやっぱり難しくて……」

「今日はまだ二回目だから仕方ないよ。しっかり復習すれば大丈夫」

「どうもありがとう」


 この後もう此処の教室は使われない為、ユリナとコレットはそのまま同じ場所で復習に取り掛かる。


「ユリナは何の魔力を持っているの?」

「私は風の魔力。お父様から受け継いだの」

「ん? てことは……」

「……あっ!」


 父は祖父から、祖父は曾祖母から。

 そう、ユリナに受け継がれた風の魔力は、曾祖母の生家ベリンガム家のものだ。


「風の魔力はベリンガム家に代々伝わる魔力だ。やっぱり僕達は血が繋がっているんだね」

「コレットも風の魔力を?」

「ううん、僕はベリンガム家ではなく、母の魔力を受け継いだんだ。兄弟もいないし、このまま風の魔力が途絶えてしまうと思うと……」

「私の兄は、曾お祖父様の氷の魔力を受け継いでいるのよ。コレットの子孫にだって、いつかまた風の魔力が現れるかもしれないわ」

「そうだといいな……」

「コレットがお母様から受け継がれた魔力は何?」


「地の魔力」


 それは非常に希有で、比較的魔力を持つ者が多いこの国でも、ほんの数人しか保持していない能力。


 ギル様と一緒だ……



 ◇


 授業が終わってもまだ教室に留まる二人を横目に、冴えない気持ちのまま寮に戻ったギルバート。ポストを開けると、母から手紙と小包が届いている。


『皇女様をきちんとお祝いして差し上げて下さいね』


 もうそんな時期か。

 ギルバートはリボンのかかった長細い小箱を見つめた。




 ◇◇◇


 今日は特別な土曜日。


 ユリナはもう何ヵ月も迷って決めたドレスに袖を通す。ギルバートの瞳と同じ薄い灰色に、チェリーピンクのオーガンジーが重なった、ふわっとした愛らしいドレス。腰まである銀髪に何度も何度もブラシを当て、これ以上ない程艶が出た所で、銀糸入りのピンクのカチューシャを着ける。

 少し子供っぽいかな? おかしくないかな?

 ドレスに合わせてモニカに選んでもらったリップを、祈りを込めて唇に塗った。


 窓の外に蹄の音が聞こえると、ユリナは玄関に飛び出して行く。


「ギルバート様がお見えです」


 馬車から降り立つアッシュブラウンの髪、礼をする灰色の瞳。その眩しさに、ユリナの胸が締め付けられる。



 幼い頃はひと月置きに、馬車で三日程かけて互いの屋敷へ行き来していたが、ギルバートがランネ総合学園へ入学し寮に入ってからは、彼がこうしてユリナの屋敷へ通う様になっていた。



 いつも通り、ギルバートはユリナの部屋に入ると、リボンのかかった長細い箱を差し出して言った。

「少し早いですが……お誕生日おめでとうございます」

「……ありがとうございます」


 彼はそのままスタスタと歩き、いつもの一人掛け用の椅子に座ると、持参した本を取り出し開いた。


 リボンをほどき、中から現れたのは大人っぽいダイヤモンドのネックレス。


 分かっている……

 毎年ギル様からもらう誕生日プレゼントは、彼のお母様が選んで下さったもので。彼は箱の中身が何であるかも知らない。

 子供の頃、もらった腕時計を着けてお礼を言った時、何のことかと尋ねられ……その事実に気が付いた。

 せめて私がこうして箱を開ける時、一緒に見ていてくれたら嬉しいんだけどな。


 ネックレスを取り出し首に着けようとするが、金具が特殊な形状で上手く嵌められない。捻るのかな?

 ……痛っ。髪を巻き込み、変な所でぶら下がり取れなくなってしまった。折角ブラシで念入りに梳かした髪の毛。何だか哀しくなってきた。

 後でお母様に外してもらおう……

 私は諦めると、共存魔術のノートを取り出し目を通し始めた。



 ◇


 箱を渡すと、皇女は静かに微笑み礼を言った。子供の頃はうるさくはしゃいだが、最近は毎年この調子だ。

 うるさいのは苦手だが……こういう顔はもっと苦手だ。

 俺はいつも通り指定席へ座ると、本に目を伏せる。


 そういえば、いつから彼女はあまり喋らなくなったのだろう。視線を感じることはあれど、必要最低限のことしか喋らない。

 ……これでいいじゃないか。本に集中出来る静かな空間を求めていたのだから。でも……落ち着かない気がするのは何故だろう。


 ふと彼女を見ると、離れた揺り椅子に座りノートを読んでいる。傍らには共存魔術の教科書。


「……共存魔術ですか?」


 集中しているのか反応がない。苛つき、再度大きな声で呼び掛ける。


「共存魔術ですか!?」


 皇女はビクッとし、暫くぽかんとこちらを見た後で答える。

「……はい、そうです。難しいので、友人がノートをまとめてくれました」


 友人……あの茶髪の男か。一層苛々し、本をパタンと畳む。

「何故無謀にもあの授業を受けたのですか? 貴女のレベルに合わないことなど、最初から分かっていたでしょう?」


「共存魔術に……興味があったから……です」


「でしたら、先日の様にぎゃあぎゃあと騒がず、もっと真面目に勉強したらいかがですか? 死ぬ気で努力しないと、単位など到底取れませんよ」

「……はい。この間は、うるさくしてごめんなさい。皇女の身分に恥じない様に頑張ります」

 皇女は黒い瞳を伏せると、再び険しい顔でノートへ戻っていった。


 彼女が何の授業を取ろうが、単位を落とそうが、俺には関係ない筈なのに……何を言っているんだか。

 再び本を開こうとした時、彼女の首元にだらしなくネックレスが引っ掛かっているのが見えた。関係ない……だが、何故か彼女の元へ勝手に身体が動く。


「後ろを向いて下さい」

「え……?」

 驚いた顔で俺を見上げる。

「それ」

 ネックレスを指差すと、皇女は理解した様に後ろを向き、長い銀髪を横に分けた。


 腰を屈め手を伸ばそうとするも、突如現れた白い項に思わず息を呑む。即座に首を振り、金具に絡まった髪の毛をほどくことに集中していく。ネジで回すタイプか……

 さらり。

 銀髪を一本も傷めず外せたことに安堵する。再びネジを止めようとした時、指が項に触れてしまった。すると白い肌がみるみる桃色に染まっていく。

 何なんだ……なるべく見ない様にして手早く止めると声を掛けた。


「終わりましたよ」


 髪を下ろしこちらを向いた皇女は、頬を桃色に染めたまま銀色の睫毛を伏せている。

「……ありがとうございます」

 奇妙なその姿に一瞬身体が固まる。


 首に光る煌びやかなダイヤのネックレス。これがあの箱の中身だったのか。恐らく16という年齢から大人っぽく、また皇女に相応しい豪奢な物をと考慮し、母が選んだのだろう……でも、


「似合わないな」

「えっ……」

「似合わない」

 思ったままを口にする。彼女にはもっと……


 ポタッ……ポタ


 ……え?

 首から上へ視線を移すと、黒い瞳が哀しく揺らぎ、大粒の涙が溢れている。あとからあとから流れては、灰色のドレスを黒く濡らしていく。

 うるさいよりも、静かよりも、これが一番苦手だ……


「今日は……もう帰ります」


 俺は本を掴むと、皇女をそのままに屋敷を飛び出した。

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