似たもの同士

 隊舎の窓から差し込むオレンジ色の遮光は、辺りを色褪せた写真のように映し出した。そんなセピアな雰囲気のせいだろうか?


 額に大きな絆創膏を貼りながら、便器を磨く鋼太郎の姿がことさら惨めに映るのは。


 隊長命令で一週間トイレ掃除。どうやらアレは何の冗談でもなかったらしい。ブラシを片手に小便器に染み付いた汚れをひたすらに擦りながら、鋼太郎は不満を漏らす。


「まだ眉間の辺りが痛ぇ……あの鹿児島人め。どんな腕力をしてやがるんだよ」


 紅音の振るった刃は、竹刀による威力の常識を超えていた。


 数ある日本剣術の中でも、特に「攻め」に重きを置いたのが示現流だ。その技を父から学んだ鋼太郎から見ても、彼女の振るう刃の速度は異常に思えた。


 竹刀を握るフォームも力の込め方も、ほとんど素人同然だったはず。それでも鋼太郎の意識の外周からあんな一撃を捩じ込めたのは、天性のセンスとしか言いようがない。


 ────君の動きには、センスとオリジナリティが足りていない。


 結果的に紅音の言葉を借りるようなことが堪らなく悔しい。


 あの他人の神経を逆撫でするようなニヤケ面を思い浮かべながらに、ギチチッと歯を噛み締めた。


「あの女……いつか絶対泣かす!」


「ふふ。その様子だと、どうやらあの娘にこっ酷くやられたみたいだね」


 トイレの入り口辺りから声を掛けられた。二度あることは三度あると言う。しかし、その声は紅音の弾むような声とは違う。もっと落ち着きのある大人びた声だ。


「たしか……アンタはエノン先生だったか?」


「おっ、アタシのことも覚えてくれたんだ」


 扉を開ければ、そこに立っていたのは白衣を羽織るエノンだった。


 レトロチックな丸サングラスも掛けていても、それが妙に似合っている。この格好が本来の彼女なのだろう。


「その格好は医師か? それとも〈吸血鬼症〉の研究者とか?」


「惜しいじゃないか。確かにアタシはそこらの医者や研究者より頭が良い。だけどね、キミの所属する小隊の正式名称は何だい?」


「特殊機甲技術試験小隊……だよな」


 鋼太郎は作業の手を止めて、戸惑いながらに答えた。


「そう! 即ち、色んな〈FG〉をテストする小隊だ。それなら当然必要なんじゃないかな。腕の良い技術者(メカニック)って奴がさ!」


 エノン・ブラウン────彼女は〈ケロベロス小隊〉に派遣された技術開発の顧問であり、兵器工学における権威でもあった。


「アタシ、これでも凄いんだよ。元JAXAの技術者だったんだから! まぁ、技術交流で日本にやって来た時期に本国の方で〈吸血鬼症〉が蔓延しちゃったから、母国に帰るに帰れないんだけど……って、おいおい、何だよ? その嘘を吐いてる奴を見るような目は?」


「…………」


 鋼太郎は疑いにあふれた目で彼女を睨んでいた。


 仮に今までの話が本当だとしても、後ろに隠している焼酎の瓶が話の信憑性を著しく下げていることに、なぜ気付かないのだろうか?


「悪いけど、俺も酔っ払いの妄言に付き合ってられるほど暇じゃない」


「まだ飲んでないからセーフですよーだ! それにコレは紅音隊長に没収される前に、お摘みのさつま揚げとセットで部屋の冷蔵庫に隠しておくためなんだから」


 まず没収されるほど酒を飲むな。とは敢えて突っ込まなかった。どうせ無駄だろうし。 


「『〈FG〉のフレーム剛性と〈刃血〉の循環率の見直しについて』アタシが最近発表した論文のタイトルなんだけど。ネットで無料公開してるし、調べればアタシが嘘を吐いてないって分かるんじゃなか?」


 その論文になら鋼太郎も目を通したことがある。自らの搭乗する〈フミツキ〉の性能を独自で向上させようと、〈FG〉に纏わる資料を片っ端から読み漁った時期があるのだ。


 鋼太郎は今更ながらに、これまで目を通してきた多くの〈FG〉関連の資料には


「エノン・ブラウン」の名前があったことを思い出す。


「むむ……これでも信じて貰えないか? それなら『転生したら美少女技術者だった件! ロボットを作って無双しなきゃいけないのに、お酒が美味しすぎて仕事ができません!』と検索してくれ。アタシが書き上げた渾身の一作が、」


「待ってくれッ! なんだよ、その明らかにヤバい雰囲気のするタイトルはッ⁉」


「何を言う! ウェブ上では好評を集めているんだぞ! 特にヒロインが二日酔いで嘔吐するシーンが生々しくて、共感できるって」


「同行の志(酒カス)を集めてんじゃねぇよッ!」


 そんなシーンに果たして需要があるのだろうか? 紅音もそうだが、彼女の言動にもいちいち反応していてもキリがない。


「とにかく、今のアタシは素面なんだ。嘘も吐いていない」


「……ひとまずは信じるよ。……なんか疑う方が面倒くさくなってきたし」


「それは良かった。なら信じてくれるついでに、少し駄弁らないか?」


 酔っ払いの妄言以外なら聞いてくれるんだろ? と彼女は小さくほくそ笑む。


 ◇◇◇


 流石にトイレ掃除をしたまま、立ち話ともいかない。丁寧に手を洗って、本日、二度目の来訪となる談話室の椅子へと腰を下ろした。


「それで? アンタは俺に何の用があるんだよ?」


「まず前提として。アタシにとって〈ケロベロス小隊〉は大事な箱庭のようなものなんだよ。これからも色んな兵器を研究をする以上、隊員同士の不和で、データが取れなくなるなんてまっぴら御免でね」


「要は、あの鹿児島人にボコボコにされた俺が拗ねないようフォローしに来たってわけか」


「平たく言えばそんなとこだね。それに紅音隊長は説明がド下手だから。たまーに何を言ってるかわからない時があるし」


「……それをアンタが言うのかよ?」


 エノンが小首を傾げた。


 酔ってるのではなく、これは本当に自覚のないとき顔だ。


「けど、まぁ、今回はアタシもあの娘と同じ意見かな」


「……なんだよ? アンタも俺が弱いって言いたいのか?」


 鋼太郎の苛立ちが露骨にものなった。彼女も小さく方をすくめて、サングラス越しにわざとらしく視線を逸らす。


「多分だけど、君が弱いって言うのはあの娘なりの挑発だよ。君に火をつけるためのね。それにアタシが抱いた感想は、〝狂犬〟ってアダ名がキミに似合っていないって方だ。────あと、ついでに言うのなら、アタシはその根拠を紅音よりも、もっと上手に説明できるぞ」


「……なら、是非ともご教授願いたいな」


「それじゃあ、キミ。さっきトイレから出た時、手を洗ってただろ?」


 今度は鋼太郎の方が疑問に首を傾げた。


 トイレ掃除をしていたのだから、終わったら手を洗う。それは当然のことだろうと。


「それがらしくない理由だよ。本当に頭のイカれた奴にそんな良識があると思うか?」


 答えは、言わずもがなであった。


 鋼太郎が〝狂犬〟と呼ばれるようになった理由。それは目上の人間だろうとも容赦なく反抗し、命令無視と問題行動を繰り返した結果。


 そして、自らの〈FG〉を傷つけ、流れた血を餌に吸血鬼を鏖殺しようとする様と、目的を果たすためならば、一切の手段を選ぼうとしない、そのスタンスがきっかけであった。 


 だが、それも裏を返せば、理性的で合理的な判断を下した結果である。


「アタシは事前に送られてきた君の〈フミツキ〉を調べたんだ。マシーンってのは何処かの誰かさんと違って素直だからね、フレームの劣化具合や人工筋繊維の摩耗具合を見れば、パイロットの人物像やクセを大まかに推察することもできるんだ」


 ブレードを用いて、吸血鬼とのゼロ距離戦闘を好むのが鋼太郎のクセ。それを一見すれば戦闘を好むバトルジャンキーのように映るだろう。


 しかし、それも吸血鬼の再生能力や弾頭の希少性、飛散する空薬莢による近隣住宅への被害を鑑みれば、最適な判断の延長線にあると言えてしまうのだ。


「上司を殴ったなんて話も、提出された報告書を見せてもらった限りじゃ、非は相手の態度にある。どうやら、キミは自分で思っているより随分とマトモみたいだよ」


 ────ただ、勿体無いと思ってるだけなの。今の君は随分と息苦しそうだから。


 ふと、紅音に言われた言葉が蘇った。


「なら先生はどう思う? 俺はどうしたら、あの何を考えてるか分からない鹿児島人を見返してやれると思う?」


「残念だけど、私はその答えは教えられない。計算ドリルみたいなもんさ。裏のページにある答えを見たって成長は出来ないだろ? 答えは君自身が気づかなきゃ」


 エノンは大切に、ずっと隠し持っていた(つもりの)酒瓶を机の上に置いた。


 小さなグラスも白衣の内に隠し持っていたのだろう。


「けど、ヒントくらいは上げてもいいのかな」


 鋼太郎が止めるよりも早く、彼女は透き通るような焼酎をストレートで煽る。


「あっ、今飲みやがったな! まだ勤務時間だろ!」


「その理屈なら、トイレ掃除をサボってアタシと駄弁ってるキミもアウトだろうけどね。それにアタシたちは似たもの同士って奴なんだ」


「……似たもの同士? ……俺とアンタがか?」


「アタシも君も。それに紅音隊長や、今はちょっと遠征任務で席を外しているもう一人の隊員も。────〈ケロベロス小隊〉は似たような連中の集まりなんだよ」


 すぐにアルコールが回ってしまったのか、ほんのり心地よさそうな赤ら顔でエノンは歌うように続けた。


「君は変人の条件ってヤツを知ってるかい? 本当に変な奴か、目標が周りのその他大勢に理解してもらえない場合のどちらかなんだよ」


 因みに前者が紅音。後者が自分や鋼太郎たちであると、付け加える。


「つまり、何が言いたいかと言うとだな。〈ケロベロス小隊〉に集まった連中は、変人揃いの似たもの同士ってこと。けど、それならさ。君も紅音隊長と同じくらい強くなれるって可能性でもあるんじゃないか?」


 鋼太郎はまだ紅音の強さの全容を知らない。ただ、剣を用いた鋼太郎が素手の彼女に負けたことだけは確かな事実として、ここに存在する。


 少なくとも、生身での喧嘩は彼女の方が明らかに強かった。


「東京に帰るためならば、なんだってやる。それが君のスタンスであることも聞いている。なら君は紅音隊長からは強さを学ぶことだって出来るはずだ」 


「エノン先生……」


 そう言いながら、エノンはさりげなく二杯目を注ごうとする。鋼太郎はそれを見逃さず、彼女の手首をキツく押さえつけた。


「途中まで頼れる大人感が出てたのに、コイツのせいて台無しだよッ!!」


「なっ⁉ 頼れる大人ってのは、皆お酒をカッコよく飲むって相場が決まってるのに」


「まず、勤務時間内に酒を飲んでんじゃねぇッッ!!」

 その直後。偶然にも辺り通掛かった紅音に酒瓶を見つかり、エノンがそれを没収されたことは言うまでもない。


 ◇◇◇


 それから約八時間後。基地内の観測レーダーにて、下級吸血鬼の反応が複数確認された。その数、およそ三〇────〈吸血鬼症〉に侵され、本能のままに血を啜り人肉を喰う化物の群れが、鹿児島に放たれたのだ。

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