貪欲なマシーンたち

・ さつま町・国道五〇四号

・ 七月二六日 午前三時四〇分


 薄闇の中に仄の光る電子機器に圧迫されたコックピット。そこで機体と動脈を繋いだチューブを巡るのは、色鮮やかな〈刃血〉だった。


「……血液充填率。七十パーセント、七五、八十」


 人体に内包される〈刃血〉は決して無尽蔵ではない。男性であれば平均で約四〇〇〇ミリリットル。そのうち、一度の戦闘に用いることのできる血液量は一〇〇ミリリットルにも満なかった。


 たしかに〈刃血〉は僅か数滴でも機体を稼働させるだけのエネルギーを秘めている。だが、それも短時間の稼働に限られた話だ。


 ターゲットとなるのは高い再生能力を誇る〈吸血鬼症(ヴァンパイア・シンドローム)〉の罹患者。それを葬るのには、相応の時間が必要となる。


 そのため機体のフレーム内は、常に〈刃血〉の性質を再現した人工血液で満たされていた。しかし、それも所詮は模造品のデッドコピーに過ぎず。人工血液を活性化させ、エンジンに火を入れるにも、パイロットの純粋な〈刃血〉が必要とする。


〈FG〉もまた貪欲なのだ。


 かつて民謡に語られた吸血鬼を屠るのに、神が民衆からの信仰を必要としたのに対し、人の括りから外れた化物を屠るのに、そのヒト型兵器もまた相応の代償を求めた。


「……九十、九五、一〇〇」


 およそコップ一杯分の血液をごっそり抜き取られた鋼太郎は、まどろむような倦怠感に襲われた。思考がぼやけて、視界が僅かにフラつく。


「クソっ……相変わらず、持っていき過ぎなんだよ……」


 ポケットの中を弄り、その中にあったカロリーメイトを口の中へと押し込む。


 乾いた食感をミネラルウォーターで強引に流し込みながらに、ほつれた集中力を結び直した。


『……あのさ、もっと美味しそうに食べれないの? ASMRみたくとまでは言わずとも、苦しそうに呻く声を聞きたくはないんだけど』


「そっちが通信チャンネルを勝手に繋げてきたんだろうが」


 イヤホン越しに聞こえてきたのは紅音の声だ。音声だけでも、ムスッーとした彼女が簡単に想像できた。


『私は〈ケロベロス小隊〉の隊長だからね。隊員たちに指示を飛ばさなきゃいけないの』


「隊員たちって、今は俺とアンタしかいねぇだろ……」


『あーもうっ! あー言えば、こう言うヤツなんだな、君は!』


 彼女が通信の周波数を合わせてきたのは、戦況の確認をするためだ。


 約一時間前。三十体以上もの下級吸血鬼が、出水市・肥薩山脈で確認された。


 事態の規模を考慮した結果、〈サツマハヤト〉は即座に事態を収拾すべく、担当地域の行動予備隊のみならず、周辺基地や正規小隊、そして〈ケロベロス小隊〉にも救援を求めた。


 そして二人の〈FG〉を積載した多目的トレーラーは現在、肥薩山脈に向かう道中にある。


『それにしても変だと思わない?』


「……何がだよ」


『ターゲットの数だよ。県境を囲む城壁と計四〇〇門からなる砲撃システムが一体や二体ならともかく、三十体もの吸血鬼の侵入を許すと思う?』 


「今日は風向きも悪い。〈聖塵〉の発する磁場の影響がほとんど作用しなかったからじゃないか?」


 吸血鬼の運動能力を著しく阻害する〈聖塵〉は桜島の噴火によって降り注ぐものだ。大きな噴火が観測されなかった今日一日は、吸血鬼たちにとって鹿児島に攻め入る絶好のチャンスとも言えた。


 だが、紅音はそれにも納得しない。


『だけど、そもそもの前提として吸血鬼たちにそこまでの理性があると思う?』


 あれを理性ある生物と思うな。あれは狂った死体だと思え────それは〈サツマハヤト〉の教本に綴られた一文だ。


 下級吸血鬼に理性はないと言われている。狡猾さや本能としての生き汚なさは生前の残滓として残っていても、強襲のタイミングを測ったり、群れを成して行動できるだけの理性はない。


 防壁の向こうの奪われた生存圏では、血を求めた下級吸血鬼同士が互いを喰い会う様さえ目撃されている。そんなバケモノどもがどうやって防壁の迎撃システムを掻い潜ったかも定かではないが、それ以前に大群を成していることが不可解なのだ。


『まっ、所詮は一兵卒の私たちがそんなことを考えてても仕方がないんだけどね』


「なっ⁉ 自分から話題を振ってきたくせに!」


「余計なことを考えてる暇もないでしょ? 私たちの目的は県内に入り込んできた吸血鬼の殲滅だよ。気合いをバッチリ引き締めなきゃ」


 通信越しの紅音はあっけらかんと答えた。真剣に取り合っていたこちらが馬鹿馬鹿しくなってくるほどに。


 ただ、そこには一才の緊張を伺うことができない。これから戦場に身を投じるというのに、彼女の様子と精神は平静そのものなのだ。


『ふん、ふふーん♪』


 通信には時折、彼女の鼻唄さえ混ざり込む。


「ショッピングにでも行くつもりかよ……」


 毒吐きながらも鋼太郎はモニター上に、紅音の搭乗する機体のデータを表示した。


 片式番号FG―05カスタム〈ハツキ〉────鋼一郎の駆る〈フミツキ〉が武骨な鎧武者のような姿なら、所々の内部フレームが剥き出しにした彼女のマシーンは細身のクノイチを思わせた。


〈ケロベロス小隊〉は様々な装備を検証する為の実験部隊だ。だから多少の珍しい機体や装備を見ることは予想していたが、まさかこんな機体まで配備されているとは。


〈ハツキ〉は〈フミツキ〉の高機動化をコンセプトとしたカスタムモデルのひとつだ。余分な装甲を切り捨て、隊長やエースの専用機として調整された機体と言えば聞こえはいいのかもしれない。


 しかし、その実態は三〇パーセントもの装甲が廃され、パイロットの安全性と機体の強度に大きな問題を抱える欠陥機でもあった。


 たしか、十機〈ハツキ〉が県境の防壁周辺に配備されたと聞いていたが、その構造的な脆さとパイロットを押し潰そうとするGの負荷が大きすぎたせいで、ロクな活躍もできないまま全機が解体、予備パーツに回されたと聞いていたが。


「まさか、こんなところに残っていたとはな」


 右肩には〈ケロベロス小隊〉のエンブレムマーク刻まれていた。紅と白のパーソナルカラーも一際に目立つ。


 そして何より興味を惹かれるのは、彼女が携えたその兵装だ。


「あれはたしか……」


『ねぇ。ここら辺で停めて貰えないかな?』


 唐突にも紅音がトレーラーそんなこと言い出した。


 トレーラーの固定具を解放。〈ハツキ〉が上体を跳ね起こす。カメラアイの双眸が翡翠色に明滅し、稼働状態(アクティブモード)へと移行した。


『鋼太郎くん。ここからは走るよ』


「は……? おい、ちょっと待てッ!」


 次に彼女は〈フミツキ〉の方へと目を遣った。隊長機の上位権限を用いた遠隔操作によって、鋼太郎機を強制的に起動させる。


『既に幾つかの部隊は、吸血鬼と交戦を開始している。だけど今回は敵の数も多すぎるから、そう長くは保たないと思うの』


「だからって、」


『けど〈FG〉ならトレーラーよりも速く走れるでしょ?』


 高機動型の〈ハツキ〉は当然ながら、鋼太郎の〈フミツキ〉も一部のリミッターを解放すれば、トレーラーを上回る速度での走行が可能となる。紅音の判断は速やかに戦場へと身を投じ、ターゲットを殲滅するためのものと言えた。


 だが、彼女の判断には一つの致命的な欠陥を孕んでいる。


「ここから出水市に到着するまでに消費する〈刃血〉の量が多すぎる。そもそも〈FG〉の運搬にトレーラーや航空機を使う理由は、無駄な〈刃血〉の消耗を避けるだめだろ!」


『そんなことは分かってるよ。だから、ずっと計算してたんだし』


「……計算だと?」


『吸血鬼の大群を殲滅するのに必要な血液量と、出水市の肥薩山脈までの距離を走り切るのに必要な血液量。自信ならあるよ。ここから走れば、血液の残量だってギリギリ足るはず』


 通信に紛れ込むパチン! という雑音。彼女がマイクの近くで指を弾いたのだろう。


『それに、これは君のための提案でもあるんだから』


「俺のため? 悪いがアンタの提案は『〈刃血〉を無駄遣いした挙句、貧血で死ね』って言ってるように聞こえるんだけどな」


『けど、それは君がいつもみたいな戦い方をした場合の話でしょ?』


 自らを斬りつけ、夥しい量の鮮血を纏いながらに戦う。


 それが鋼太郎が〝狂犬〟と呼ばれるようになった所以でもあった。


『と言うか。私が走ろうって提案したときに、君もしれっと計算したでしょ? いつもの戦い方をするのに充分な血液量が余るかをさ』


「それは……」


 彼女の指摘に、鋼太郎は口ごもる。


『図星って奴かな? 確かにあの戦い方は悪くない。けどさ、やっぱり発想がマトモなんだよ。狂ってるように見えるだけで、理性的かつ合理的なんだ』


 キツく握りしめた操縦桿に要らぬ力が入っていた。一つずつ自分の中に苛立ちが積み重ねられていく。


 同じことを言われるのだって、これで何度目だろうか。


「結局、アンタはまたそれかよッ!」


『そうだよ。私は君の隊長なんだ。君が成長するために必要なことは何度だって繰り返すし、君が出来るようになるまで何度だって同じことを指摘する。────何度でも言うけどさ、君は勿体ないんだよ』


〈ハツキ〉が旋回し背を向けた。敢えて言葉にはしないまま、自分に付き従うかを、その背で鋼太郎へと問いかける。


『理性的かつ合理的なのは大いに結構さ。だけど、それじゃあ君は、いつまで経って居場所を見つけられないと思うんだ』


 蔓延した〈吸血鬼症〉によって人々は生存圏を奪われ続けて来た。美しい景色も。賑やかな街並みも。大切な人達と過ごした温かな場所さえも。


 その全てを血肉を喰らう化け物たちによって蹂躙されたのだ。


『居場所ってのは勝ち取るものじゃないかな? 強くなった君が、その手でさ』


 通信越しに聞こえる〈ケロベロス小隊〉隊長の声は、うっすらと笑っていた。


『選択は君に任せるよ。だけど、君が私について来てくれるなら見せてあげる。本当の〝狂犬〟の戦い方って奴を』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る