肥薩山脈の乱闘①
・ 出水市・肥薩山脈
・ 午前四時
出水市は十月中旬から翌年の三月にかけて約一万羽のツルが飛来する渡来地として広く知られていた。しかし、それも〈吸血鬼症〉が広まる以前のこと。生存圏の縮小と環境の急激な変化によって、飛来するツルも著しく減少したのだ。
市の東部には矢筈岳を主峰とした肥薩山脈が北東に走る。そこへ先行した紅音の〈ハツキ〉は、木々の影に身を潜ませながらに各種センサー類を起動させた。
「パルスレーダーとサーモーグラフィックカメラを併用。探索範囲を広域モードに拡張」
〈ハツキ〉の収集する膨大な情報量がモニター上に叩き出された。それを元に紅音はざっくりとした戦況を俯瞰する。
下級吸血鬼が三十体以上に対して、抗戦する行動予備隊の〈FG〉は八機。
病原菌を内包した生物は皆等しく不幸と理不尽を運ぶ。〈吸血鬼症〉の罹患者であれば、一体を取り逃がしただけでもそこから人喰いの化け物が次々と増えていく。
「ふむ……なるほどね」
吸血鬼を山脈の一点に抑え込もうとする味方の配置と、まだらに点在する二十以上の×マーク。それは継戦が不可能になった、或いは大破した〈FG〉を示すものだ。
辺りは廃油をぶちまけたような黒々しい闇に包まれていた。傾斜と凹凸が激しく、木々が密集とした山中は〈FG〉にとって最適の戦場とは言い難い。アスファルトに比べ脆すぎる地面は確実に足元を取りにくる。
「お世辞にも善戦してるとは言えないな。けど、」
そんな状況下でも、吸血鬼を市域に逃すまいと抗い続けた出水市の行動予備隊は十分に健闘したと言えた。
紅音は静かに操縦桿の握り心地を確認する。次いでキックペダルの跳ね返りや、スラスターの微細な角度を。そのまま、モニター上で孤立している吸血鬼の一体に狙い定めた。
「────あとは私に任せてよ」
〈刃血〉の流れを脚部アクチュエーターに集約。それを脚力へと変換し、〈ハツキ〉が戦線へと躍り出た。
半円の弧を描きながらに飛来する〈ハツキ〉は、吸血鬼が空中に逃げることを許さない。関節同士の掠れ合う異音に振り返った吸血鬼の頭部を、その脚裏で踏みにじってみせた。
腐った果実を踏み潰してしまったかのような、不愉快な感触。その場から足を引き抜けば、赤黒い血肉が装甲べったりとこびり付く。
「まずは一体」
それでも紅音は表情の一つさえ変えない。両腰に備えられた二丁のハンドガンを引き抜き、〈ハツキ〉は素早くそれを構えた。
まだハンドガンには銃弾が込められていない。その代わり、紅音は闇に広がった虚空へと狙いを定め、立て続けにトリガーを引いた。
当然ながら宙を舞うのは空砲である。全くの無意味。ただ二丁の銃声が、遠吠えのように木々の隙間を反響するだけに思われた。
「ワオーン! ……なんちゃって」
だが、それも違う。吠える銃声に周囲の吸血鬼が反応したのだ。
紅音は自らの五感と機体のセンサーが観測した情報を頼りに、接敵のタイミングを押し測る。
「ざっと、二〇秒かな?」
ハンドガンに弾倉を捩じ込み、乾いた唇を舌先でそっとなぞる。そうすれば、ついさっきの自分がやったように木々の隙間の闇から吸血鬼たちが飛び出してきた。
血走る怪物の瞳は、鉄の装甲の内側を流れる〈刃血〉を求めて。
大きく羽を広げ、舞い踊りながらに鋭い牙を突き立てる。
「ふふん♪」
紅音はキックペダルを蹴って、それを避わした。最小限の動きと、最小限の〈刃血〉消費でだ。
牙は〈ハツキ〉の脆弱な装甲に僅かながらになぞるも、火花を散らしながらに勢い付いた巨体を御しきれず転倒。起きあがろうとするそこへ、ぽっかりと穴の開いた二門が突き付けられた。
発砲。ハンドガンによるゼロ距離射撃は、吸血鬼に再生の暇を与えることもなく、その内側を食い破る。
「これで二体……けど、機体の反応がちょっと遅いかも。帰ったらエノン先生に調整してもらわなきゃ……」
同類が一方的に葬られようと吸血鬼は次々に彼女の元へと襲い来る。そこへ向けて〝本当の狂犬〟の銃声が三度吼えた。
◇◇◇
鋼太郎はただ、彼女の戦い方に驚愕させられた。
まるでダンスのステップを刻むように。急静動を繰り返しながらも、ほとんど一方的に吸血鬼を葬っていく紅音と、彼女の駆る紅と白の攪拌した〈ハツキ〉のシルエットはあまりに異様なものであった。
「何だよ、アイツは……」
カメラアイを暗視モードに。さらに捉えた暗闇がAIによって補正されることで、その躍動をよりハッキリと目撃することになる。
ほとんどのパイロットは〈FG〉の主兵装として、汎用性に長けたアサルトライフルを選ぶ。鋼太郎のようにブレードを選ぶパイロットは異端者とも言えた。
二丁のハンドガンを携える紅音もまた一人の異端者である。しかも、その立ち回りは一定の間合いを保ちながら弾数によって応戦するガンスリンガーのそれではない。相手の懐へと飛び込み、或いは敵をいなしながらに、渾身の一撃を狙うインファイターそのものだ。
ハンドガンは取り回しに長けるも、威力に欠ける試作兵装。その欠点を補うべく、距離を詰めているという理屈こそ理解できた。
しかし、その戦略を思い付いたとしたも、実行に移せるパイロットがどれだけいるのだろうか?
モニター上からは次々と吸血鬼を示す反応が消えていく。銃声に惹かれては、彼女によって屠られていくのだ。空になった弾倉を吐き捨てては、次弾を装填。また迫り来る吸血鬼を密着した銃口から放たれる〈聖塵〉製の弾丸が食い破っていく。
だが、鋼太郎はモニターに映り込む〈ハツキ〉を見ながらに一つの違和感を抱いた。
吸血鬼の動きがあまりに直線的過ぎるのだ。
銃声に反応していたとしても、その足元には無数の死骸が転がされている。
確かに下級の吸血鬼には理性がない。だが、あれだけ死の気配を前にしては生物としての本能が近づくことを阻むはず。
「まさか、あの弾ッ!」
鋼太郎は吸血鬼の挙動が、ハンドガンを射線上をなぞっていることに気付いた。
彼女のハンドガンに装填される弾丸は、〈ケロベロス小隊〉の技術顧問エノン・ブラウンによって提案と試作が成された特殊弾頭だ。
弾芯を形作るのは当然ながら、磁場によって吸血鬼の運動能力を著しく阻害する〈聖塵〉である。通常の対吸血鬼弾と異なるのは、その弾芯を覆うこととなるメタルジャケット。そこには彼女自身の〈刃血〉が織り交ぜられていた。
ハンドガンから撃ち出された弾は紅く煌めく。
射線上で仄かに香るのは硝煙と〈刃血〉の匂いだ。吸血鬼の五感は人間を大きく上回る。そして微かな血の匂いも嗅ぎ分け、抗えぬ本能のままそれを貪ろうとする。
紅音と鋼太郎。二人の自らの血を使い吸血鬼の本能を逆手に取ろうとするプロセス自体は似通っていた。だが紅音の方がよほど合理的かつ理性的で、それでいてセンスとオリジナリティに溢れていた。
『これで二〇体』
不意に通信が拾い上げたその声に、思わずゾッとした。わずか数分で敵の半数以上を喰ったのだ。
通信越しの紅音は息一つ切らさない。まるで呼吸そのものを忘れているように。
「あれが〝本当の狂犬〟なのか……」
鋼太郎は思い出す。シミュレータで圧倒的なスコアを叩き出し、自分よりも早くパイロットの資格を勝ち得た同期の少女がいたことを。
〈ケロベロス小隊〉隊長・天璋院紅音二等陸。彼女は己の持てる才覚の全てを戦うことに集約させていた。
ただ死にたがるだけでは「狂気」と呼ばない。形振りを構わずに戦うだけでは、「狂気」と呼ぶに程遠い。
合理性も理性も。センスもオリジナリティさえも。その全てを目の前の敵を葬ることだけに費やし、戦うこと以外を思考から排斥した彼女こそ、ただ目の前の獲物に喰らい付こうとする〝狂犬〟と呼ぶに相応しい。
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