108.勝利の糸口を掴め! いざ、《キュマイラ・Ⅳ》迎撃大作戦!!!⑦


 立て続けに着弾する『針』の破壊――その轟音が止んだ後。

 瓦礫から舞い上がる埃と土煙で視界が覆われた中、シドは「けほっ」とちいさく咳き込んだ。


「ラズカイエン……無事かい……?」


「言うまでもないことを訊くな……貧弱貧相な人間サルごときに、水竜人ハイドラフォークの戦士が心配される謂れなぞない……」


 無数の投擲槍ジャヴェリンのように撃ち出された『針』――その直撃に対し、ラズカイエンは両腕の長大な手甲を盾とすることで、そのすべてを防ぎ切った。

 竜の鱗に匹敵する硬度と、ジムの附術強化剣アーティファクトと数十合を撃ち合って附術強化剣アーティファクトの方を歪ませるほどの強度と厚みを併せ持った手甲を、《キュマイラ・Ⅳ》の『針』は貫けなかったのだ。


 だが、そのうえで――応じるラズカイエンの声は、それでもこれまでの彼と比べ、力を欠いたものと聞こえた。


「だが、どうしたものか。こんなものを撃ち続けられようものなら、もはやこちらは身動きが取れん」


「そうだね……」


 竜の鱗を貫けなかったとはいえ、あの『針』は周囲にあった石造りの家屋を、ばらばらの瓦礫にまで粉砕してしまう威力だった。今はまだ十分に耐えきれるとしても、終わりなく連射を続けられれば、それとていつかは限界が来るだろう。


 まして――ラズカイエンは長大な手甲の一端を、石畳の地面へ杭のように撃ちこむことで、弾着の衝撃に耐えていた。

 そうでもしなければ、衝撃に負けて弾き飛ばされていたかもしれないということだ。仮にそうなった後に待つ未来はといえば、どう贔屓目に想像したところで、ぞっとしないものである。


 ここままでは、身動きが取れないままに、あの『針』に削り潰されかねない。


 だが――


(だが、こんな切り札を持っていたなら……どうしてあの幻想獣キュマイラは、最初からこれを使わなかったんだ……?)


 もしも、第四層での交戦中にこれを撃たれていたら。

 たとえば――想像もしたくないことだが――その標的が、幻想獣キュマイラから離れて魔法で支援していた、フィオレや《軌道猟兵団》の魔術士達へ向くようなことがあったならば。


 シド達がまとわりついた程度では牽制にもならず、『針』の一斉射出でもって、彼ら彼女らは挽肉ミンチに変えられていたかもしれない。それをしなかったのは、何故か――その『手加減』の結果として倒されるようなことだけはないのだとしても、幻想獣キュマイラは浅からぬ傷を負い、再生までの間はその痛みに苦しめられたはずだ。何故そんな痛みに耐えてまで、この切り札の行使を留保し続けたのか。


 ――そういえば、と。一つ引っかかることがあった。


 あの『針』が低い位置にいるシドを――地面を狙い打った時のことだ。

 シドが《キュマイラ・Ⅳ》の体の下に逃げ込んだせいで、『針』は地面を穿っただけだった――そう、その破壊の規模は、周囲の家並みを薙ぎ払った時と比べて、明らかにのだ。


 今は埃と土煙に塗れて目視で確認できないが、そこは間違いないはずだ。あの『針』で穿たれた穴を、あるいは突き立ったままの『針』を、広がる石畳のどこかに見出すことができるはずだ。


「…………………」


 シドは周囲を見渡す。。

 おさまりつつある土煙の中、不意に、はっきりと見えたものがあった。


「ラズカイエン。移動しよう」


「どこへだ? 周りの家だか何だかを盾にしたところで、あの針の前では紙ほどの役にも立たんだろうが」


「物陰に隠れる訳じゃないんだ。とにかく、ついてきてくれ――俺一人じゃ、目論見が外れた時にはあっという間に挽肉にされてしまうから」


「……チッ」


 舌打ちしながらも立ち上がるラズカイエンを先導して、移動する。

 程なく、もうもうと立ち込めた煙が収まり――《キュマイラ・Ⅳ》が再び、必勝を期した愉悦と共に『針』の槍衾をその胴へ並べた時。


 標的と、その『先』にあったものに、愉悦に滾っていた《キュマイラ・Ⅳ》の獣の相貌は、驚愕に歪んだ。


 シドとラズカイエン――二人が背にしていたのは、《塔》だった。

 周囲の家並みが瓦礫の山へと変わった、その只中で――《箱舟》の中に広がる空を貫いて、高く伸びる塔。この三層の中心に位置する、柱のような塔だった。


「撃ってこないな」


 油断なく手甲を構える準備をしながら、ラズカイエンがつぶやく。

 悔しげに唸る《キュマイラ・Ⅳ》の反応を見れば、シドの『目論見』とやらが図に当たったのは、一目瞭然であったが。


「やっぱりそうだ……あいつは《箱舟アーク》を壊したくないんだよ。おそらくこの《塔》は、あいつにとって壊してはいけない、《箱舟アーク》にとって重要な何かなんだ」


 逃走や回避に走った獲物を刈り取るためか、『針』は広く扇形に打ち放たれていた。その連射で周囲の家並みが容赦なく破壊された中、まったくの無傷でそびえる《塔》。

 その、あまりにもあからさまな対比に気づいた瞬間、「もしかしたら」と閃いたのがそれだった。


「壊したくない、ね」


 フン、と鼻を鳴らすラズカイエン。


「その割に、上では床に大穴を開けてやがったがな。この辺りの街も廃墟同然だ」


「きっと、あいつにとっての優先順位があるんだ。壊しても構わないもの、なるべくなら壊さず済ませたいもの、絶対に壊してはいけないもの――現に、上の第四層で戦っている間は、あいつもここまで派手な破壊は繰り出してこなかった」


「……頼りない話だぜ」


 まったくもってその通りだ。返す言葉もない――そもそもそんなものは、単なる希望的観測かもしれない。

 だが、もしもシドの目算通り、この《箱舟アーク》が、少なくともその一部なりが、《キュマイラ・Ⅳ》にとってなのだとしたら。


「そこに、つけいる隙はある」


 あるいはそれが、この魔獣かいぶつを打倒する――切り札の一枚となるかもしれないのだ。



「――ユーグ・フェットの、言うとおりです」


 そうがえんじたのは、他ならぬクロ自身だった。


 弾かれたように振り向く冒険者達の視線を一身に浴びながら。睫の長い瞼を伏せて、クロはそれを認めた。


「《キュマイラ・Ⅳ》の再起動は、クーの『呪い』がシド・バレンスの手によって解かれ、この身が蘇ったがゆえのこと。

 だから、クーがもういちど呪われるか、でなければここで死ぬかすれば。《キュマイラ・Ⅳ》に与えられた命令はふたたび不成立となり、もとの格納区へと戻るでしょう――おそらくは、ですが」


「恐らく、ときたか」


「事実として、《キュマイラ・Ⅳ》が帰還する場面を見たわけではないですから」


 揶揄する口ぶりのユーグへ、クロはすんと澄まして応じる。


「いえ――厳密に言うなら、そうではないですね。クーはその場面を、心に繋いでいたかもしれません。でも、今はもうわからないのです。それはきっとクーの中に紛れて、沈んで。どこに行ったのか、それとも最初からありもしないものだったのか――


 ひどくあやふやな、つかみどころのない物言いに、リアルド教師が眉をひそめた。

 《賢者の塔》の魔術士であり、史学研究者でもある彼女には、クロの言いように引っかかるものがあったのかもしれない。


「だが、可能性は十分にある訳だ」


 一方のユーグは、現状の局面における実際的な問題以外は、興味を振り向けようとしなかった。


「なあ、お嬢ちゃん。あんた、もうとっくにその可能性には、自分で気づいていたんじゃあないのか?

 気づいていながら、俺達にはそれを提示しなかった。あくまで俺達へは、『《キュマイラ・Ⅳ》から逃げろ』と言い続けた――奴を止める方法を察していながら、だ。違うか?」


 皮肉げな笑みを大きくしながら。むしろ口に出しては猫なで声でささやくユーグの様は、まるで一匹の毒蛇のようだった。

 嬲るようなその言い草に、フィオレがカッと怒りを露わにする。


「ユーグ・フェット、あなた――!」


「黙ってろ、森妖精エルフのお嬢さん。あんたの見解なぞお呼びじゃないと、さっきも言ったばかりだろう」


「だとしても、あなたの言いようは聞き捨てならない! あなたの言いようは――この子に向かって、『死ね』と言っているのと同じことだわ!!」


「そうだが?」


 あっさりと。むしろ、フィオレの方が聞き違いを疑ってしまうほどの簡素さで、ユーグはそれを認めた。


「そうとも、察しの通りだ。俺はこの小娘に死んでくれと言っている。俺達全員と、《箱舟アーク》とオルランドの冒険者すべて、地中海イナーシーと《大陸》の人類すべてのためにどうか死んでくれと、そうお願いしているのさ」


 絶句するフィオレ達に。ユーグはうっすらと笑う。


「大袈裟と思うか? そんなことはないだろう。

 現に五百年前は、オルランドによる叛旗が翻されるまでの間に、《地中海イナーシー》の沿海全域は徹底的に蹂躙されつくしたというハナシじゃないか。伝説の幻想獣キュマイラが倒される時は叙事詩サーガの幕が下りてもなお訪れず、その再現が現実となった日の惨禍は想像するだに余りある――まして五百年前の《キュマイラ・Ⅳ》は、


 ――もしも、五百年前の義勇軍よりさらに強大な敵が現れたなら。

 《キュマイラ・Ⅳ》はその権能を以て、五百年前の比ではない強化を、己の身に施すかもしれない。


「はるかいにしえの《真人》種族とて、自分の命はさすがに惜しいか? まあ、そうだとしても理解はするさ。俺も死にたくはないからな。

 だが現実の問題として、《キュマイラ・Ⅳ》を抑止しうる『最速』の最適解が、それだ――俺達すべての命のために、どうか一人で死んでくれ。もとより蘇るあてもなかった命と思えば惜しくもあるまい? だから頼むよ、心からのお願いだ」


「――最低……!」


 フィオレは心の底からの嫌悪を以て、吐くように呻いた。度し難い怒りと共に。


ᚳᚢᚱᛋᛖ ᚤᛟᚢ ᛒᚪᛋᛏᚪᚱᛞ呪われろ、このけだものめ!! あなたは最低よ、ユーグ・フェット! 我が身の命惜しさだけで、こんな女の子に向かって! そこまでの外道を――よくも、ぬけぬけと!!」


「そうとも、最低で外道さ。それで大いに結構だ――そしてもう一つ言わせてもらうなら、お前はそろそろ黙れ、小娘。シド・バレンスの命が大事ならな」


「な――」


「シド・バレンスは。俺達の足の下、階下の第三層で。俺達がぬくぬくとこんな与太話を続ける間も、彼は命を懸け続けている」


 ユーグは、足元の床を踵で蹴って階下を示し、そして冷然とフィオレを見下ろした。絶句する少女を。


 その双眸には――わからずやの『小娘』に対する、度し難い苛立ちが燃えていた。凍り付いた炎のような、それはまさしく、極北の憤怒だった。


「これは、その献身に報いるための最短距離だ。シド・バレンスが死ぬ前に《キュマイラ・Ⅳ》を封殺しうる、現状において発見された最短最速の手段だ。

 他に代案がないならもう黙れ、。だから貴様の見解なぞお呼びじゃないと、何度もそう言った――意味がなく、埒もなく、無為に時間を浪費するからだ! 夢見がちな小娘ごときの戯言たわごとはなぁ!!」


「……ユーグ、あなた」


 ――ああ、そうか、と。

 唐突に、理解する。


 自分フィオレは、見損なっていた。


 自分がひとつ、どうしようもない勘違いをしていたことを、フィオレは痛恨と共に自覚した。


 そう――そうだった。この男は、石になった仲間を救うために走った男なのだ。


 剣を投げ捨て、己が身の安全をなげうって――そのとき投げ捨てた剣は今もまだ、四層の床でぽつんと寂しく、転がったままでいる。


 その心が向く先は。

 その領域が、一体どこまでその翼を広げているのか。


 ユーグ・フェットは、のだ。どこかの時点から、ずっと。


 フィオレはようやくにして――それを、理解したのだと思った。

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