奇人・変人・大困惑
・ 七月二五日 午前十一時二十分
・ 姶良市・加治木IC(インターチェンジ)
鋼太郎を乗せた高速バスは〈サツマハヤト〉の本部基地を目指していた。
車内で揺られるだけの退屈な時間。何気なしに車窓へと目を向ければ、今日も噴煙を上げる桜島火山を見ることができた。
「……またか。風向きは確か、薩摩半島の方だったな」
桜島は現在でも活動が記録される活火山だ。澄み渡る空に向けて、もくもくと煙の柱が立ち昇る様も県民にとってはそう珍しいものでもない。強いて言えば、洗濯物の心配をする程度のものだ。
地元のニュースでは桜島上空の風向き情報が報じられ、それをチェックしながら予定を立てるのも県民特有の習慣であろう。
桜島の灰が降ることは、雨や雪が降ることと変わらない日常の風景だった。少なくとも、日本で〈吸血鬼症(ヴァンパイア・シンドローム)〉の蔓延する十年前までは────
吸血鬼の運動能力を著しく低下させる特殊金属〈聖塵〉。その性質が発見されて以降、桜島が噴火する日には特別な意味が込められるようになった。
少しバスの先頭へと目を向ければ、運転手が胸を撫でおろし、安堵している姿が伺える。乗り合わせた他の乗客たちも概ね同じような反応だ。
〈聖塵〉の影響下に晒されて運動能力の低下した吸血鬼が、防壁を超えた前例はない。少なくとも、桜島の灰が降るその日限りは〈吸血鬼症〉の感染に怯えなくても良くなるのだ。
フン、と鋼太郎は心底詰まらなそうに鼻を鳴らして、シートへと腰を掛け直した。
確かに、灰の降る日は〈吸血鬼症〉の感染に怯えることもない。それでも現状だって変わるわけじゃないんだ。
〈聖塵〉を加工した対吸血鬼弾頭やブレードの数だって、人類が攻勢に出るにはまるで数がまるで足りていなかった。
苛立ちを募らせながらに、胸元に貼り付けられた新しいワッペンを見遣る。
そこに描かれたのは鎖を食いちぎる三首の猛犬────鋼太郎が新たに配属されることとなる〈ケロベロス小隊〉のエンブレムマークだ。
行動予備隊を移動になるたびに、幾つもの新しいエンブレムを受け取ってきた。しかし、そこで受け取るのはアルファベットと数字が描かれた簡素なものだ。
それは正規小隊も同じであり、エンブレムには小隊の番号が刻まれるだけだと聞いた。だからこそ、尚更にこのエンブレムが異質なものに思えてしまうのだろう。
「特殊機甲技術試験小隊…通称〈ケロベロス小隊〉か」
〈サツマハヤト〉に所属していれば、噂程度にその部隊の話を聞くこともあった。誰もが口を揃えて、あそこは異質な小隊だと語るのだ。
西郷から聞かされた「変人だらけの実験部隊」という話とも大まかな印象は一致する。
「……ある意味じゃ〝狂犬〟と呼ばれた俺にはお似合いなのかもな」
◇◇◇
間もなくして高速バスは本部基地の周辺に停車した。そこから見える基地の規模は、これまで鋼太郎が転々としてきた行動予備隊のそれと比較にならない。
旧・鹿児島空港の敷地を借り上げたそこには、鋼太郎の属することが決まった〈ケロベロス小隊〉以外にも、一番隊から十二番までの隊舎や〈FG〉を改修するためのガレージ。加えて、吸血鬼の動向を探る観測レーダーまでもが揃えられている。
まさしく、生存圏の奪還と吸血鬼の殲滅を掲げた〈サツマハヤト〉の意思を体現した軍事施設である。
鋼太郎は事前に支給された基地内の見取り図を広げてみせる。どうやら〈ケロベロス小隊〉の隊舎は基地内でも端っこの方にあるらしい。
敷地内にはトーイングカーを始めとした様々な空港車両が行き交っていた。空港車両の中には〈FG〉の牽引に役立つものも多い。だから敷地と共に借り上げて、そのまま転用しているのだろう。
そのうちの一台に乗せてもらえたお陰で、隊舎へもすぐに辿り着くことが出来た。乗せてくれたトーイングカーの運転手が、〈ケロベロス小隊〉の名前を出した途端に気の毒そうにこちらを見てきたが、その目線には敢えて気づかないことにした。
不安を拭いつつ、軽く襟袖を整えて、ドアを開く。
「……失礼します」
隊舎のなかはずいぶんと静かだ。隊員同士が円滑なコミュニケーションを取れるよう、玄関からすぐ側に設置された談話室にも人の気配はない。
壁に埋め込まれたデジタル時計に目を向ければ、今がちょうどお昼時であることに気付いた。さっき通り掛かった食堂がやたらと混み合っていたのも、そのせいだろう。
「多分、飯でも買いに行ってるんだろうな」
ならばさっさと背負ってきた荷物を解いてしまおうと、そんな風に考えていると、何処からか呻き声が聞こえてきた。
「……おぇぇぇ……ぎぼぢ悪い……」
声の方に目をやれば、女性用トイレの扉が徐に開け広げられている。そこから這うようにして〈サツマハヤト〉隊服を着た女性が現れた。
「ねぇ、そこの少年。ほんのちょっとでいいから、アタシに手を貸してくれないかな……?」
「えっ……俺ですか……⁉」
「何を言うんだ? そこには君意外、誰もいないだろ?」
それもそうなのだが。明らかに関わってはいけない人間特有の雰囲気がする。
「つか臭っ、酒くっさ! まさか、昼間から酒飲んでるんじゃ⁉」
「鹿児島はお酒もお摘みも美味しいから、ついつい飲み過ぎちまうんだよ。特にイモ焼酎と鳥刺し。あの組み合わせは、常々許されるざれるものだね」
「いや、理由になってねぇよ……」
恐らくトイレから聞こえた呻き声も今の不可解な言動も、二日酔いが原因なのだろう。仕方なしに彼女に肩を貸して、ひとまずは談話室の椅子へと座らせた。そして自分も反対側の椅子へと腰を落ち着ける。
そこで改めて彼女の顔立ちが、ずいぶんと日本人離れしていることに気付かされた。くっきりとした目鼻立ちと金髪に加え、透き通るような青色の瞳をしているのだ。
「ふいっー、なんとか落ち着いたよ。アタシはエノン・ブラウン。アメリカ人だけど、心はジャパニーズニンジャ! ブシドーってやつをひた走る女さ!」
「いや、その時点で色々間違ってるような気がするんですが……」
「細かなことを気にしているうちはモテないぞ、少年。というか……君は誰だ? 酒に弱い自覚はあるが、それでも記憶が飛ぶほど飲んだ覚えはないぞ」
やけに流暢な日本語でそう言われて、鋼太郎も名乗っていなかったことを思い出す。
「……島津鋼太郎・二等陸士です。本日より特殊機甲技術試験小隊に配属されることになりました」
「ふむ……では君が西郷さんとあの娘の言っていた例の〝狂犬〟くんか」
エノンがほんの一瞬だけ、視線を鋭く細める。
しかし、それもほんの一瞬のことで、すぐに大手を広げてみせた。
「歓迎しよう、ミスター鋼太郎! ようこそ〈ケロベロス小隊〉へ!」
そこで彼女はついでのように付け加える。
「それから、タメ口でも構わないぞ。そもそもアタシは兵隊ですらないからな。君たちのルールや階級の外にいる存在なんだよ。あっははは!」
「は……?」
頭の中にクエスチョンマークが浮かんだ。
「いや、隊服を着てるだろ……」
「あー……これは、ゲロって着るもんがなくなったから備品を借りてるだけ。というか異国の血を引くアタシじゃ〈FG〉に乗れないだろう?」
「けど、なんか隊員的な雰囲気を出してただろ! それにさっきだって、なんか隊長っぽく歓迎の挨拶をしてくれたじゃないかッ!」
「あれはなんというか、アメリカンジョーク……いや、ちょっとした悪ノリってやつだな」
鋼太郎は絶句してしまう。変人揃いとは聞いていたが、一人目でさえこれだとは。
しかも彼女は〈ケロべロス小隊〉のメンバーですらないという。
「えっと……それじゃあ、本当の隊員は?」
「それなら、あの娘がそろそろ戻ってくるんじゃないか? ほら噂をすれば」
「エノン先生、購買で水としじみ汁貰ってきたよ! ……って、あれ? もしかして、そこにいるのはいつぞや〝狂犬〟くんじゃないかな?」
思わず既視感を覚えてしまった。背後から聞き覚えのある声がする。
それにこのシチュエーションだってつい最近、体験したばかりのような気がする。
「まっ、まさかな……」
そう自分に言い聞かせなけがらも、恐る恐るに振り返る。しかし、期待に反して彼女は買い物袋をぶら下げながらに立っていた。
彼女の一つにまとめた黒髪のポニーテールが小さく揺れる。
「改めて自己紹介をしよっか。私は天璋院紅音・二等陸尉。〈ケロベロス小隊〉の隊長を務めさせて貰ってるの」
「なっ……⁉ に……二等陸尉だとッ⁉」
困惑と驚愕が同時に襲い掛かってきた。紅音は鋼太郎とそう変わらない歳のはずだ。〈FG〉に乗り始めた年数だって、大差はないはず。そんな少女が一個小隊を率いていることにも驚いたが、もっと驚くべきは彼女の階級にある。
齢十八にして尉官。鋼太郎よりもちょうど九つ上の階級を誇っているのだ。隊服の襟元に留められた徽章も煌びやかにそれを表している。
「ふふふ……だから言ったでしょ? 名前を覚えといて損はないって。なんたって私は、最年少スーパーエリート隊員! 天璋院紅音チャンなんだから!」
そのドヤ顔が癪に触ったことは言うまでもなく。
それでも紅音は大手を広げてみせた。
「歓迎するよ、鋼太郎くん! ようこそ〈ケロベロス小隊〉へ!」
「あっ……それはもうアタシが言っちゃった」
「……マジ?」
「……マジもマジ。大マジ」
しばしの沈黙。そのまま二人が気まずそうに顔を見合わせる。
「なんで言っちゃうの、エノン先生! というか、先生は隊員でも無いくせに!」
「いやーこの新人くんがなんか勘違いしてるぽかったから。ついうっかり」
「ついうっかり、じゃないでしょ!」
なぜだか見ている鋼太郎の方が頭痛を覚えてきた。これから、この変人二人にどう返答を返せばいいのか。それを考えるだけでも億劫になる。
「はぁ……せっかく色々考えてた隊長っぽい台詞も、先生のせいで全部台無しになっちゃいました。だから、もう鋼太郎くんには言いたいことだけ言うことにします!」
「……言いたいこと?」
「うん。これだけは次に会ったら言ってやろうって、ずっと決めてたことがあるの」
紅音が鋼太郎の表情を覗き込んだ。その丸く大きな瞳で鋼太郎のことをじっと認める。
「君さ〝狂犬〟だとか、何とか色々言われてるけど。────実はすっーごく弱いでしょ?」
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