第4話 ~対等じゃない~

 

「座りなさい」

「はい」


 執務室のソファーに向かい合って腰掛ける。オーレンは娘を見つめると優しく微笑んだ。


「……大きくなったな。ついこの間まで赤ちゃんだったのに」

「お父様ったら、私もうすぐ16になりますよ」

 ユリナはくすくす笑う。

「そうか……もう16か。早いな」


 暫く沈黙が続いた後、オーレンが口を開いた。


「ギルバートのことだが……別に許嫁だからといって、遠慮することはない」

「遠慮?」

「自分の気持ちを伝えなさい。腹が立った時は怒ってもいいんだ」

「……怒ったことなんてないわ」

「今日のことは?」

「怒ったというより、少し哀しかっただけ」

「ではその気持ちをちゃんと伝えなさい。どうも君達は対等ではない気がする」

「……私、毎月ギル様に会うのが嬉しいけど、とても怖いんです。もう会わない、婚約はしないって、いつ言われるかと……。元々対等なんかじゃないの」


 ユリナは顔を歪める。それはオーレンが今まで見た中で、一番哀しい娘の顔だった。


「お父様、どうしてギル様を私の許嫁に決められたのですか? ボイさんの親戚だからですか?」

「……君達の相性が良いと考えたからだよ」

「相性? ギル様と私の性格は真逆の様に感じますが……」

「いずれ君達自身でその意味に辿り着くまで、それ以上は伏せておこう」

「お父様」

「ただ、君達はあくまでも仮の許嫁だ。このまま彼が君を蔑ろにし続ける様であれば、こちらから断りを入れる」

「そんな!」


 オーレンはユリナに近付くと、しゃがんで銀髪をぽんぽんと叩いた。


「ユリナには幸せになって欲しいんだ。私もシェリナも、それだけを願っているよ」


 子供の頃から大好きな、父の大きな温かい手と優しい藍色の瞳。溢れそうになる涙をごくんと飲み込んだ。


 オーレンはさりげなく娘の銀髪をめくりながら、両耳のエメラルド色のピアスを確認していた。




 ユリナが執務室を出ると、丁度やって来たシェリナと鉢合わせた。


「お母様」

 父と同じくらい大好きな母の胸に抱き付いた。

「あらあら、どうしたの。甘えん坊ね」

 柔らかな温もりに心が凪いでいく。


「おやすみなさい」

「おやすみなさい。ちゃんとお布団掛けて寝るのよ」

 今日、化粧をした娘らしい姿を見た筈なのに、親にとってはいつまでも幼い子供のようで。ついこんな言葉を掛けてしまう。



 シェリナはユリナの後ろ姿を見送ると、執務室に入り、オーレンの隣へ座った。


「どう? お話し出来た?」

「ああ、一応な。どうなることやら」

「高等部で何か進展があると良いのだけど」

「悪化する可能性もあるぞ。今日のセノヴァの話を聞く限り、どうしても二人の未来が見えない」


 シェリナは夫の眉間の皺をそっと指でなぞる。

「二人はまだ若いから……これからよ」

 眉間から妻の指を取ると、オーレンはそれに唇を落とした。


「ユリナの話を聞いていたら、貴方と初めて会った時のことを思い出したわ」

「へえ……僕はどんなだった?」


 子供の頃の様な口調で問いかけるオーレン。


「なんて綺麗な男の子だろうって思ったわ」

「それだけ?」

「あと……優しかったわ。だっておやつを分けてくれたもの」

「へえ、ちゃんと覚えていたんだな」

「もちろんよ。ねえ、私のことはどう思った?」

「よく食べる子だと思ったよ」

「もう! それだけ?」

「あと……可愛いと思ったよ。すごくね」


 ほんのり顔を赤らめて嬉しそうに笑うシェリナ。

 昔と全然変わらないな……オーレンは微笑むと、高い背を屈める。照明に照らされた二人の影が、ゆっくりと重なっていった。





 翌日、ユリナは学園のテラスで、時間割表とにらめっこをしていた。

 ギル様が受けそうな授業って何だろう。きっとこの難しそうな中のどれかだろうな。

 ランネ総合学園高等部の授業形態は独特で、首都の皇法学園の様にレベルでクラス分けはされず、自由に授業を組むことが出来る。

 一応学年ごとの必修科目は決まっているが、その他に好きな授業を選択し履修することが出来るのだ。レベルも自由で、入学したばかりの一年生でも三年生の内容を学ぶことが出来る。


「うーん、どうしよう」

「まだ悩んでいるの? もう諦めなよ。単位落としたら元も子もないって」


 モニカはさっさと決めた時間割表を脇に置き、優雅にお茶を飲んでいる。


「だって……折角高等部に入ったからには、一つくらいギル様と同じ授業を受けたいんだもん」

「毎月屋敷で会ってるんだからいいじゃない」

「それとは違うの。学園で授業を受けているギル様を見たいの」


 モニカはやれやれと首を振る。


「やっぱこれしかないかな……ワイアット先生の、共存魔術S」


 父と兄の魔術を見てきたユリナにとっては、共存魔術は子供の頃から興味深い分野だった。


 魔力は神からの贈り物。通常両親どちらか一方の魔力を受け継ぐことが多い。

 だが、父オーレンは父親の風の魔力と、母親の炎の魔力。兄カイレンは、更に珍しく、曾祖父の氷の魔力と、父オーレンの炎の魔力。どちらも二つの異なる性質の魔力を受け継ぎ、巧みに共存させ操っていた。


 そういえば私も幼い頃は、母の回復魔力と父の風の魔力両方を持っていた。

 若い頃に母から回復魔力が消えてしまった様に、私もいつからか使えなくなり、今では扱えるのは風の魔力のみだ。


 ワイアット先生の授業は難しいってお兄様が仰ってた気がするけど……でもこの共存魔術Sは今年度から始まる新しい授業だし、もしかしたらギル様も受けてくれるかもしれない。


 期待を込めて、時間割表に書き込んだ。




 数日後、ユリナは共存魔術Sの教室に一番乗りで到着し、後方の席で待機する。

 ここならギル様が来てもすぐ気付けるわ。


 あっ!!


 人より高く飛び出した、アッシュブラウンの頭。

 ……ギル様!

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