161.ファースト・ダンジョンアタックの『後始末』、その終わりに。おっさん冒険者が求める、たったひとつの報酬について【中編】


 ジム・ドートレスは怪訝に眉をひそめたようだった。

 シドは彼から視線を外し、傍らに立つクロを見た。

 ぽつんと頼りなく立つ少女の背中を、さあ、と促すように押してやる。


 クロは僅かの間、ちいさな真珠のような歯でその唇を噛んだようだった。だが、やがて決然と面を上げて、クロは言った。


「――クーは、この都市オルランドに残ります。ジム・ドートレス達と一緒に行くことは、できません」


「な」


「この街で、クーにはやらなくてはいけないことがあるのです。だから行きません」


 絶句し、呻いたのはジムだったろうか。

 その呻きに籠った驚愕の強さを払うように、クロはかすかな震えを帯びる声を大きくした。


「これから何をするとしても、ぜんぶそれを終えてからのことです。シド・バレンスはそれに力を貸してくれると、約束してくれました――だからクーはこの街で、シド・バレンスの保護のもとに残ります。それがクーの望みです」


「何を馬鹿な!」


 ジムが喚いた。


「貴女は――もはや今の世界に同胞もなく、帰るべき家もなくした身の上でしょう! 貴女はいにしえの時代より弾き出されてしまった哀れな孤児だ。そのような貴女が、このうえ何をなさねばならぬというのです! 今この時に!!」


「何を、ということなら、それは《キュマイラ・Ⅳ》の解放です」


「は!?」


 今度こそ、ジムの呻きはその音程を失った。信じがたいものを前にした衝撃で、男らしい肩が激しく戦慄いていた。


「我々は力を合わせ、かの魔獣を封じ込めたはずだ! それをどうして開放などと、馬鹿げたことを仰るのか!」


「クーがあなた達に力を貸したのは、それ以外に術がなかったからです」


 クロはちいさな拳をきゅっと固めながら、胸を張って言葉を続ける。


を、他に思いつけなかったから。あなた達と、《箱舟》にいた大勢のひとたち、《箱舟》の外のひとたちも。《キュマイラ・Ⅳ》を止められなければ、みんながその顎にかかって命を落としていたはずだから。

 《キュマイラ・Ⅳ》もまた、その過程で痛みと傷を負い続けたはずだから――あの時の戦いでそうだったみたいに、ずっと」


 ――その使命が果たされる日まで。

 あるいは、その使命が永遠に果たし得ないものと変わる日が訪れるまで。


「だから《キュマイラ・Ⅳ》を《塔》に閉じ込めて、これを隔てにしたのです。他に方法を思いつけなかったから――だけど、それが完全なものでないことは、ジム・ドートレスだってわかっているはずのことでしょう!」


「ゆえにこそ、私は広くこの事態を知らしめ、世の賢人の知恵を仰ぐべきと述べたのです! しかしオルランドの市政はそれを否とした。その決定の後始末を、何故に貴女のようなかよわき少女が負わねばならないというのです!?」


「だからクーだけ連れ帰って、あとは野となれ山となれと!? そんな身勝手な言い分があるものですか、気色悪い!!」


 激しい非難に、ジムは怯んだ。


 喚くクロの声には、涙の気配が混じっていた。男を怯ませたのは非難の苛烈さではなく、あるいはその涙の方だったのかもしれない――そうさせてしまったことを恥じるように、クロは乱暴な手つきで、眦に浮かぶ涙を拭った。


「少女だとか、孤児だとか。そんなものに何の関係があるというのですか……《キュマイラ・Ⅳ》の再起動は、クーの解呪によるものです。クーは――それが怖かった」


 ――呪いを解いてくれたはずの恩人が、呪いを解くために来たはずの人々が。そのすべてが、目の前で惨殺されるかもしれない未来が。

 それをなしうる魔獣キュマイラの戦いを目の当たりにすることを、クロは恐れた。


 逃げてくれれば、そんなものを見ずに済む。


 今この時に新しく出会った人々を、クロにとっての恩人を、遠くへ逃がすことができたなら――そしたら、その顎が彼らの心臓へ届くより前に、《キュマイラ・Ⅳ》は今度こそ、《箱舟》を滅ぼした咎人を見つけ出せるかもしれない。

 そんな、あるかなしかの希望に縋って。


「でも、だけどっ……それでも《キュマイラ・Ⅳ》の戦いはのものだったんです! クー達を護るためのものでした! それがどんなに怖くても、恐ろしいものでも、その戦いはクー達を護るためのものなんだって……それだって、わかってしまったことだから」


 ――だから、今のひとびとと《キュマイラ・Ⅳ》との間に、《塔》という隔てを置いた。

 完全には終わらせることができずとも、時間を手にすることはできる。


「なのに、クーは《キュマイラ・Ⅳ》を裏切りました。《キュマイラ・Ⅳ》はクーを傷つけなかったのに、クーは彼を閉じ込めたのです……でも、今ならほんとうに今度こそ全員を無事に生かすための、そのために必要なことを果たす時間が、ある。あるんです、今なら」


 《キュマイラ・Ⅳ》は死なない。斃れない。

 ゆえに、戦って勝利することはできない――その力の裏付けたる魔力を供給する《箱舟アーク》そのものを破壊するのでもなければ、その猛威は止まらない。

 だが、その『戦い』を終わらせる術ならある。


「あの時は時間が足りませんでした。ああしなければ、間に合わずに死なせてしまうひとたちがいました――でも、今ならそれができます。そのための時間があります。

クーは《箱舟アーク》の管理演算基を探し、《キュマイラ・Ⅳ》に与えられた命令を


 もはやこの先の未来に、一切の危険も不安もないように。


「彼を安全な状態へと移行せしめ、然る後に《塔》の底から救出します――

 それがクーの望みです。あなた達と、この街のひとたちと、今の《大陸》にあるひとたちと――何より《キュマイラ・Ⅳ》と、まだ《箱舟アーク》のどこかで目覚めを待っているかもしれない、真人種族わたしたち同胞なかまのための」


「……だからと言って」


 それでも納得はできないというように、ジムは歯を食いしばった。


「何故、貴女がそれをなさねばならないとお考えになるのですか。貴女は神々の呪いを受け、今まで長く苦しんできたはずだ――こうして新たな生を得た今、安穏とした『第二の生』を歩んでも、許されるとは思いませんか」


「そうする己を、クーは認められません。クーは《宝種オーブ》――寄添う宝石だから」


 義務も責務も苦しみも理不尽も。

 ぜんぶ放り出して安穏と歩む、第二の生。ジム・ドートレスがそれを語るのは、あるいは自身の目的のためではなく、真実クロを案じてのことだったかもしれない。


 ――それでも。だとしても。


「だって、ずっと心がつながっていました。だからぜんぶが見えて、聞こえていたんです。

 自分が死ぬのが怖かったこと。周りの誰かがいなくなるのが怖かったこと。あそこで食い止められなければ、《箱舟》にいた他のひとたちも犠牲になってしまうこと。《キュマイラ・Ⅳ》を《箱舟》から出してしまえば、外のひとたちまで犠牲になってしまうこと。そんな未来を恐れる心と、ずっとつながっていました――みんなみんな、たくさん怖がってたじゃないですか」


 居並ぶ一同を、少女の瞳が見渡す。

 ジムはその目を見ていられなくなったというように、唇を噛んで項垂れた。


「今だってそうです。これからどうなるか不安でたまらなくて、怖がってるひとたちがいるんです。その不安を除いてあげたいんです――それが理由です。その理由は、そんなにもおかしなものでしょうか」


 ――寄添う宝石。

 クロは自身を、《宝種オーブ》というしゅをそう呼んだ。


「安穏とした道を、選べないのは。そんなにもおかしな、責められるべきことなのですか?」


 ――寄添う宝石。


 ひとの『心』に、寄り添う宝石オーブ


「それでも……それは、貴女にしかなせないことではない」


「だけど、クーにもできることです」


 苦し気に呻くジムの抗弁は、どうしようもなく力を欠いていた。

 クロは躊躇いなく、かぶりを振った。


「クーは、今のこの世界で誰より《箱舟アーク》を知っています。だから、無関係を気取って他の誰かに投げ渡すくらいなら、自分の手でそうしたい。その方が――ずっとよりよくできるはずだって、信じています」


 もはや、応えはなかった。


 シドはひっそりと息をつき、そして口を開いた。


「……この子の望みが叶えられること。それが俺の求める『報酬』だ。この子を今の時代に呼び起こした者同士、俺からあなた方へ、希望することだ」


 本当を言えば、自分のための報酬を得たい欲だってある。

 功績を得て階位を上げたい。お金だって欲しい。そしたらこの先、パーティの仲間を探すのはぐっと楽になるし、装備だって新調したばかりだ。功績もお金も欲しい。あればあるだけいい。


 だが、シドはそれを望めない――少なくとも表向きの、真っ当な形では。

 何故なら、


「そもそも、俺はまだこの街で身を置く冒険者宿を決めていない。今の俺はオルランドで仕事をする資格がないし、探索の成果も残せない。今回の探索に伴うあらゆる報酬を、受け取ることができないんだ」


 オルランドで冒険者として活動するにあたって、冒険者は市内に存在する冒険者宿のいずれかに籍を置かなければならない。

 冒険者宿は所属する冒険者を管理し、連盟は市内の宿を管理下に置くことで、間接的に冒険者を管理する。これは《諸王立冒険者連盟機構》が旧来のシステムと完全に成り代わることが叶わなかったオルランドにおける、固有のシステムである。


 事実として、《軌道猟兵団》の後を追う形で今回の《箱舟アーク》探索へ臨んだ際も、出入りを管理する番兵から奇異なものを見る目で確認された。



『――所属宿なしということですと、オルランドでは探索時の成果が記録に残りませんし、仕事の報酬も受け取れません。それは了解されていますか?』



 シドはこれに対し、構わないと頷いた。

 フィオレもその時のことを思い出してか、可憐な美貌をはっと強張らせた。

 自身の失敗を、悔いる顔だった。けれど、もとを糺せばフィオレがそんな顔をしなければならない理由など何もないはずで――シドは内心、ちくりと胸を刺す針の存在を感じずにいられなかった。


「だから、俺はどのみち、今回の一件に伴う成果の一切を受け取れない。少なくとも、表向きの記録に残る形では――先ほどあなた方が差し出してくれた厚意を受け取ることは、最初から不可能だったんだ」


 『シェイプシフター討伐の功績と褒賞』という、交渉のテーブルに載った報酬を受け取ることはできない。

 だが――これは今回の一件がどうであれ、たとえ《キュマイラ・Ⅳ》の撃退という事実がそのまま容れられたとしても、最初から何も変わらなかったことだ。


「……だからその代わりに、彼女の望みが容れられるのを求めたと?」


 ジムは、愕然と呻いた。

 目をいっぱいに見開いて、あり得ざるものを前にしたように震えていた。


「そんなものは……そんなものは到底、『報酬』などと呼べるものではない」


「この街のルールだよ、ジム・ドートレス。俺はそれを了解して《箱舟アーク》へ向かい、やるべきことをやったつもりでいる」


 惜しむ心がないとは言わない。

 あの時ああしていれば、こうしていれば、もっと――もっと上手くやれたのではないかと。しくしくと心臓を苛む後悔は、どうしようもなくこの胸にある。


 けれど、そんなものは関係ない。

 自分が『それ』に向かって手を伸ばすことを、シドは自分で許せない。

 何故なら、


「あなた方の言葉を借りるなら、《キュマイラ・Ⅳ》との戦いはその『余禄』であり、あるいは不幸な事故だ。ひとたびルールを了承して事に臨みながら、自分が大損になるからというだけの理由で後からその約束を反故にするのは、おかしなことではないかと思うんだ」


 誰かに騙されて、それを決めたのではない。

 誰かにそうせよと強制されて、やらざるを得なくなったのでもない。


 奪われたのではない。掠め取られたのでもない。

 押し付けられたのでも、身代わりにされたのでも、犠牲に捧げられたのでもない。


 シドはこの都市の取り決めを了解し、それを納得したうえで《箱舟》探索に臨んだ。

 自分の意思で、それを決めた。


 だが――もし、その意志に。

 冒険者としての『シド・バレンス』に、一片でも敬意を示してもらえるのなら。


「どうか、クロの願いを認めてあげてくれ。彼女を連れて帰るのを、諦めてはくれないか」


 いつかすべてが決着する日が来たならば、クロはジム・ドートレスの心にも寄添おうとするのかもしれない。彼女は『寄添う宝石』だから。


 シドがクロのもとへとたどり着き、その呪詛を解いたのは、そこへ続く道を拓いた『誰か』がいたからだ。

 それが決して真っ当な手立てのみで拓かれた道ではなかったのだとしても。いにしえの少女の再誕は、紛れもなくその道から繋がったものだ。シドは、なりふり構わず拓かれたその道を、後からぬくぬく歩いてきただけのものにすぎない。


 だから。もしいずれの未来にそうなったのならば、シドはそれを止めるつもりはない。

 その理由もない。クロの望むようにしてくれたら、それでいい。


 だが――それは決して、今ではない。



「クロを連れて、カルファディアへ帰るのを。あなた達の『報酬』を諦めてほしい。

 それがあなた達へ希望する――俺の求める、『報酬』だ」



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