173.再始動。二度目のダンジョンアタック!――の前に、おっさん冒険者にはやらなきゃいけないことがあるのです


 《遺跡都市》オルランド。

 その、象徴的な中心というべき《英雄広場》の四方へ伸びる大道からいくぶん外れて、こぢんまりとした商店街の一角である。


 森妖精エルフ料理と山妖精ドワーフ料理を出す妖精種の夫婦の店として、近隣ではちょっと名の知れたレストラン、《Leaf Stone》である。


 店先に下げた瀟洒な金属製の看板に屋号を飾った、小作りな二階建ての建屋は、一階が酒場兼レストランといった風で、二階は森妖精エルフの夫と山妖精ドワーフの妻が暮らす生活空間と一体化した宿泊施設だ。彼らの里以外で妖精種の料理を口にできる数少ない場所として、噂を聞いた旅行者が遠方から訪うこともあり、そうした客を泊めるための設えである。


 体裁としては、一般的な宿屋やレストランというより、宿泊施設付レストランオーベルジュというべきものであろう。にもかかわらず、《Leaf Stone》がオーベルジュの看板を掲げていないのは、



「――その手の店ってのは、景色のいいとこが地元の食材でメシ作ってナンボってやつだろう?」



 ――と語る妻の、山妖精ドワーフらしい頑固なこだわりによるところであるのだそうだ。


 閑話休題。


 ともあれ、その《Leaf Stone》の二階には、現在三人の客が部屋を取っていた。

 一人は人間種の男。一人は森妖精エルフの娘。そしてもう一人、毛先だけを金色に染めるという不思議な色彩の髪をした人間種と思しき娘。


 この三人である。



 その、『人間種と思しき』娘――クロは、朝食の後からずっと部屋に籠って読んでいた本を読み終えると、行儀悪くごろ寝していたベッドからぴょいと飛び降りた。

 シャツ一枚をワンピースのように羽織ったきりというラフな格好で――長時間の読書で凝り固まった体をほぐすように、ぐぅっと大きく伸びをする。

 とはいえ、疲労の理由はそればかりではない。

 読書が嫌いな訳ではなかったが──それでも、これという収穫のないまま時間を費やしているという徒労感が、クロの気分を体ごと重くしていた。


(……べつに、そこまで期待をしていた訳ではなかったですけれど)


 《英雄広場》に面するオルランド大図書館で、何冊か借りてきた本のうちの一冊だった。

 オルランド大図書館は広く市井に対する知識の普及を謳い、オルランド市民、ないし市民の身元保証を有する住民であれば、図書館の利用と蔵書の貸し出しサービスを受けられる。

 エリクセルとナザリの夫婦に身元保証人を頼んでクロがそこから借りてきたのは、《箱舟アーク》に関する探索記録、それから《真人》研究をまとめた研究書――そうした類のものである。


 特に前者に関しては、活版印刷の普及に伴い、一線を退いた冒険者が半ば自伝として出版したものが、蔵書の中には数限りなくあった。


 これから先に向けて、自分に足りない知識があるなら少しでも補っておきたかった。自分は五百年もの間、世界から断絶しつづけていたのだから。

 《箱舟アーク》に関すること。

 《真人》種族にまつわること。


(ルヴィ――《来訪者ノッカー》の……)

 

「…………………………」


 横滑りを始めた自身の思考へ失笑する代わりに、クロは軽い溜息をつく。

 そこまでいってしまえば、もはや雲を掴むような話だ。どこから手繰れば行き着けるのかさえ分からない。


 室内履きのスリッパをつっかけて、部屋から外へ出る。


 ラウンジとなった二階の広間では、森妖精エルフの娘が刺繍の美しいクッションへ行儀よく腰を落ち着けていた。こちらもやはり森妖精エルフ風の、精緻な模様を美しく編み込んだ絨毯の上に、装飾品と思しき雑多な品々を、まるで市場の露店のようにずらりと広げている。


「……何をしてるのですか? フィオレ」


「あ、クロ」


 呼びかけに顔を上げたフィオレは、クロの格好を見るなり、途端に線の細い眉を垂らしてがっかりした顔になる。


「――って、またその恰好?」


「はいなのです。楽なので」


 ぶかぶかの男物のシャツ一枚をワンピースのように羽織っただけというクロの格好が、その手の方面が几帳面なフィオレとしてはたいそう不満らしかった。


 フィオレは美しい娘だ。

 肩口に届く長さをした煌めく金髪フェアブロンドや、睫の長い垂れ気味の眦におさまった青い瞳、ほっそりと整った顔立ちや森妖精エルフらしく日焼けを知らない白い肌といった、生まれ持った資質もさることながら。

 瑠璃色に染めた袖なしワンピースに天色あまいろのケープ、裾の短いスカートから伸びる脚に履いたお洒落なソックス――特に外出の予定もないというのにきちんと着付けたいでたちが、生まれ持った彼女の美貌を端正に整えている。


 革製のベルト――外出の際はポーチをつける――で締めた腰はほっそりとくびれて、森妖精としては大ぶりな形のいい胸の輪郭が、やはり丈の短いケープ越しでも伺える。

 商店街の男衆の中には、そんなフィオレの美しさや、そのくせ気取ったところのない朗らかさに、鼻の下を伸ばしている者も少なくないようだった――肝心のフィオレがその辺りにさっぱり自覚がないようなのは、まあそれとして。


「いいじゃないですか。お外へ出るときはちゃんと着替えますよ」


「……そんなこと言って、また下着もつけてないみたいだし」


「この丈だと、ドロワーズはばっちり見えちゃいますからね。却ってはしたないというものです」


「その恰好だってじゅうぶんはしたないわよ。もー……」


 しれっと放言するクロに、唇を尖らせるフィオレ。

 クロからすれば、太ももむき出しなミニスカートの分際が何を良識ぶった言いようをほざくか、と返してやりたいところではあったが。


「下着、フィオレとおんなじ感じのを買ってきましょうか。そしたら、この服でもぱんつが穿けます」


「どこに売ってるのよ、そんなの」


「お洋服屋さんにお願いしたら作ってもらえると思いますよ? 昨日も新作の着せ替え人形になってあげましたし、クーはおねだり上手なので」


 フィオレは溜息をついた。育ちのいい彼女であんまり遊ぶのもかわいそうだし、そろそろ話題を変えてやった方がいい頃合いだろうと見切りをつける。


「ところで、フィオレは何をしているのです?」


「見てのとおり、荷物の整理だけど……」


 答えながら、怪訝にクロを見上げるフィオレ。

 そうした反応の理由は、実のところクロの側にある。


 クロは《真人》種族――はるかいにしえにこの世界を去ったといわれる七柱ななつの古代種のひとつ、《宝種オーブ》である。それゆえに、他者と『心』を繋ぎ、その心をる《祝福》を授かっているのだ。


「……フィオレが、シド・バレンスの荷物を整理しているのは知っています。心がつながっていますからね。知りたいのは、どうしてフィオレがそんなことをしているのか、の方なのです」


 そこまで言うと、フィオレも「なるほど」と得心いったようだった。


「これってぜんぶ、以前に私が助けてもらった時にシドに渡した、報酬の品なんだけどね。貰ったものを本当に換金していいのかって、そういうの気にしちゃうみたいだから」


 しょうがないよねぇ、と言わんばかりの、はにかんだような笑みを広げて。フィオレは「だから」と、言葉を続ける。


「すぐに換金しちゃっていいものと、非常時にどこでも換金しやすいから残しておいたほうがいいもの、手元に残しておいても使いでがあるものに分けて、私が整理しといてあげようかなって。まとめて換金用のつもりで渡しちゃったから、どれがどういうものかってちゃんと説明もしてなかったし……これくらいしとかないと、また換金するとき迷っちゃって、結局何も売れなかったりしそうだし。仕方ないわよねぇ」


 ――と、そこまで話したところで。

 「あ」と弾んだ声を上げて、ちいさな指輪をひとつ手に取った。


「これなんか、精霊の加護があるお守りなのよ。実は私がはじめて作って、旅の間も持ち歩いてたんだけど……仕事の手付金で渡したやつだったんだ。売ればお金になるからって」


「そうなんですか」


「そうなの。けど、こんなのずっと持ち歩いてたなんて、シドったら冒険者なのに整理下手よね。ほんとしょうがないんだから」


「そうなんですねぇ」


 仕方ないだのしょうがないだの繰り返すわりに、「ふふ」と含み笑ってやたら嬉しそうなフィオレに、クロは「ははは」とぬるい笑顔で対応する。


「せっかく時間が空いたんだし、いっそ次の冒険に向けて、他の荷物も整理しといてあげたいなぁってくらい。洗濯物ためこむひとじゃないのは知ってるけど、捨てたり売ったりし損ねてずーっとなんとなく持ち歩いてるもの、他にもいっぱいありそうじゃない?」


「そういうお話は、ちゃんとあちらの許可を取ってからの方がいいと思いますよ。念のため」


「わかってる。私だって、そこまで不躾じゃないわ」


 釘を刺すクロに、フィオレは苦笑しながらひらひらと手を振る。


「――で、そのしょうがないシド・バレンスですけれど。今日も」


「うん、今日も出かけてる。……首尾は、どうなのかしらね」


 いくぶん声の調子を曇らせるフィオレに、クロは「うぅん」と唸る。


「……かんばしくないみたいですね。今日も」


「やっぱり……?」


 初めての《箱舟アーク》探索中に起こった一連の騒動が事後の収拾を終えて、今日で三日目。シドは今後の探索に向けて、所属先となる冒険者宿を探していた。


 その状況が芳しくないのだろうことは、フィオレとクロの間での共通認識であり、紛れもない事実でもあっただろう。


 そして、その理由もまた――おおむね共有された、自明のものであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る