272.かくして、唐突に冒険者の仕事が決まりました。おっさん冒険者、海の怪物から観光船を護ります。
皮肉な口ぶりで『身内事』と形容した老爺の意図するところに――彼の危惧した事態に、シドもようやく理解が及んだ。
「五十年前の儂は運よく島へ流れ着いた。村の漁師たちは自力で『無の海』の外まで泳ぎ戻った。
馬鹿な若造どもが無事だったのは、村の人間だから――泳ぎの心得があったからだ。儂に至ってはただの運も同然の結果だが、それでも海の底に沈むことなく、海の上に顔を出す程度の能はあったということだ」
老爺は悲痛そのものの溜息を零す。
「だが『外』の連中に、ましてや街の観光客に、そんなものが期待できると思うか?
オルランドは内陸の街だ。
そも、オルランドを擁するトラキア州自体が『沿海州』とは名ばかりの、海と接する港を持たない州である。
よその土地でもそうだが、船や水に深く関わる仕事に就くのでもない限り、まず泳ぎの技術などを求められる機会がない――故に、泳ぎを学ぶ機会もない。
冒険者の中でさえ、泳げない者は珍しくも何ともない。シド自身、必要に迫られて泳ぎを覚えたのはミッドレイを出て以降――方々を旅するようになってからのことだ。
「ただでさえ不漁で損害が出ているだろうところだ。このうえ観光船が万に一つでも沈もうものなら――」
「事と次第によっては商会そのものが傾きかねませんね。犠牲者の賠償金で」
言いづらいことを、クロはさらりと口にする。
「むしろ深刻なのは、今後の『信用』の方かもしれませんけれど──商会は『無の海』に棲む竜の危険を承知のうえで、目の前のお金欲しさに船を出したとすら見做されかねません」
老爺が渋面で項垂れ、重苦しい沈黙が落ちる中――「さて」と話を仕切り直したのは、ユーグだった。
「なあ、爺さん。あんたとしちゃ、この件を一体どうしたいと考えてるんだ?」
「どう……?」
「船の出航を止めたいだけなら話はだいぶん分かりやすいよな。今夜あたりにあの『お姫様』のお傍へ忍び寄って、でかいどてっ腹に大穴ひとつ開けてやればそれで済む」
「ちょ……っと、待ってくれよユーグ」
飄々ととんでもないことをのたまうユーグにさすがに顔色を悪くして、ロキオムが呻く。彼ならやりかねないと思ったのかもしれなかったが。
「そりゃ……確かに、そこまでやりゃあ船は出られなくなるもだろうがよ! けど、だからってそんな真似した日にゃ」
「そうだな、そんな派手な真似ができる人間なんざごくごく限られた一部だ。まして、そんな真似をしでかす『理由』まで考えに入れたなら、さらにその数は絞れるだろう――早晩、俺達はオルランドのお尋ね者確定ってやつだ」
「……………………」
「賠償金の額も洒落にならんだろうな? 商会の代わりにこっちが破算だ――とはいえ、一昔前なら船員総出で
ユーグの言葉は、確かにその筋道においては正しくはある。
だが、そうでなくとも、それは言い訳のしようもなく『無法』だ。言葉のうえでは完全な揶揄だが、同時にそれは、老爺の鼻先に対して先制の釘を刺す意味での言動でもあっただろう――ユーグ・フェットはアウトローだが、さりとて、道理を欠いた無法を好んで働く男ではない。
「船を港から出さずに済むなら、もちろんそれがもっとも安心ではある。だが、儂が恐れていることがあるとすれば……あの船で観光客の犠牲が出ることだ」
「つまり、方針として考えられるのは――」
シドはそう言いながら。
クロの様子を伺う。真人の少女は眦を細めながら、じっと事の成り行きを静観しているようだった。
「明日出航する船に乗り込み、船と乗客を守る護衛につくこと。でなければ」
「竜退治!」
ティーナが声を弾ませた。
失笑する者。言葉を失う者。天を仰ぐ者――それに対する反応は様々だったが。ともあれ、
「やってくれるというのかね? あんた方が」
「どこまでやれるかは分かりませんが。それでもいいのなら」
護ってみせる――などと、確信をもって胸を張れるものでは到底なかったが。
だが、それは老爺も分かっていたのだろう。重苦しくかぶりを振り、「そうだな」と応じる。
「――なら、ジョセフ達には儂が話をつけよう。奴らもこの島で生まれ育った船乗りだ。言い伝えなぞ信じておらんとしても、完全に鼻で笑いとばせるものじゃあるまい」
そう、ひとりごちるような言葉を切って。老人は腹を決めたようだった。
「儂は今からもう一度港へ行って、連中と話をつけてくる。あんた方、もし宿が決まっていないなら、今晩はここに泊っていくといい」
「いいんですか?」
「いて貰った方が何かと都合もいいだろう。冒険者を雇うのなら――今晩のうちに、報酬の話もつけておかねばならんだろうしな」
「金の話も結構だが、こちらとしちゃ今は名誉の方が欲しくてね」
あっさりと。
ユーグが放言し、ロキオムが顎を落とす。フィオレも困惑したように目を瞠る。
「無論、仕事の結果次第なのは言うまでもないことだが――『商会の御隠居』としてそこんとこを都合してもらえるなら、金の方は勉強しても構わんぜ? 爺さん」
「……詳しい話は、帰ってから聞こう」
ひとまずそれらを冒険者の軽口と見做してか、老爺は素っ気なく応じた。
そして、
「リタ。マルチラに言って、彼らの部屋と今晩の食事を支度させなさい――こちらは任せるぞ」
「はぁい」、と応じる孫娘に、一度だけ頷いて。
老爺は早々に応接を出て、外出の支度に向かったようだった。
◆
今晩の宿として、カイ老人の館の客間二つを借りられることとなった。
部屋数に関しては、『客間』として使える部屋が二つしかなかったせいである。ただ、急な話だったこともあってか、結果として支度した客間のベッドの数ではシド達七人分にはとても足りず――この屋敷で仕えている中年のメイドは太めの体を縮めて、見ているシドのの方が申し訳なくなってしまうくらいに恐縮していた。
「お客様のためのベッドさえ十分に用意が行き届かず、たいへん申し訳ない限りで……」
「いえ、そんな。大きいベッドですし、ソファも使えば全員ちゃんと寝られますし。それでなくとも急なことでしたから……あの、それに俺達、冒険者ですから。何なら床に寝袋を敷いて寝てもいいくらいですから」
そうして、幾度も重ねて頭を下げる中年のメイドをひとしきり宥めてから。
シド達は宛がわれた部屋のひとつ――仮に『男部屋』とした一室へと集まっていた。
そして、
「――つかよぉ、どーいうつもりなんだ。おっさんはよぉ」
部屋に備え付けのソファへどっかりと腰を沈めながら。
憤懣やるかたないとばかりに不平を鳴らしたのはロキオムだった。
「オレ達ゃアレだ……分散演算基? だったか? あのバケモノを大人しくさせられるナントカを探しに《
「それは……」
「まあ、そう言ってやるなよロキオム」
くつくつと笑いながら、ユーグが禿頭の巨漢を宥めに入る。
「確かにお前の言う通り、こいつは寄り道かもしれんがな。だがついでの寄り道としちゃあ、そう悪いシロモノでもあるまい?」
「……『竜退治だから』、とか言わねぇよな?」
前回の探索中の経緯もあってだろう。唸るロキオムの口ぶりは、さすがに不審の色が色濃い。その物言いにユーグは一瞬、意表を突かれたような顔をして、それから声を立てて笑った。
「成程。いや、成程な!――確かに竜退治といえば英雄譚の華、冒険者みんなのアコガレってやつだ。見事成し遂げられたその時にゃ、俺達も遂に一端の英雄サマまで格上げだな」
「……その。ほんとうにするんですか? 竜退治……」
レミールがおずおずと口を挟む。不安を紛らわせるように胸の前で両手の指を絡ませている少女のような顔立ちの少年に、シドは「いいや」とかぶりを振る。
「結果としてそうせざるを得ないことはあるかもしれないけれど、竜退治は目的じゃないからね。第一にやるべきは、あくまで船と乗客を護ることだ」
何も起こらず杞憂で終わるなら、それが一番いい――とは、今後も視野に入れて考えるなら、単純にそうとは言い難かったが。
「だとしても、狙ってみる価値はあるんじゃないのかね? シド・バレンス――あんたの場合は特に」
そう言って。
ユーグは不意に、ソファセットから離れてベッドに腰掛けたクロを見る。
「実のところ、そちらのお嬢ちゃんなんかはそう思ってたんじゃないのかい? そうでもなけりゃ――お嬢ちゃんにはシド・バレンスの『お節介』に嘴突っ込まず、放置しておく理由がないものな」
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