89.いきなり伝説の幻獣がお出ましとか、そんな展開アリですかもっと空気読まないとダメじゃないでしょうかガチなんですかマジですかそうですか


 そう――


 それは、およそ五百年前までさかのぼる。


 《箱舟アーク》の深奥より数多の魔物どもと共に現れ、最後の決戦において英雄オルランドと剣戟を交えた幻想獣キュマイラ――

 かの魔獣に関して、残されている記録は少ない。


 それは、英雄オルランドの叙事詩サーガにうたわれる最後の決戦――その戦いにおいてかの幻想獣キュマイラと戦い、なお生き残ってその姿を後世へと語り伝えた戦士が、数えるほどしかいなかったがためであるとされている。


 現在において《オルランドの北壁》と称される都市北側の城壁は、最後の決戦においてオルランド率いる義勇軍の前線拠点となった砦であった。

 決戦の後、戦士たちの魂の故郷たるその砦を拡張し、堅牢な防塞として生まれ変わらせたものが、《オルランドの北壁》である。


 他方、英雄オルランドがその最期を迎えたとされる地は、オルランドの市内――北壁ではなく、南壁の門にこそ程近い、《英雄広場》にある。

 広場にはかの英雄の姿を象った青銅ブロンズの像が建ち、今なおその偉業を讃え、人々の記憶に留め続けている。


 広場は《箱舟》から見て、北壁のさらに奥。

 これが意味するところは、何であるか。



 ――砦は、のだ。



 英雄オルランドと彼を旗頭に仰ぐ義勇軍の戦士達は、激しく戦い続けた。


 《箱舟》の裾野と広がる荒野においては砦を背に戦い、彼らの魂の故郷たる砦へと退いてはその中で戦い、遂には砦の突破を許してもなお絶望に膝をつくことなく、四方を山と丘、川の流れに塞がれた隘路に陣を敷き、砦を後にしても戦い続けた。


 おそるべき《幻想獣キュマイラ》が遂にその戦いを諦め、《箱舟アーク》へと踵を返し逃げ帰った、その時まで。


 決戦は二度の昼と二度の夜を越え、三度目の落陽において遂にその決着を見た。

 英雄オルランドの叙事詩サーガは、そのように謳い上げている。


 《幻想獣キュマイラ》と相対した戦士は、次々と戦いの中に斃れ、散っていった。

 最期の時まで地に斃れることなくその剣を支えに立ち、おそるべき魔獣どもが逃げ去る塔を命尽きる瞬間まで見据え続けたという英雄オルランドは、かの決戦において命尽き果てた最後の一人であるという。


 決戦を生き延びたのは、《幻想獣キュマイラ》と相対する機会を得ずに他の魔物と戦い続けた戦士達。そして、《幻想獣キュマイラ》と相対しながらなお幸運のたすけによって命長らえた、数えるほどの一握り。


 《幻想獣キュマイラ》との戦いを生きのびた戦士達が語る魔獣の脅威は、どうしたことか奇妙にその整合を欠き、その正確な像を絵に描き出すことは、終ぞかなわなかったという。


 それは、おそるべき魔獣への恐怖が見せた幻ゆえか。

 あるいは、激しい戦いの最中で歪んだ記憶が齎した誇張ゆえのことか。


 その真実は歴史の闇の奥底へと落ち、今や確かめる術はない。



 ――ない、はずだったのだ。



 ………………。

 …………………………。



 第四層の南側と北側は、東西に一直線で走る壁で両断されている。


 その、中心――南側の通路が集まる広場と面する一か所に、両開きにスライドする、さながら城門のように広く大きな扉があった。

 《宝物庫を護る巨人スプリガン》が現れた、扉である。


 その扉の奥――灯りが落ち、闇に包まれた階層の北側。

 その闇の奥に、光が灯った。


 方形に開いた、光の門。そこに浮かび上がる影。

 光の中から、影は闇の中へと歩きだした。その歩みに合わせるかのように、通路の天井が、てん、てん――と音を立てて明るく灯ってゆく。


 影が、その姿を白日の下へと晒した。

 獅子と竜、そして山羊の頭。獅子の胴から生えて左右に揺れる細長い尾は、蛇の姿をしていた。


「あれは……」


 シドはその幻獣の名を、その姿かたちを、はるか古の時代を語るおとぎ話の中に聞いたことがあった。

 そして、オルランドという街の始まりを今に伝える伝説の物語――英雄オルランドの叙事詩サーガの中でも。


 叙事詩サーガの終幕を彩る、最後の決戦の時――

 オルランドの旗の下へ集った大いなるひとつの軍勢は、《箱舟》の膝元たる荒野の大地にあふれたすべての魔物を掃討し、逃げ去った魔物のことごとくを塔の中へと押し戻した。


 しかし、その勝利は同時に、大いなる犠牲によって果たされたものでもあった。


 数多の人々。数多の妖精。数多の獣人――

 そして、常にその先頭にあって誰より雄々しく戦い続けた戦士オルランドもまた、《真人》がこの世に残した恐るべき《幻想獣キュマイラ》の猛威を打ち払ったその代償として、遂にその命を落とした、と――


 ――――ああ。


 乾いた諦観の喘ぎを零したのは、クロだったか。あるいは他の誰かかだったか。

 ただ、その事実を告げることばを口にしたのは、間違いなくクロだった。



「――――



 五百年前、《地中海アースシー》沿海の地を覆いつくさんばかりにあふれ出た雲霞の如き魔獣を打ち滅ぼした英雄オルランドは、《箱舟アーク》の裾野に広がる荒野における最終決戦の時、地に満ちる魔物どもの中にあった一頭の魔獣と戦ったという。

 はるかいにしえなる《真人》時代の伝承に伝わる魔獣――《幻想獣キュマイラ》。その魔獣は激しい戦いの末に《箱舟アーク》の塔へと逃げ帰り、決戦はオルランドと、その旗の下に集った義勇軍の勝利でその幕を下ろしたという。


 ――だが。

 伝承の語り伝えるところによるならば、かの魔獣は退いたのみだ。

 ああ、それはだからこそであったのか。



 現れたるは、はるか古の時代――《真人》種族が造り出した幻想の獣。

 《幻想獣キュマイラ》。



 英雄オルランドをもってしても倒すことあたわず、英雄の叙事詩サーガにおいてもその最期を謳われることなくあった、伝説の魔獣が。



 魂消るような咆哮を上げる。


 荒々しく前足を踏み鳴らす。


 今、シド達の前に――いる。



 獅子と竜、そして山羊の頭が、三重の雄叫びを上げる。

 獣のように猛然と突進を始めた魔獣に、冒険者達は咄嗟に身を硬くし、体に染みついた感覚を頼みに身構える。


クソが……次から次へと……」


「貴方はじっとしてて、怪我人なんだから!」


 身を起こしかけたラズカイエンを背中に庇い。

 フィオレが迎撃の魔術を起動する。


「――風精霊シルフィード、行って!」


 精霊魔術は契約によって成り、意思のみで起動する。それでも敢えて声に出して呼びかけたのは、その『意思』へ明確な『方向づけ』を行うためである。


 空気の密度差で像が歪むほどの、圧縮された気流の刃。

 獣の爪のように《幻想獣キュマイラ》へとはしるその刃は、しかし獅子が鬱陶しげに振った頭の一振りのみで、いとも呆気なく爆ぜ散った。


「な――」


「うそっ!?」


 驚愕に呻く声が重なる。

 凍りつきかけた空気を払うように、ジムが大喝する叫びを放つ。


「散開! ヤツの進路から退避いぃっ!!」


「ちぃっ――」


「え。きゃっ!?」


 ショックで脚が止まっていたフィオレを小脇に抱え、ラズカイエンが真っ先に退避する。

 その様で、あるいはジムの大喝で我に返り、あるいは自らの意思と判断でもって。その場の全員が魔獣が吶喊する進路から、次々と左右へと逃れる。

 そんな中――


「――――ふっ!」


 シドは長大な両手剣ツヴァイハンダーを構え、敢えてその進路ぎりぎりのところへと跳躍した。


 獅子の前足。唸る風がシドの頬を打ち、短刀のような爪が肩に触れるそのぎりぎりを掠める。

 すれ違いざまにその前足へ剣を叩きつけた瞬間、シドは両手に伝わる硬い衝撃に目を剥いた。


「ぐ――!」


「シド!?」


 重量の差で押し負け、弾き飛ばされるシドの身体。

 きりもみしかけた体勢をかろうじて空中で立て直し、靴底で地面を引っ掻きながらかろうじて着地する。


「シド! 怪我は」


「してない。大丈夫だ。けど」


 視線は幻想獣キュマイラを捉えたまま。駆け寄ってきたフィオレに応える。

 だが――


(こいつは……)


 ――刀身に受けた衝撃で、手が痺れている。

 柄の握り方が甘ければ、さっきの一撃だけで剣を弾き飛ばされていたかもしれない。

 硬く、それ以上に重い衝撃。通り過ぎた先で脚を止め、ぐるりと反転した幻想獣キュマイラを見据えながら、シドはきつく奥歯を噛む。


 ――


 跳躍して幻想獣キュマイラの進路を避けながらという、体勢の不利はあったかもしれない。

 たまたま、そうした箇所に激突しただけだったかもしれない。


 だとしても――来歴こそ不明だが、竜種のそれと同等の硬度を誇る竜人ドラゴニュートの鱗をも、その腕ごと断ち割った両手剣ツヴァイハンダーの刃が。


 あの魔獣に対しては、まったくといっていいほど通らなかった。


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