宴の誘い
血に塗れた〈フミツキ〉の装甲を三日も掛けて磨ききった鋼太郎が次に呼び出されたのは、基地内の会議室だった。
「本部のお偉いさんの一人がテメェと話がしたいんだってさ。次は何処に飛ばされるか知らねーけど。せいぜい粗相をしないよう気をつけるんだな、クソ犬野郎」
そう伝えたのは、鋼太郎の所属する行動予備隊の隊長だった。
「なんなら、犬らしく尻尾を振ってみたらどうだ? 靴でも舐めてりゃ、処分も軽く済むんじゃねーの?」
ついでのように付け加えられた一言には、相応な悪意が含まれている。
別にこの程度の嫌味には慣れてしまった。だから、いちいち構うようなこともない。
一瞥して無視を貫らぬけば、隊長の方がこちらの背を詰まらなそうに睨んでいた。
「テメェなんてどっかの戦場でくたばれば良いんだよ、余所者が!」
「…………うっせーよ。…………俺が余所者だってことくらい、俺が一番よくわかってんだよ」
◇◇◇
「島津鋼太郎・二等陸士。ただいま参りました」
ドアをノックするも返事はない。不審に思いながらも入室すると、デスクには幾つかの端末類が置かれている。スピーカーとホログラムの投射器だ。
『初めまして。君が例の〝狂犬〟くんだね』
まるで鋼太郎が入ってくるタイミングと示し合わせた様に、投射器は一人の男の姿を映し出す。長身にタイトなスーツを着こなすその男は、他に特筆するような点もない。何処にでもいる様な優男と評するのが一番であろう。
だが、〈サツマハヤト〉に属する隊員ならば、誰もがその男を知っていた。
「さっ……さ、西郷隆月陸将補ッ⁉」
下級吸血鬼を一五〇体。並びに上級吸血鬼を八体。この数字は十年前、まだ第一世代モデルの〈FG〉がロールアウトされる以前に西郷が一個小隊を指揮して殲滅した吸血鬼の総数である。
そして現在は、各部隊の総括を任された連隊長の職務を務め上げる〈サツマハヤト〉の中心人物でもあった。
『本来ならば直接出向くのが筋だろうが、何分ボクも多忙の身でね。まずはこんなカメラ越しで会話する非礼を詫びさせてほしい』
「い……いえ! そんなことは、ありませんっ!」
歴戦の猛者である隆月から受ける印象は、予想よりも柔らかなものだった。
だが、鋼太郎の張り詰めた緊張の糸は解けそうにない。二等陸士と陸将補。両者の階級は十以上もの開きががあるのだ。
『そう緊張しないでくれたまえ。肩書だけは大層でも、所詮は前線を退いた老兵だよ』
本人はそう言っているが地位やキャリアにだって大きな差がある。鋼太郎の知る上層部の中でも、隆月の築いてきた実績は頭が一つ抜けていた。
だからこそ、同時に一つの疑問も浮かぶ。────なぜ、隆月がこうやって自分にコンタクトを取ってきたのか?
鋼太郎は以前にもこうやって問題を起こしては、上層部のお偉い様方に呼び出されていた。
ようやく厄介払いが出来ると言いたげな顔で、欠員の出た予備隊へと左遷を言い渡される。それがいつものパターンだったはずだ。
だが、隆月ほどの重要人物がこうやって、面会を求めてきたことなど一度もない。失礼のないよう気を配りつつ、鋼太郎はその真意を探るろうとする。
「……陸将補殿。本日はどのようなご用件で?」
『君の次の配属が決まった。だから、ボクはそれを伝え、準ずるよう命じなければならないんだよ』
それならば、書類を一枚添付するだけで十分だ。そんな疑念を汲み取ってか、隆月はさらに説明を付け加えた。
『これでもボクは君のことを高く評価しているんだ。普段の素行や言動こそ褒められたものではないが、君が優秀な〈FG〉のパイロットであることも聞き及んでいる。特にブレードを用いた近接戦闘のセンスが高いとね。剣道か何かの経験があるのかな?』
「……小さい頃に少し、父の影響で剣術を」
『なるほど、お父様のおかげか』
「ちょっと齧った程度の素人剣術です。段も持っていませんし、試合をしたら普通に負けます」
『そうだろうね、真剣と竹刀じゃ、足さばきから違う。……これはボクの旧友の言葉なんだけどね『ボクシングと殴り合いのデスマッチは違う。ルールに縛られた闘いの中ではそのルールにより適応した方が勝つし、逆もそう』らしいよ』
隆月がそっと目を細めた。そこにはホログラム越しだというのに、言い知れぬ圧がある。
どうやら隆月を何処にでもいるような男と評するのは少々語弊があったようだ。
細められた瞳には猛禽類の鋭さがある。目付きが凡人とは明らかに違うのだ。
『それじゃあ、話を戻そうか。実はとある部隊がずっと近接戦闘に長けたパイロットを探していてね。君が欲しいと申請を受けたんだ。……ただ、その部隊はちょっとした訳アリで』
「訳アリ……ですか?」
鋼太郎は小首を傾げた。
『特殊機甲技術試験小隊────通称は〈ケロベロス小隊〉。行動予備隊とも正規小隊とも違う、独自のカスタマイズが施された〈FG〉や新たな試作兵装をテストして、データ収集を目的とした一個小隊。……なんだけどね』
最後の方を明らかに濁していた。眉間に手を当てて、どうオブラートに包むべきかを悩んでいるようだ。
『なんというか、すごく面倒な……いや、個性的なメンバーが揃っているんだよ』
それは隆月なりのフォローだったのだろう。けれども、その実態が「変人揃いの実験部隊」であることに察しが付いた。〈サツマハヤト〉中から、自分のように行き場を失った隊員と技術者を寄せ集めでもしたのだろう。
「お言葉ですが、」
鋼太郎の表情が露骨に曇る。
瞳を眇め、隆月を睨んだ。
「もし、陸将補殿がお世辞でも自分のことを評価してくださるのなら、そんな後方な機材を弄るだけの部隊ではなく、自分を戦場に出して下さい。どんなに過酷な戦場でも構わない。自分はどんなことをしてでも、」
『君はどんなことをしてでも、東京に帰らなければならない。だったかな?』
まるで、こちらの全てを見透かしたかのように隆月は続けた。
『言ったよね、君のことは聞き及んでいると。それに、すこし説明不足みたいだ。〈ケロベロス小隊〉のデータ収集は、全て『実戦』によって行われる。時には県外の吸血鬼との戦闘データを取るために、遠征部隊に同行してもらうケースだってある』
「それって、」
『結果さえ出せば、東京に帰れるかもってことだよ。正直、ボクらにも手段を選んでいる余裕はないんだ。たとえ部下たちに死んで来いと命じることになろうとも、僕自身が地獄の業火に焼かれることになろうとも。───生存圏の奪還と吸血鬼の殲滅。その為ならば、試せるものは何だって試してやろうというのがボクの方針だからね』
それは鋼太郎にとっての天啓。基い〝狂犬〟にとっては待ち侘びたチャンスでもあった。
迷う理由などない。その場で一つの覚悟が決まる。
『彼女たちはすぐにでも君を必要としている。今日中に異動の手続きを完了し、これまでの戦闘レコードと、君の〈フミツキ〉を先方へ送るといい。そして、願わくば、君たちがその牙で吸血鬼たちの喉笛を噛みちぎることを望むよ』
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