255.すべての準備は整った!――という訳でもなかったりするので。出発は明日!! それとまだ一人、起きてきてない子がいるもので……


「ただいまー」


「た、ただいま戻りました……」


 ――と。その時になって。

 ドアベルを鳴らして、二人組の子供が入ってきた。


 一人は褐色の肌と黒髪をした、くりっと大きな瞳の目立つほっそりした美少女。

 もう一人は深く外套のフードをかぶった、少女と見紛う美貌を気弱に俯かせた白金髪プラチナブロンドの少年である。


 山妖精ドワーフ森妖精エルフの相の子として生まれた少女ティーナと、淫魔サキュバスの異能をその身に宿してしまった少年レミール。いずれも十一歳の二人は、やはり先日からシドとパーティを組みはじめたばかりの新人冒険者である。


 蒼穹と豊穣の女神リースフィル聖堂で育てられた神官見習いであるレミールは、聖堂の僧房から《忘れじの我が家》亭へ移ってきた後も、最寄りの聖堂での毎朝の礼拝を欠かしていない。

 ティーナはそんな友達レミールにつきあって、毎朝の朝食前には、こうして日課に同行しているのだった。


「ティーナ。レミール。二人ともお帰り」


「お帰りなさいませ。ティーナ様。レミール様」


「おー、サティアにセルマただいまー。なぁなぁあたしお腹すいたぞ、今日の朝ご飯なに? つか、何だこれ賑やかだな今日は。朝めしのお客さんか?」


「おお、何だお前ティーナじゃねえか! ナザリとエリクセルんとこのよぉ!」


「おわー! なーんだ誰かと思ったらヘズリクのおっちゃんだぞ!」


 声を弾ませるヘズリクに、ぱぁっと表情を輝かせて駆け寄っていくティーナ。


 「きゃほーい!」と歓声を上げて飛び掛かるティーナをしっかり胸に受け止めて大笑し、そのままぐるぐるとめいっぱい回転するヘズリク。ティーナはさらに歓声を上げる。


 ひとしきり急造メリーゴーランドを堪能させた後、ティーナを下ろしたヘズリクの目はレミールへと向いた。


「うし、次はレミールの番だな。よっしゃ来い!」


「ご、ごめんなさいっ。僕はいいです……!」


 ティーナに続いて力の限り振り回す気満々のヘズリクに、レミールは涙目で首を横に振る。


「わぁ、マイスのおっちゃんもいるし! なんだよおっちゃん達、揃ってあたしに会いにでも来たのか? 人気者はつらいなー!」


「莫迦を言うんじゃない。仕事だよ」


「おうこら、馬鹿はてめぇだ靴屋! こういう時は嘘でも『そうとも、お前に会いに来たのさ』って言ってやんのが、大人の男の甲斐性かいしょうってもんだろがい」


「あはは、いいっていいって。マイスのおっちゃんが照れ屋さんなのは、あたしよーく知ってるぞ。なんたってご近所さんが長いからなっ!」


 天真爛漫そのものの笑顔で胸を張るティーナ。

 マイスは途方に暮れたようにため息をつき、賑やかな輪から外れて安全地帯へ入り込めたレミールは、そんな靴屋にひっそりと同情の眼差しを向けていたようだった。


(……そういえば)


 と、シドは今更にして思い至る。

 靴屋のマイスと鍛冶屋のヘズリクをシドへ紹介したのは、オルランドでレストランを営む山妖精ドワーフのナザリと、その夫にしてフィオレの同郷である森妖精エルフのエリクセルだ。


 その二人の『娘』であるティーナや、ティーナの友達であるレミールが彼らと知り合いなのは、よくよく考えずとも自然な流れではあったのだ。


 そして、その段に至って。

 ふとシドへ目を向けたティーナの表情が、はっと驚愕に強張った。


「シドが新しい服になってるぞ!」


「ティーナちゃん、もしかして今気づいたの……?」


「新調をお願いしてた鎧が届いたのよ」


 呻くレミール。苦笑混じりで補足するフィオレ。

 それを聞いたティーナは、「おお!」と綺麗などんぐりまなこを輝かせた。


「そうなのか! じゃあじゃあ、これでシドの準備は万端なんだなっ! あたし達、遂に冒険に出発か!?」


「そうだね。そういうことになる。今まで待たせてしまって、本当にごめん」


「なーにいいっていいって気にすんな! あたしは心のひろーい女だからなっ!」


「ティーナちゃん、ティーナちゃん……」


 ふんぞり返って胸を張るティーナの服の裾を、おそるおそる近寄ったレミールが弱々しく引く。

 「失礼だよ」と言いたいのがその表情からは伺えたが、当のティーナが裾を引かれたのにさっぱり気づかず、レミールはしおしおとしおれ、がっくり項垂れてしまった。


「つまり、今から早々に出発って訳かい? 朝飯だけかっこんで、その足で《箱舟アーク》まで?」


 口の端に薄い笑みを刻んで。ユーグは宿屋の建屋を透かし見るように、街の北方へと目を向ける。


「そういうのは嫌いじゃないがね――だが本気でそのつもりだとしたら、あんたにしちゃ随分と前のめりな意気込みなんじゃないのか?」


 オルランド北方の荒地にて、雲突く高さでそびえる塔。

 いにしえの《真人》種族が残せし遺産――《箱舟アーク》。


 オルランドへ集った冒険者、おそらくはそのすべてがここへ挑まんと志す、《大陸》において最大最難をうたわれる未踏の大迷宮。


 シド達もまた、その《箱舟アーク》を探索せんとする冒険者だった。

 が――


「……いや」


 だが。

 難しい顔で黙考していたシドは、やがて首を横に振った。


「申し訳ないんだけど、出発は明日の朝にしたい。いくら何でも今からじゃ忙しないというか、そもそも出立の準備ができてない子だっているんじゃないかと思うし」


 「う」と短く、フィオレが呻いた。ユーグが薄い笑みに、揶揄する気配を含ませる。


「俺はいつでも出られるがね。まあ、確かに森妖精エルフはそんなところか」


「……ユーグ・フェット。私に言いたいことがあるのなら、男らしくはっきりと言ってみせたらどうなのかしら?」


「いやいやとんでもない。やんごとなき森妖精エルフのお嬢様に向かって俺如きちっぽけな冒険者風情が諫言などと。そのような非礼はとてもとても」


「わぁ、白々しい……」


 大仰に嘆くそぶりで分かりやすくからかっているユーグの態度に、フィオレはイラっとしていたようだった。出会い頭の印象が良くなかったせいも多分にあるのだろうが、どうにもこの二人は相性が良くない。


 ひっそりと心の中でだけ溜息をつき、シドが仲裁に入る。


「何ていうか、本当に申し訳ないんだけど……白状すると、俺の荷物がまだ支度できてないんだ。装備の受け取りは今日のうちに行くくらいのつもりだったから、まさかこんな朝一番で揃うなんて思いもよらなくて」


 それに、と。シドはティーナとレミールの二人を見る。


「ティーナとレミールにとっては、これが初めての冒険だ。今日は一度それぞれの家に帰って、ご家族に出発の報告をしてきてほしい」


「うちに?」


「報告……ですか?」


 口々に言う二人へ、シドは「ああ」と頷く。


「二人はこれが初めての冒険だからね。

 もちろん危険がないよう俺が護るつもりでいるけれど、冒険者に万全の安全なんてものはない。万が一の保証を、完全になんてできない――だから、初めての冒険へ挑む前に、きちんとご家族と会ってきてあげてほしいんだ」


「…………はい。わかりました。そうですよね……」


「だーいじょうぶだって! あたしもレミールもそんなやわじゃないぞ。シドは心配性だなぁ」


 緊張を露わに粛然と頷くレミール。あっけらかんと笑い飛ばすティーナ。

 どこまでも対照的な二人だった。


「それに、まあ、うん。仮に君達のことがなかったとしても――だ」


 シドは二階を振り仰いだ。

 早朝の、これまでの一連の出来事の間、まったく二階から下りてくる気配がなかった、最後の一人がいるはずの先を見上げる。


「……まだ、クロが起きてきていないからね。彼女は冒険者の経験もないし、どのみちすぐに出発は無理だよ」


 これには、その場の全員が――ヘズリクやマイスに至るまで――腑に落ちたと言わんばかりの様子だった。


 そろそろ朝食時という頃になってもいっこうに降りてこない最後の一人へ思いを馳せて。

 シドはやんわりとした苦笑を広げた。

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