最終防衛ライン・カゴシマ
ユキトシ時雨
プロローグ
生き血をすする兵器
東京に帰れるのなら、なんだってやってやる。
例えそれが、生き血を糧とする兵器を操ることだとしても────
二〇四五年 七月二十日 午前零時十分
鹿児島市・市道紫原中央線
口いっぱいに頬張った携帯食料を、ミネラルウォーターで押し流して。島津鋼太郎は固いコックピットシートに身を預けていた。
片耳に挿したイヤホンからは掠れたノイズ音に混ざって、上層部の声が聞こえて来る。
『防壁を超えて県内に紛れ込んだ、はぐれ吸血鬼は霧島市と給良市の上空を通過。間もなく鹿児島市内へと墜落するだろう。
落下の予測地点は東紫原陸橋周辺と予想される。当地区の担当に充たる行動予備隊は対象吸血鬼を殲滅。速やかに事態を収束せよ』
「……了解」
二対の操縦桿を握りしめ、キックペダルを強く踏み込む。
「電圧良し。油圧良し。エンジン回転ノーマル。関節機構ロック解除。OSプログラム起動。───アクティベート・スタンバイ」
鋼太郎の声紋を認証し、その鉄塊は上体を起こした。
対〈吸血鬼症(ヴァンパイア・シンドローム)〉の罹患者を想定された六メートル級ヒト型装甲兵器〈FG(フロントガードナー)〉───感染を防ぐための防護服から発展し、全身を黒い装甲に包まれた兵器のシルエットは、鎧兜を纏う武者の姿を想起させた。
鋼太郎が機体の全身を起こした背後で、同じように二機の〈FG〉が続々と立ち上がる。
そして真正面には、大きなブレードアンテナを備えた隊長機の姿があった。
『総員。聞いての通りだ』
通信能力を強化された隊長機の声は一際、よく通る。
『既に近隣住民の避難は完了している。どうせ、迷い込んだのは下級なんだ。囲んで一斉に鉛玉を浴びせてやれば怖くねぇ』
「待ってください、隊長。〈FG〉に装填される特殊弾頭は希少なはず。相手が下級なら無暗に消耗することも控えた方が、」
『チッ……うるせぇんだよ、クソガキ』
鋼太郎の声は横柄な態度と舌打ちによって遮られた。
『なら、俺たちにもあの狂った戦い方を強要するのか? 死にたがりのテメェと一緒にするんじゃねぇ』
「ですが、」
『だいたい、隊長は俺なんだ。お前らは素直に俺の指示だけを聞いてればいいんだよッ!』
その指示を聞いたせいで一人の隊員が重症を負ったんだろ。とは敢えて言い返さなかった。
どれだけ正論で意見をしても無駄だと分かっていたから、それに欠けた隊員の補填として、この隊に派遣された自分には大した発言力もない。
ならば、いっそ────鋼太郎は意識の先をがなり立てるイヤホンの雑音から、モニター画面へと向けなおした。翡翠色をしたカメラアイの双眸で、上空から落ちてきた影をじっと見つめる。
「ターゲットを捕捉。これより単機でターゲットを殲滅します」
『なっ……単機でだと⁉』
操縦桿を強く押し込めば、機体は大きく身を屈めてみせた。脚部の底がアスファルトをガッと噛んで、スタートダッシュの姿勢を取る。
「────島津鋼太郎。FG―05〈フミツキ〉出る」
◇◇◇
メインモニター脇にミニマップが表示された。エンジンの振動にシートを揺らされる片手間で鋼太郎はそれを確認する。
紫原は一丁目から七丁目までの住宅街であり、そこに住まう人口数は鹿児島市でも最大であった。
幸いにも住民の避難は完了しているが、〈FG〉が疾走する道路を挟んだ家屋には明かりが一つもない。機体胸部に備え付けられたライトと、街灯だけに照らし出される街並みは得も知れぬ不気味さを醸し出していた。
そんな不気味さを振り払うよう、備え付けられた推進器(スラスター)の出力を上げる。
紫原は市内最大の住宅街であることに加え、もう一つの特徴がある。土地の高低差が大きいことだ。丘陵地帯を切り開くように都市開発の進められた紫原には、急こう配の坂が幾つも見られ、標高の差も顕著なものとなる。
「会敵まで約四五秒」
鋼太郎はターゲットに対し、標高の高いポジションを取ろうとしていた。一対一で会敵した場合、必然的に有利となるのは上を取った方だからだ。
「見つけた」
間もなくして、下り坂にうずくまったターゲットを発見する。────ビルの三階にも並ぶであろう全長は〈FG〉よりも一回り大きい。赤黒い体毛に覆われ、前肢には飛行に用いる薄い皮膜が折りたたまれていた。その姿はまさしく巨大な蝙蝠のバケモノと称するのが相応しい。
鋼太郎は、衣服らしき布の切れ端がターゲットの肉体に紛れ込んでいることに気付いた。
「…………相変わらず、胸糞が悪りぃな」
あれは人間の成れ果て。二十年前に突如として蔓延し、人を血肉を喰らう怪物へと変貌させる〈吸血鬼症〉に侵された罹患者の姿だ。
良好なポジションは確保した鋼太郎は、〈FG〉の左腰部へと懸架されたブレードをゆるりと引いて八相に構える。鞘から露わとなる蒼白の刃は日本刀を模していた。
「抜刀」
罹患した吸血鬼には、人間だった頃の記憶も自我もない。そこにいるのは、ただの人食いの化け物だと。接触感染によって生物災害(バイオハザード)を振りまくだけの害獣だと。鋼太郎は自身に言い聞かせた。
「────今、楽にしてやる」
八トンはあろう鉄塊が、刃を振りかざして強襲する。
「チッ……浅いか」
切っ先は吸血鬼の薄皮一枚を軽くなぞるだけに留まった。大きく後ろに飛び退いて、避わされたのだ。
坂道を飛んだ両脚部には相応の負荷がかかる。着地したアスファルトには亀裂が走り、フレーム全体が軋むような悲鳴を上げた。
それでも一度睨んだ標的から、視線を外さない。
「ハッ……来てみやがれ」
今度は鋭利な爪を晒し吸血鬼が迫った。右の大振り。次いで左の横薙ぎ。それを冷静に見定め、ブレードの刀身で弾き返す。
吸血鬼には右脇腹辺りに大きな被弾の跡がある。県境に建設された防壁をこえようとした際に迎撃砲で撃たれたのだろう。吸血鬼の再生能力を持ってしても補い切れない重傷だ。
そんな傷を負って尚、目の前の狂った怪物は攻撃の手を緩めない。
黄金色の眼球は異様なほどにギラ付いて。向けられた爪の先からは、執拗な殺意が伝わってきた。
それが唐突に攻撃を止める。ほとんどゼロに近い間合いで。振り上げた両腕をピタリと。
「フェイント⁉」
そう気づいた時には遅かった。牙を剥いて機体へと喰い付く。
例え記憶や人格を失おうとも、人間としての狡猾さだけは忘れていない。瞳を細め、口の端を吊り上げた表情はこちらを嘲り嗤っているようにも見えた。
「ぐ……ッ! 離れろッ!」
モーターの馬力と勢いに任せて、鋼太郎は吸血鬼を振り払う。しかし食らいつかれた左腕には二つの穴が開いていた。
コックピット内に警告のアラートが響く。牙は装甲を貫通し、さらにその先端は機体を支えているフレームにまで達していた。
内包されたケーブル類も張り裂けて、その内側を伝う「液体』が損傷部から溢れた。
「ッ……」
ドロリと赤黒く。錆臭い臭気を放ったそれはオイルや電解液の類ではない。装甲を伝って地面に滴る液体は、人体を巡る血液によく似ていた。
それを見た吸血鬼の目の色も変わる。鼻息が荒く、明らかに興奮状態にある。
スラスターを逆噴射して距離を取ってやれば、吸血鬼は〈FG〉の作った血だまりへと飛び込んだ。短い舌を突き出して、必死にそれを啜ろうとする様は醜悪と言うほかない。
「───俺たちにもあの狂った戦い方を強要するのか?」
ふと、鋼太郎の頭をよぎったのは、そんなつまらない言葉だった。
「……別に誰かに強要するつもりなんてねぇよ」
手首の関節部をロールさせ、手にしたブレードを逆手へと持ち替える。それを中破した腕部へと当てがって、自らの意志のままに切り落とした。
「俺は俺のためならなんだってしてやるッ! 俺の居場所に帰るためならなッ!」
そこには一才の躊躇いがない。機体を破壊し、血を流すことが手慣れているようでもあった。
「……さぁ、来いよ」
断面から噴き出した鮮血に、吸血鬼の意識は釘付けとなる。
「お前らは血が欲しくて、欲しくて、堪らないんだろッ!」
まるで獰猛な〝狂犬〟が唸るように。鋼太郎も鋭い犬歯を覗かせて、吠えてみせる。
メインモニターいっぱいには吸血鬼の姿が映し出されてた。興奮を抑えきれず、そのまま血を流す機体へ飛びかかってきたのだろう。
その動きはあまりに直線的だった。ついさっきまでの、攻撃にフェイントを織り交ぜるような狡猾さを兼ね備えた動きとは違う。
吸血鬼が吸血鬼たる由縁。血を求める本能に呑まれた動きだ。だからこそ。カウンターのタイミングも容易に合わせられる。
「そこッ!」
瞳に宿るのは獰猛な光だ。逆手になっていたブレードを順手に戻し、そのまま流れるような動きで迫り来る吸血鬼へと煌めく刀身を押し込んだ。
◇◇◇
「───七月二十日。午前零時十七分。吸血鬼の沈黙を確認」
依然として、機体からは夥しい量の血液が流れ、滴る。
形だけの報告を済ませ、緊張を解こうとした鋼太郎の両腕を鋭い痛みが襲った。
「このッ!」
血管深くに突き刺されたチューブが血液を吸い上げ始める。左腕を失った機体は血を流し続け、出力も低下していく。それを補おうと、マシーンがパイロットの血液を求めているのだ。
「ったく、どっちが吸血鬼なんだか分かんねぇな……」
貧血症状を起こす前にチューブを引き抜いて、鋼太郎はモニター越しに見える街並みを憎らしげに睨んだ。
「あぁ、分かってる……俺の居場所は鹿児島(ここ)じゃないんだ」
◇◇◇
十年前。新宿に最上級吸血鬼〈グラトニー〉が飛来した。
まもなくして東京は陥落。日本政府は数年間、感染によって爆発的に勢力を増す吸血鬼によって、本土から生存圏を奪われ続けることとなる。
そして最後に残された日本の生存圏こそが、本土の最南端────鹿児島だった。
鹿児島はすぐさま隣接する熊本と宮崎を遮るように高さ三〇メートルにも及ぶ防壁を建設。侵攻する〈吸血鬼症〉の感染者たちを隔絶(シャットダウン)することで、その場しのぎの平和を守り抜いてみせた。
それでも生き残った人類は未だ、血肉を喰う怪物たちへの反撃のチャンスを見い出せずにいる。
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