狂犬と迷犬

鹿児島好きの奇妙な少女

 生存権の奪還と吸血鬼の殲滅───それは生き残った人類の悲願であると同時に、旧自衛隊、西部方面隊を中心に編成された国連軍第四五独立鉄騎連隊〈サツマハヤト〉の掲げる信念でもあった。


 七月二十日 午前一〇時三〇分 

 紫原 行動予備隊B6基地


 季節は夏真っ盛り。トタン屋根に断熱材もないガレージ内はとうに四〇度を超えて、地獄のような熱気に包まれていた。


 うだるような暑さに、熱中症で倒れる隊員も後を絶たない。申し訳程度に設置された扇風機も大した活躍はしてくれなかった。


 B6の基地は、小学校の敷地を借り上げた小規模の基地。〈FG〉の整備用に建てられたガレージだって急ごしらえのプレハブ式で、県内に点在する他の行動予備隊基地も似たような劣悪環境に置かれているのだろう。


 それでも、この蒸し風呂状態の中で隊服を着続けるというのは無理がある。カーキ色をした厚手の隊服を腰に巻きつけながら、鋼太郎(こうたろう)は額に浮かぶ大粒の汗を拭った。


「……暑ちぃ」


 その眼前で膝を折って項垂れるような駐機姿勢を取っている〈FG〉は、昨晩鋼太郎が乗り込んだものだ。


 片式番号FG05〈フミツキ〉。操作性と整備性の両方に長けた第五世代機に区分される本機は、珍しいマシーンというわけでもない。


 その証拠に同様のモデルが二機、隊長用にブレードアンテナが大型化されたカスタムモデルが一機。計四機の〈フミツキ〉が、このガレージにはずらりと並べられていた。


「メカニックの連中曰く、テメェが汚したんだから、テメェで掃除しろだとさ……」


 鋼太郎の手元にはデッキブラシとバケツがあった。他の〈フミツキ〉が高圧洗浄機のスチーマーで磨き上げられている一方で、鋼一郎の〈フミツキ〉だけが昨晩の血に塗れたままになっている。


 混ざり合い、黒く固まってしまった血液は自ら流したものか。それとも切り捨てた吸血鬼のものか。破損した腕部もフレームから交換するために取り除かれ、片腕だけになったその姿には哀愁さえ覚える。


 後にも先にも〈吸血鬼症〉が空気感染した例はない。殲滅した吸血鬼の体内や血液にもウイルスは内包されているが、そのほとんどは紫外線に晒されることですぐに死滅してしまうからだ。それこそ逸話で語られる吸血鬼のように、首元に牙を突き立てられでもしない限り、まず感染はあり得ない。


 だが、そうだとしても、メカニックが機体に付着した血液を清掃しない理由にはなり得ない。


 いくら感染の恐れがなくたって、〈FG〉は精密な機械部品の集合体だ。関節に血が付着すれば動きは鈍るし、内部にまで血液が浸透すれば電装系がエラーを起こす。本来であれば、この基地に在籍するメカニック達が早急に清掃とメンテナンスを済まさなければならない案件だ。


 では何故、鋼太郎がデッキブラシを握らされることになっているのか? 


 有体に言ってしまえば、ただの嫌がらせだ。


「はぁ……」


 昔から誰かと打ち解けるのが苦手だった。自分が面倒な性格をしているのも自覚しているが、そのせいで周囲から孤立してきた。


 トラブルを起こして、所属する予備隊を移動させられたのだって一度や二度じゃない。死にたがりと称されるまでに、昨晩のような無謀な戦い方を続けていたのも、他者から嫌厭されてしまう要因の一つであろう。


 相手が誰であろうとも、血塗れになりながら喰らいつく。挙句に付いたアダ名は〝狂犬〟だ。


「……こんな嫌がらせに構っていられるかよ」


 生存権の奪還と吸血鬼の殲滅────それらは国連軍第四五独立鉄騎連隊〈サツマハヤト〉の掲げる信念であると同時に、そこに籍を置く鋼太郎の渇望でもある。


〈サツマハヤト〉では吸血鬼によって奪われた生存圏を奪還するため、〈FG〉を用いた遠征や調査任務が課せられる。県境を跨いだ交通インフラが死滅した今、それ以外に他県へと渡る手段はない。


 東京に帰るためならば、手段を選んではいられない。だから鋼太郎は〈サツマハヤト〉へと志願し、異例の速さでパイロットの資格を得たのだ。


 両手が動かなくなるまで訓練装置にしがみついて、ようやく機体を思うがままに操れるようにもなった。それなのに……


「俺は、こんな所で足を止めてる場合じゃねぇんだッ!」


 遠征や調査任務を科せられるのは、〈FG〉の操縦に長けたエリートからなる一番隊から十二番隊だけに限定される。


 ごく稀に防壁を超えて県内へと紛れ込んだ吸血鬼を屠るだけの行動予備隊に所属する鋼太郎では、経験値も戦績もまるで足りていなかった。


 もっと結果を出さなければ。もっと強くならねば。


 そんな強迫観念にも似た思想が鋼太郎の頭をグルグルと駆け巡った。犬歯をキツく噛み合わせて唸る様は、まさしく〝狂犬〟のそれと言っていい。


「────ねぇ? この基地は何処に行っても暑いところしかないの?」


 背後で扉の辺りから聞き慣れない声がした。柔らかく、聞き心地の良い女性の声だ。


 手を止めて振り返れば、そこには見慣れぬ少女が基地の見取り図を団扇がわりに、首筋の辺りをパタパタと仰いでいた。その風に煽られて、後ろでは一つに結んだ黒髪のポニーテールが小さく踊る。


 歳は十七か十八だろうか、鋼太郎とそう離れているようにも見えない。〈サツマハヤト〉の隊服を着ているのだから、関係者であることは間違いないのだろうが……


「うん。こんなところにいたら私の方が焼け落ちて、灰になっちゃう」


 すると彼女は唐突にも着ていた隊服を脱ぎ始めた。


「なっ⁉」


 露わになったのは、透き通るような白い肌と黒いスポーツブラ。そこには小さいながらも確かに女性らしい膨らみがあった。


 思わず目を逸らす鋼太郎。だが、彼女はそんな態度を見逃してはくれなかった。


 ニンマリとした笑みを浮かべたかと思えば、軽快なステップを踏んで距離を詰めて来る。


「なーに、見てるの? ヘンタイくん?」


「そ……それはアンタがいきなり服を脱ぐからで!」


「だって、この夏場に隊服は暑すぎるんだもん」


 鋼太郎は彼女の所属や階級を伺おうと、隊服の方に視線をやる。


 しかし、それを盗み見るよりも早く、彼女は鋼太郎と同じように隊服の袖を腰巻きにしてしまった。


「ところでさ、君が噂の〝狂犬〟島津鋼太郎くん?」


「……どうして、それを?」と言い返そうとしたのを見透かされてしまったのだろ

う。


「目元の酷いクマと貧血症状特有の青白い顔」


 先んじて、彼女が答えた。


「実はさ。昨晩の零時ごろ、この辺りに迷い込んだ下級吸血鬼を一人で殲滅したってパイロットがいるって話を聞いちゃってたんだよね。あとはそうだなぁ……君の犬っぽい雰囲気のせいかな?」


「犬っぽいって……」


 確かに歯を見せるような表情をすれば鋭く尖った犬歯が目立ってしまうのだが、犬っぽいと言われたのは初めてのことだ。


 寧ろ鋼太郎には、初対面でも馴れ馴れしく近づいてくる彼女の態度の方がよほど、人懐っこい小型犬のソレに思えてならなかった。


「えっーと……アンタが誰かは知らないが、俺は見ての通り忙しい。用があるなら後に、」


「あー違う、違う! 私はちょっと君の顔を見に来ただけ、だから大層な用事なんてないよ」


「俺の顔を見に来た……?」


「そっ。思ってた以上に不健康で不幸そうな顔だね」


 鋼太郎の額にピキリと青筋が走った。随分とボロクソに言ってくれる。


「そうだ、コレ食べる? 食べたら、その顔も少しはマシになるかも♪」

 

 そんな鋼太郎の苛立ちに気づいているのか、いないのか。彼女はズボンのポケットから小さな紙包を取り出した。中に包まれているのは小さなお菓子のようだ。


「鹿児島名物、薩摩蒸氣屋(さつまじょうきや)のかすたどん! ふんわり食感の生地でたっぷりのカスタードクリームを包んだ甘ーい銘菓子! オススメだよ」


「いや、いらねぇんだけど」


「……えっ?」


「だから、いらないって」


「どうして! かるかん饅頭やボンタン飴にも並ぶ鹿児島名物だよッ!」


 自信満々のプレゼンを玉砕された彼女は、オーバーなリアクションを上げる。


「今は物を口に入れる気分じゃないと言うか」


「もしかして甘いのは苦手? それならサツマ揚げなんかもあるけど」


「そう言うわけじゃなくて。つか、なんでサツマ揚げも持ち歩いてるんだよッ!」


「だったらさ」


 彼女は小首を傾げて、


「君は鹿児島(ここ)が嫌いなの?」


 その質問は薄氷のような鋭さがあった。鋼太郎は表情を引き攣らせたまま、思わず答えを詰まらせてしまう。


「それは……」


「〈FG〉を操れるんだから、君も〈刃血〉を持った鹿児島人のはずだよね?」


 本土最南端の地、鹿児島が日本最後の生存圏として残り続けているのには、様々な要因が絡み合っている。


 東京が陥落してから、南下してくる吸血鬼の侵攻に猶予があったこと。


 城壁の建造とそれに付随する迎撃砲のシステムが配備が間に合ったこと。


 ロールアウトされた第一世代モデルの〈FG〉が対吸血鬼戦で確かな戦果を挙げたこと。


「鹿児島が今日まで〈吸血鬼症〉を阻み続けてこれた理由なんて細かく上げ始めたらキリもない。けど他とは明確に違う二つの要素があったの」


「〈聖塵〉と〈刃血〉だな」


 県の中心に浮かび、頻繁に噴火を繰り返す活火山として知られるも桜島火山。その噴火によって降り注ぐ灰のなかに含まれる鉱物の一つが〈聖塵〉だ。


「〈聖塵〉の発する特殊な磁場は吸血鬼たちの運動能力を著しく低下させる。それらの特殊金属を銃弾や刀身に加工することによって、鹿児島はいちはやく、吸血鬼への有効な攻撃力手段を確立させたの」


 そして降り注いだ灰は、その地に住まう人々にも変化を齎した。


「〈聖塵〉の磁場により影響は吸血鬼だけでなく、人体を流れる血液にも及ぼした。その結果として鹿児島人の身体には〈刃血〉が流れるようになった、だろ?」


〈刃血〉には膨大なエネルギーが内包されていた。それは数滴でさえ、〈FG〉のような大型兵器を稼働させるに程の。


「そっ! だから、その機体が君の〈刃血〉で稼働している以上、君も私たちと同じ鹿児島人だと思ったんだけど。違うのかな?」


「別に……それに皆が皆、アンタみたいに地元大好きってわけでもあるまいし」


「まぁ、それもそうだけどさ。やっぱり県民としては、皆が鹿児島を好きであって欲しいじゃん」


「そういうものか?」


「そういうものだよ」


 彼女は首を縦に振って頷いた。しばし黙り込んだ後で、鋼太郎は閉ざしていた口を開く。


「お袋が北海道生まれで、親父が鹿児島生まれ。。だから俺にも〈刃血〉が流れてるし、〈FG〉を操縦することもできる」


「あっ、なるほど。そういうパターンもアリなわけか」


「だから別に鹿児島が好きと嫌いとか、そう言う特別な感情を抱いたこともない……。ただ、何て言えばいいんだろうな……」


 鋼太郎は東京の街で育った。現在は〈吸血鬼症〉の感染爆発によって汚染された、その街でだ。


「───俺の居場所は鹿児島(ここ)じゃないって。そんな気がするんだよ」


「ふーん」


 彼女はその丸っこい瞳を細めた。わざとらしく軽く肩をすくめて、退屈そうな顔をする。


「期待してたよりつまんない答えが出てきちゃった」


「なんだと……?」


「まぁ、いいや。今日は君の顔を見に来ただけなんだし。それじゃあね」


 彼女はくるりと踵を返して、鋼太郎に背中を見せた。


 厚底の軍靴をカツカツと鳴らして。そのままガレージを後にするのだろうと、そう思った途端にニヤりとほくそ笑んだ彼女が振り返った。


「おりゃ!」


「なっ……ふごっ⁉」


 唐突なことに驚く鋼太郎。その大きく開いた口に、彼女は何かを突っ込んだ。


 口の中にほのぼのと広がるのは、カスタードクリームの甘い風味だ。


「かすたどん、美味しいでしょ? これで君は一つここが好きになった」


 確かに美味しい。美味しいのだが。


「……けっほ! ……けっほ! いや、いきなり口の中に突っ込むんじゃねぇよ! アンタは俺を殺す気かッ!!」


「あはは! 君はそんな繊細でもないでしょ。それに」


 そんな抗議も軽やかに受け流して。彼女はまるで予言でもするかのように、指先をそっと自らの口元へと当てがった。


「それにアンタって呼び方は気に入らないな────私は天璋院紅音(てんしょういんあかね)。君がこれからも戦い続けるのなら、覚えておいて損のない名前だよ」


 ◇◇◇


『あっ、もしもし。西郷(さいごう)さん? そうそう、私。最年少スーパーエリート隊員の天璋院紅音チャンだよ』


『うん。例の彼を見に行ったんだけど、結構見込みがあるね』


『それでさ。電話口にこんなことを頼むのもアレだけど。例の申請、通しては貰えないかな?』


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