144.それでも、いつまでも泣いてばかりいるなんてできやしないから。顔を上げて、きみは望みを語るのです。
どれくらいの間、そんな風にしていただろう。
すすり泣く声が夜に溶けて。ほどけて。やがて、そんな風に泣き続ける衝動も尽きた頃。
ぐすっ、とちいさく洟をすすったのを最後に、クロはそっとシドの胸を押して、身体を離した。
「……ごめんなさい。みっともないとこ見せてしまいました」
「いや」
それ以上は何を言えるでもなく。ただ、逆らうことなくクロの体を放してやりながら。
伏せた顔と長い前髪で隠すようにしながら乱暴に目元を拭っていた様は、見なかったことにしておいた。
「ほんとうは、こんなことまでシド・バレンスに――あなた達に言うつもり、ありませんでした。どうか忘れてください。お願いです」
「クロ」
口早に訴えるその声へ真綿をかぶせるように、やんわりと宥める。
「重荷を負わせてしまったと思っているのなら、どうかそんな風には思わないでほしい。どのみち、そんな都合よく忘れられるものでもないし」
「…………恥ずかしいのですけれど」
絞り出すように、呻く。
あまりに子供らしい、少女の気の張り方が、シドには微笑ましくてならない。
そう感じていることすら、『心が繋がって』いるがゆえに伝わっているのか――クロは泣きはらした顔を赤くしながら、ふてくされるみたいにほっぺたをふくらませていた。
心を見ることなどできなくとも、それが分かる。
その幼い素直さが、シドには微笑ましい。
ただ――
「――クロ」
ひとつだけ。どうしても、訊いておかなければいけないことがあった。
「その呪いを完全に解く方法は、ないのかい? 本当に何も?」
「クーの呪いは解けています。世界に在るのは、呪いを生む源――『解く』とか『解かない』とか、そんなふうに語れるものではないのです」
「だとしても、その源は『ある』んだろう? それを、取り除く――なんてことはできなくとも、どうにか抑え込むなりできたなら」
「シド・バレンスは天の頂、そのはるか彼方まで届く塔を建てることができますか?」
クロは問うた。
否――それは問いですらない。答えなど決まっていた。
「戯れの手慰みに、迷宮を築くことができますか? 世界を越えて、『世界の果ての向こう側』へと渡る船を、造り上げることが?」
それは、諭すためのことばだった。
返す言葉のないシドを慰めるように、クロは静かに、ゆっくりとかぶりを振った。
「どうか誤解しないでくださいね。クーにだって、そんなことできやしません。でも、クーにだってそれができるようになれたかもしれない、そんな時代はありました。呪われることなく、滅び去りさえしなければ」
――はるかなる、《真人》達の時代。
絢爛なる魔法文明の時代。
「そうしたことをなし得るひとたちがいた。なしえる基盤と、環境があった。社会が、文明が、たくさんの人達の力の結集と、研鑽の積み重ねがありました」
今の時代に、今の社会の基盤と環境が。文明があるのと、同じように。
「それでも世界の呪いを、その源を取り除くことはできませんでした。《
シドは自分が恥ずかしくなった。
よりにもよって、クロに――誰より何より『それ』に苦しめられているはずの、ちいさな女の子に、その絶望的な結果を語らせてしまった。
自分ひとりの、つまらない浅慮のせいで。
――何て、残酷な。
「お互いさまですよ、シド・バレンス。クーだってあなたに甘えて、つまらないこころを押しつけてしまいました。
忘れろと言われて忘れられるものではないのなら、それは畢竟、あなたにクーの未来を、その責任を負わせてしまったということでしょう?」
もう一度。クロはかぶりを振った。
「たとえ負わせたのではなくとも、あなたはそれを、傷と感じずにはいられないのでしょう。でも、そうではない。そんなものはないのです。そんなものを、負うべき理由なんてない――それはクーひとりの問題です。あなたにはあなたのなすべきと、あなたの問題があるはずです」
ふと、クロはその視線を、街のあらぬ方へと向けた。
その視線が向かう先を追って、気づく――その先に在るのは《英雄広場》。
そこには、《諸王立冒険者連盟機構》オルランド支部がある。
「――世界の呪いは、この世界から追い払われてしまった神さまたちが、
けれど――と。
唇を噛んで。言葉を切って。
「……明日、支部長さんたちのところに集まって、もう一度お話しあいになると思います。シド・バレンスだけでなく――みんなでのお話しあいです」
次にクロが口にしたのは、まったく別のことだった。
「今、この時に。こうして許してもらえた時間で、クーにはやりたいことがあります。でも、今の社会は『今のひとたち』のためのもので、クーがひとりでできることなんてほとんどありはしません。だから、そのために――」
不意にかぶりを振って。
いいえ、と言葉を切って。少女は恥じ入るように、その面を伏せた。
「――いいえ、違いますね。ごめんなさい、そうじゃないんです。
でも、やりたいことがあるのは、ほんとうにほんとうで――だからそれを、クーのやりたいことを、ここで聞いておいてはもらえないでしょうか。シド」
「俺なんかでいいのなら」
問われるまでもない。それを躊躇う理由は、シドにはなかった。
一瞬だって、ありはしなかった。
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