152.固有名詞が一気に増えると、悲しいかな中年のおっさんは、記憶と理解が追いつかなくなってしまうものなのです…


 ――《龍種リヴァイアサン


 七柱なる《真人》種族の一柱ひとつ

 他の《真人》種族がそうであるように、いかなる種であったかの仔細は、ほとんど伝えられていない。


 絢爛なる魔法文明を築いた七柱の種族のひとつであること。そして、はるかなるいにしえの時代の終わり、神々がこの世界から追放された時、最後に残した呪いによって『理性』を奪われたとされること。

 多くの人々が知ることは、おとぎ話として伝えられるそれらのみだ。


 ――つまるところ、シドがかの種族について有する知識も、そこまでである。

 さも当然のように発せられたクロの一連のことばが意味するところを、シドはほとんど追えていなかった。かろうじて、その言葉の表面をなぞれた程度だ。


「その……クロ。分からないところがいくつかあって。質問をさせてもらいたいんだけれど」


「どうぞ」


 クロはシドの疑問を先取りしなかった。

 この場の全員に聞かせるためだろう――もしかしたら、クロの側で先取りできるほど、シドの疑問がまともな形で整っていなかったせいかもしれなかったが。


「ええと……『利他の竜』というのは」


「《龍種かれら》への尊称です。種としての在り方ゆえに、他の真人じんるいは彼らをそのように呼んでいました」


「未来……を、見せないため、というのは」


「文字通りの意味です。《龍種リヴァイアサン》は、未来視の目を持っていたそうなのです」


「そこは断言しないんだな」


 ユーグがぽつりと口を挟んだ。

 クロはいくぶんむっとした体で、唇を尖らせる。


「……なにぶん、話に聞いただけのことなので。

 さきほども言ったとおり、クー宝種は《龍種リヴァイアサン》と心でつながれませんでした。彼らがほんとうに未来を見ていたのかは、クーにはわかり得なかったことなのです」


 とどのつまりは、『実証』の不足ということか。

 その意図を察してか、ユーグも「成程」とひとりごちる。


「つまりは、予言者だったということか。《龍種リヴァイアサン》という種族そのものが」


「いいえ、そうではないです。予言者ではありません――少なくともクーが知る限り、彼らが『予言』という形で未来を告げたことはないそうです」


 クロはかぶりを振った。どこか苦しげに眉根を寄せながら。


「利己ならざる――最善の未来をしるべとして、無限の岐路きろを選定しつづける。己ひとりの幸いのためでなく、未来を選ぶもの。それが、彼らなのだと」


「――?」


 不意に割り込んだ、その磨り潰すような唸りに。

 煮え滾り、泡立つ、熔けた鉄のような歯軋りに。シドはぞっと背筋が凍りつく。


 止める間もなく伸びた腕が、クロの襟首をつかんでいた。

 ぐっ、と呻く声すら磨り潰すように、その黒々とした手は今にも喉笛ごと引き千切らんばかりの力を込めて、ブラウスを握り込んだその手を戦慄かせていた。


「小娘……貴様、幸いと言ったか? 幸いと、可能性のためだと?」


「貴様――!」


 ラズカイエンだった。

 腰を浮かせ、あるいは咄嗟に身構える《軌道猟兵団》の冒険者達をぎろりと睨み――その眼光だけで、歴戦の冒険者をも怯ませて。

 水竜人ハイドラフォークの戦士はその煮えた怒りの眼光を、その腕の一振りで容易くへし折れそうな少女の一身へと落とす。


が幸福だというのか?……イクスの、プレシオーリアの、あの死に様が。あんなものが、あいつらの最善で幸福だとぼざくのか!? 貴様ああぁぁぁッ!!」


「ラズカイエン」


 激情に戦慄くその手に、そっと自身の手を置いて。

 クロを庇うように割って入ったシドが、ゆっくりと首を横に振る。


「手を、離してあげてくれ。お願いだ」


「……………………」


「……お願いだ。離してあげてくれ」


「…………クソが」


 消え入るような声で吐き捨て、ラズカイエンは少女の襟首をつかんでいた手を解いた。

 万力のように締め上げる力から解放され、クロは蒸せたように咳き込む。


 いがらっぽく尖った沈黙が満ちる室内で、支部長が嘆息する。


「暴力沙汰は困りますね、水竜人ハイドラフォークの方。アナタはただでさえ」


「やめてください」


 咳き込みながらのかすれ声で、クロが支部長の言葉を制した。


「今のは、クーがいけなかったです……ラズカイエンが怒ったのは、当然のこと、です、から……だから」


「……わかりました。では、この場はそのように」


 支部長がため息混じりに矛先を引く。

 クロは目じりに浮いた涙を拭いながら、その表情を安堵に緩めた。


「……《龍種かれら》は、ある未来の『結果』に至るまでの、そのために必要な分岐を無限に選定しつづけるのだと。そう、いわれていました。

 その志向する先は最善の未来であり、すべての……あるいはより多くの、幸いと可能性のためなのだと。いわれていました……が」


「今この時も、それが同じかどうかは分からない。そういうことだね?」


 続くことばを先取りして、シドが捕捉する。

 クロはきょとんと丸くした目でシドを見上げ、それから苦笑混じりの笑みで首肯した。


「……しかし、どうにも奇妙な話だな。そいつは」


 言葉の割には、さして興味もなさげに。ユーグが独り言ちる。


「《龍種リヴァイアサン》は未来を見るんだろう? もし本当にそんなことができるのなら――呪いなんてシロモノからだって、いくらでも逃れられそうな気がしてならないんだがね」


 ユーグは言う。その疑念は、確かにもっともなものではあった。

 事実としても――少なくとも《箱舟アーク》にいた真人種族は、オルランドの生きた五百年前の時代までは、あの中で生き延び続けていたはずなのだ。

 ユーグは敢えてそこへの言及を省いたようだっが。言わんとするところは自明である。


「呪いが絶対に『回避不能』なシロモノだというならいざ知らず。最悪、自分てめえ一人が生き延びるくらいなら――どうとでもできそうなもんじゃないか?」


「それができなかったから、彼らは『利他の竜』なのだと」


 ユーグの指摘に、クロはかぶりを振る。


「そう……クーは、そんな風に教えてもらいました」


「そうかい」


「……だいぶん、話がずれてしまいましたね」


 支部長が、おほん、と咳払いをする。


「もう既に、お気づきのことかもしれませんが。アナタ方が《箱舟アーク》で関わった事物じぶつに関する話に先立ち、『調停』という場を設けた理由はこれなのです」


 その視線は、《軌道猟兵団》へ。


「アナタ方は《翡翠の鱗》の神殿を急襲し、警護の任にあった部族の戦士を殺害したのち神殿の宝物を奪った。表沙汰となれば、これらは明らかな罪です。余罪もあるのではありませんか?――これはワタクシの邪推ですがね」


 ――鋭い。

 シドは思わず唸りかけたのを表情に出さずにおくため、ひとかたならぬ苦労を強いられた。

 余罪はある。少なくとも、フィオレの部族――《真銀の森》の里から、秘宝たる《ティル・ナ・ノーグの杖》の杖を奪ったという余罪が。


 あるいは、それもクロから聞き知っていたのかもしれない。彼らは昨日、クロと会っていたのだから──何らかの形でクロがその事実を知るに至っていたとしたら、それを支部長へ伝えた可能性は十分にありうる。


「しかし、《月夜の森》からその罪を問う声はなく――《翡翠の鱗》もまた、清廉にして無辜ではない。そうではありませんか、アナタ?」


 次いで、その視線をラズカイエンへ


「アナタ方は告発ではなく暴力による解決を選択し、貨客外輪船ウォーターフォウル号を襲った。その最中で無辜の船員一人がその若い命を散らしてすらいますね? さらに言うなら、北壁外の市街で強盗を働いたのもアナタだ。違いますか?」


 北壁外にある古書店が、竜人の強盗に襲われ倒壊した一件だ。

 店の倒壊自体は、侵入時ないし逃走時に起きた偶発的なものであったようだが――その最中、件の竜人は《箱舟アーク》浅層の地図を奪っていったという。


 状況的に、犯人はラズカイエン以外とは考えにくい。

 そしてラズカイエン自身もまた、支部長の言葉を否定しなかった。


「のみならず、すべての発端も不幸な行き違いに端を発するものである様子――どうでしょう各々方おのおのがた。ワタクシの立場からでは恨みを水に流せとまでは申せませんが、ここまでの経緯を踏まえ、お互いどこかに穏当な落としどころをつけるというのは――」


 ――と。

 その時であった。


 ずばん!――と、激しい音と共に。部屋の扉が開いた。

 内開きの扉。背中にその直撃を受けたシドが、前のめりになってたたらを踏む。


「っとと」


「シド!?」


「あ、いや。へいき――だけど」


 とっさに駆け寄りかけたフィオレをてのひらで制し、後ろを振り返る。

 そこにいたのは壮齢の、仕立てのいい上下で身なりを整えた恰幅のいい男だった。


 角ばった顎に豊かな顎髭を整え、胡乱なものを見る目でシドを睥睨していた。


「市長閣下、困ります! お約束の時間にはまだ」


 追い縋ってきた職員――シド達をここまで案内してきた、男性の職員だった――をじろりと一瞥してから。

 男――『市長閣下』と呼ばれた男は、あらためて不機嫌な面持ちで、室内を見渡した。


 秀でた額を指先で搔きながら、支部長が深くため息をつく。


「……市長閣下。お約束した時間までは、まだいくぶんの猶予があったはずですが」


「こちらの予定が早くに片付いたものでね。何せ事が事だ。解決を急ぐにくはない」


 『不遜』と『傲然』が人の形をとったような物言いに、支部長が再び溜息をつく。


「……誰?」


 そう呟いたのが、その場の誰だったかまでは判然としなかったが。

 険を増した形相でぎろりと場を睨み据える男が口を開くよりも先に、支部長がそれに答えた。


「其処なる方はホーウィック卿――このオルランドにて、市長の地位にあらせられる御方です」


「市長……」


「此処なる諸君が、今回のに関わった冒険者かね?」


 呆気に取られて呻くシドに、一瞥すらくれることなく。

 ホーウィック卿――オルランド市長である彼は、不機嫌に鼻を鳴らした。


「であれば、実に話が早い。今後に関する話、今この場でさせてもらうとしよう」

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